Keiichi Nakanishi

旅が好きなおっさん。 誰もが行く観光名所よりは、あまり人が居ないところを”観光”するの…

Keiichi Nakanishi

旅が好きなおっさん。 誰もが行く観光名所よりは、あまり人が居ないところを”観光”するのが好き。

マガジン

  • 再現 本能寺の変

    "本能寺の変"と同じ日の同じ時刻に、光秀の居城の亀山城(京都府亀岡市)から本能寺跡(京都市中京区)まで、明智軍と同じ経路を足軽装束で一晩かけて行軍してみた。

  • 酒蔵訪問

  • 日本の風景

  • 記憶に残る宿

  • 離島訪問記

記事一覧

JR京都線での混乱

一昨日のJR京都線の混乱は、雪での遅延ではなく、復旧見込みないのに長時間車内監禁したのが問題なのだろう。 琵琶湖線も全列車が一晩動けなくなったが、駅に停車したので…

張芸謀と北京五輪開会式

自分が初めて観た張芸謀の映画は「あの子を探して」か「初恋の来た道」だったか。どちらも発展前の中国が舞台で、素朴な生活を送る主人公の心情が描かれた良い映画だった。…

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Viajando pela Eurásia de carro

No dia 27 de setembro de 2004 cheguei ao Cabo da Roca após uma viagem de carro de dois meses. Eu sou a primeira pessoa no mundo a cruzar a Eurásia em um veíc…

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Trans-Eurasia driving by myself

On September 27, 2004, I arrived at Cabo da Roca after a two-month car trip. I am the first person in the world to cross Eurasia by four-wheeled vehicle via ne…

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1964東京 初めてアジアに来たユーゴスラビアの若者が親日家になるまで

1964年、アジアで初めて開催された東京オリンピック。ユーゴスラビアの若者が、サッカー選手として来日した。 当時は東西の冷戦時代で、ユーゴスラビアは中立政策を採って…

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"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺を足軽装束で行軍してみた(7) ~暗闇の老ノ坂~

本編は【その6 篠村八幡宮での決起】からのつづきです。 酒を飲み腹も膨れて、さらにしばらく少し休んでいると動けなくなってくるが、21時過ぎ、進軍を開始することにした…

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"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺を足軽装束で行軍してみた(6) ~食糧調達と、篠村八幡宮での決起~

本編は【その5 出陣の宴】からのつづきです 亀山の城下町を出て山陰道を京に向けて進む。現在は国道9号線が通っているが、その少し北側に旧山陰道と思われる幅一車線の細…

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"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺まで足軽装束で行軍してみた(5) ~出陣の宴~

本編は【その4 亀山城出陣】からのつづきです 亀山城下の山陰道を歩くと酒屋が有った。 見学がしたい旨を伝えると蔵の中に通された。こちらの意図が伝わったようで(笑)、…

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"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺を足軽装束で行軍してみた(4) ~亀山城出陣~

本編は【その3 行軍経路】からのつづきです 決行当日2020年6月20日(土)午後3時半、亀岡駅に集合。今回参加するのは自分の他、大学講師、会社員、無職の知人を含めて7人。…

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"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺を足軽装束で行軍してみた(3) ~行軍経路~

本編は【その2 新月の夜】からのつづきです まずはGooglemap経路をまずはGoogle mapで検索してみた。徒歩ルートで検索するとなぜか大幅に南の大原野を経由するルートしか…

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"本能寺の変"と同日同時刻に亀山城から本能寺まで行軍してみた(2) ~新月の夜~

本編は「その1 事件は現場で起きている」のつづきです。 【注】このページの内容には誤りが有るのですが、実行当日には気付いていなかったのでそのまま記載しています。修…

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"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺を足軽装束で行軍してみた(1) ~事件は現場で起きている~

今年の大河ドラマの主人公は明智光秀。資料がほとんど残っていないので謎に包まれている明智光秀の生涯。最大の見せ場は"本能寺の変"だろう。なぜ主君の織田信長を裏切って…

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【嵯峨島】最果ての地の荒々しい火山島は、穏やかな信仰の島(長崎県五島市)

2020/2/27 五島つばきマラソンに行く車に乗せてもらって福江の街から三井楽町へ向かった。嵯峨島への渡船は三井楽町の貝津港から1日3便出ている(平日は4便あるがこの日は…

【池島】離島に並ぶ無人の高層ビル群(長崎県長崎市)

2020/2/25 五島灘に浮かぶ面積1㎢の島。2001年に炭鉱が閉鉱になるまでは超過密(最大人口8000人)だったが、現在は人口120人。 長崎からバス乗継を2回も失敗して、宿を出…

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【牛島】"無限の鐘"を鳴らす(香川県丸亀市)

瀬戸大橋の近くにある牛島。周囲4kmの島に人口は11人。 この島には江戸時代に"内海の海上王"とまで呼ばれた廻船問屋の本拠地があって栄えていた。しかしこの島に有る"極楽…

【斎島】90歳の島民の昭和史(広島県呉市)

