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Vol.257 「統合失調症の一族 遺伝か、環境か」

すごい本を読んでしまった。

そのような感想しか出ない一冊である。
なにせ男10人・女2人の子供のうち、男6人が統合失調症を発病した家族の物語なのである。ちなみに全て実話。現在も12人中・9人が存命しており、本書の出版に多大な尽力をしている。


【テーマ】

難しい精神医学の話でありながら本筋はただ一つ「何故?」
何故彼らは統合失調症になったか? 遺伝なのか・環境なのか? 何故、同じ兄妹でありながら6人が発病し6人は無事なのか?

【舞台】

彼ら(ギャルヴィン兄妹)が生まれ育ったのは1940年〜1980年代。まだ精神医学が発展しておらず、精神病院では強い抗精神病薬・拘束器具などが当たり前に使用される時代だった。

【フロイト・ユング】

1911年、精神分析医として有名なフロイト・ユングの間で論争が勃発する。「生まれか育ちか」論争である。フロイトは「統合失調症は完全に〝心因性〟すなわち人格形成が行われる子供時代の経験(性的虐待など)によって形作られる」と断言。対してユングは「統合失調症は少なくとも部分的には生物学的疾患であり家族から遺伝的に受け継がれた可能性が非常に高い」と主張。
・・・これは統合失調症の起源と本質についての議論の始まりであり、ここから100年経つ今も終結していない。

【母親】

この本におけるキーパーソンは母親である。
1950年代、精神医学の専門家たちはこぞって母親を標的にした。つまり母親の気性・育て方が統合失調症に繋がるという思想だ。このような女性を『統合失調症誘発性』と呼ぶ。誰に対しても完璧を求める性格であるギャルヴィン兄妹の母・ミミもこの汚名を長年着せられることとなる。

【終わりの始まり】

1967年、遺伝子学者ゴッテスマン&シールズはある説を打ち立てる。それは『ストレス脆弱性仮説』だ。統合失調症はどこで育てられたか・誰に育てられたかは全く関係ない。全体として統合失調症の家族はそうでない家族の4倍もこの疾患を未来に伝える可能性が高い(つまり遺伝)。
しかし一方、統合失調症はただ1つの遺伝子ではなく多くの遺伝子の一群が様々な環