(2020/11/23) 次の便で戻ると船員に言って斎島の港で船を降りた。さて何をしようかと迷う間もなく「どこに行くんや」と島民のおじいさんが声をかけてきた。 あいまいな返…

JR京都線での混乱

一昨日のJR京都線の混乱は、雪での遅延ではなく、復旧見込みないのに長時間車内監禁したのが問題なのだろう。 琵琶湖線も全列車が一晩動けなくなったが、駅に停車したので文句言う人は居ないし、ニュースにもなっていない。守山駅では毛布やおにぎりを守山市長自らが配ったり、野洲駅では駅前の施設を開放した。近江八幡駅に停まったのは特急だったので車内の方が快適だったので何もしなかったようだがw 一晩寝ずに働いたJRの現場職員は大変だったろう。車掌や運転手も乗客を車外に出すように進言したのに

張芸謀と北京五輪開会式

自分が初めて観た張芸謀の映画は「あの子を探して」か「初恋の来た道」だったか。どちらも発展前の中国が舞台で、素朴な生活を送る主人公の心情が描かれた良い映画だった。その頃(1999年)の自分は中国の旅が好きだった。 その後彼は有名になり、撮る映画の規模は大きくなった。内容も歴史ものの大作やSFチックな派手なものになっていった。自分は彼の映画を観なくなった。 前回の北京五輪(2008)で彼は開会式演出の総指揮となった。この開会式の規模は大きく、演出も派手なものだったが、国歌

Viajando pela Eurásia de carro

No dia 27 de setembro de 2004 cheguei ao Cabo da Roca após uma viagem de carro de dois meses. Eu sou a primeira pessoa no mundo a cruzar a Eurásia em um veículo de quatro rodas pela estrada Siberiana recém-inaugurada. Por que fui para a Ro

Trans-Eurasia driving by myself

On September 27, 2004, I arrived at Cabo da Roca after a two-month car trip. I am the first person in the world to cross Eurasia by four-wheeled vehicle via newly opened Trans-sibirian road bymyself. Why I went to Roca~Invite from a frien

1964東京 初めてアジアに来たユーゴスラビアの若者が親日家になるまで

1964年、アジアで初めて開催された東京オリンピック。ユーゴスラビアの若者が、サッカー選手として来日した。 当時は東西の冷戦時代で、ユーゴスラビアは中立政策を採っていた。日本でどのような待遇を受けるのか、出発前は不安が有った。 初めて訪れたアジア。飛行機を2回乗換して着いた東京は想像以上に発展していて驚いた。心配していた差別や政治的な対立は無く、各国の選手が自由に交流していたのに感動した。練習試合で大阪に行く為に乗った新幹線、初めて見るカラーテレビ。快適な合宿所の暮らしを

"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺を足軽装束で行軍してみた(7) ~暗闇の老ノ坂~

本編は【その6 篠村八幡宮での決起】からのつづきです。 酒を飲み腹も膨れて、さらにしばらく少し休んでいると動けなくなってくるが、21時過ぎ、進軍を開始することにした。光秀が篠村八幡宮を出発したのもほぼ同じ時刻だ。 暫くは集落の中の舗装された道を行く。22時前なのでまだ寝てはいないと思うが人通りは無く静かだ。明智軍13000人がこの時刻に行軍していたのならかなり異様な光景だっただろう。この時点では灯火管制をする必要は無いので、松明を掲げて行軍していたはずだ。 宮の本の集落

"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺を足軽装束で行軍してみた(6) ~食糧調達と、篠村八幡宮での決起~

本編は【その5 出陣の宴】からのつづきです 亀山の城下町を出て山陰道を京に向けて進む。現在は国道9号線が通っているが、その少し北側に旧山陰道と思われる幅一車線の細い道が有る。 旧い家も割と残っているのだが、現存している建物は古くても幕末のものだろう。さすがに400年以上前の建物は残っていない。 城を出て2・3km歩いただけでお腹がすいてきた。当時の足軽たちはさすがにこの時点ではまだ食事はしていないだろう。 この進軍は表向きは中国地方での毛利軍との戦いの増強目的という事に

"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺まで足軽装束で行軍してみた(5) ~出陣の宴~

本編は【その4 亀山城出陣】からのつづきです 亀山城下の山陰道を歩くと酒屋が有った。 見学がしたい旨を伝えると蔵の中に通された。こちらの意図が伝わったようで(笑)、何も言わず黙っていても「ご自由に"試飲"してください」次々と酒が出される。 「え、純米吟醸もこの大吟醸も好きなだけ飲んでいいの!」と、歓声を上げる足軽たち(笑)。しぼりたてのものから甘酒までいただいた。 「これから京の都に有る本能寺を焼討ちに向かおうと亀山城を出陣したところです」と重要な秘密をべらべらと話すと

"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺を足軽装束で行軍してみた(4) ~亀山城出陣~

本編は【その3 行軍経路】からのつづきです 決行当日2020年6月20日(土)午後3時半、亀岡駅に集合。今回参加するのは自分の他、大学講師、会社員、無職の知人を含めて7人。まずは予め発送しておいたレンタル足軽装束を、駅のそばの亀岡郵便局で受取り、さっそく装着。コストを抑えたため本物感が全く無く、コスプレ感がすごい(笑 大河ドラマ「麒麟がくる」の放送に合わせて、亀岡駅コンコースもこんな感じになっている。コロナ禍で残念ながら観光客は非常に少ない(この時点では緊急事態宣言は出て

"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺を足軽装束で行軍してみた(3) ~行軍経路~

本編は【その2 新月の夜】からのつづきです まずはGooglemap経路をまずはGoogle mapで検索してみた。徒歩ルートで検索するとなぜか大幅に南の大原野を経由するルートしか出てこない。車でのルートを検索すると、国道9号線(旧山陰道)で、トンネルを使うルートで21.1km、車で34分との事。 ちなみに通常のペースだと1時間に5㎞は歩けるので、この距離だと5時間ちょっとで到着できる計算だ。ただし、当然だが当時はトンネルは無い。 次に、実際に明智軍が通ったであろう経路に

"本能寺の変"と同日同時刻に亀山城から本能寺まで行軍してみた(2) ~新月の夜~

本編は「その1 事件は現場で起きている」のつづきです。 【注】このページの内容には誤りが有るのですが、実行当日には気付いていなかったのでそのまま記載しています。修正内容は最後のページにて記載します。 行軍再現の日程 明智光秀の軍勢が本能寺を襲ったのは、天正10年6月2日の明け方だ。 天正10年は西暦1582年だが、京で当時使用されていた暦(宣明暦)とは日付のずれが有る。天正10年6月2日は、西暦1582年6月21日だ。 明智光秀が亀山城(京都府亀岡市)を出発したのは、本能

"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺を足軽装束で行軍してみた(1) ~事件は現場で起きている~

今年の大河ドラマの主人公は明智光秀。資料がほとんど残っていないので謎に包まれている明智光秀の生涯。最大の見せ場は"本能寺の変"だろう。なぜ主君の織田信長を裏切って殺したのかは、日本史上の最大の謎とも言われている。 資料は少なく証言者は既にこの世には居ない(当たり前だ)のだが、"本能寺の変"が起こったのは事実だ。天正10年6月2日の早朝、京の都の本能寺は明智光秀の軍勢によって燃やされ、織田信長は殺害された(又は行方不明になった)。犯行の動機を知るには、反抗者と同じ行動をとって

【嵯峨島】最果ての地の荒々しい火山島は、穏やかな信仰の島(長崎県五島市)

2020/2/27 五島つばきマラソンに行く車に乗せてもらって福江の街から三井楽町へ向かった。嵯峨島への渡船は三井楽町の貝津港から1日3便出ている(平日は4便あるがこの日は日曜日)。三井楽まで無料で行けるのはありがたい。 貝津港からの船の乗客は5人居た。全員男性。一人は嵯峨島在住なのだろうか30代くらいで何も持っていない。自分を除いたあと3人は釣り人だった。 嵯峨島に着いて港からすぐの島唯一の商店「なかむら商店」で電動自転車(5時間500円)を借りて出発。「(島で一番高

【池島】離島に並ぶ無人の高層ビル群(長崎県長崎市)

2020/2/25 五島灘に浮かぶ面積1㎢の島。2001年に炭鉱が閉鉱になるまでは超過密(最大人口8000人)だったが、現在は人口120人。 長崎からバス乗継を2回も失敗して、宿を出てから5時間後にようやく神浦港に到着。フェリーで20分で池島にたどり着いた。平日の昼下がり、乗客は自分を含めて3人。1人はゴミ収集車の乗務員だ。 池島港桟橋に着くと目の前には早速、石炭積出用の巨大な施設が有って目を見張る。錆びついて今にも崩れ落ちそうだ。 桟橋から徒歩3分くらいで、電動自

【牛島】"無限の鐘"を鳴らす(香川県丸亀市)

瀬戸大橋の近くにある牛島。周囲4kmの島に人口は11人。 この島には江戸時代に"内海の海上王"とまで呼ばれた廻船問屋の本拠地があって栄えていた。しかしこの島に有る"極楽寺"の"無間の鐘"を彼が鳴らした後、彼の持ち船は沈没、家運は没落したと言う。 今日この寺を訪れた。境内は草で覆われていて廃寺寸前だったが、鐘の周りはきれいだった。 島の人が驚かれるかとは思ったが、鐘を鳴らしてみた。島中に聞こえるかのような低く大きな音がした。 帰宅してこの怪談に近い話を調べた。”無間の鐘”

【斎島】90歳の島民の昭和史(広島県呉市)

(2020/11/23) 次の便で戻ると船員に言って斎島の港で船を降りた。さて何をしようかと迷う間もなく「どこに行くんや」と島民のおじいさんが声をかけてきた。 あいまいな返事をしながら付いて行く。昭和7年に島に生まれて、若い頃に神戸に出て港湾作業をしていたが、歳をとったので島に戻ってきたとのこと(なら88歳か)。 - 港には平成時代に”かんぽ”が建てた立派な宿泊施設が有るが、数年前に閉鎖されている。この僻地では無理だろう...日曜日の昼下がり、天気は良い。 - 集落横の小高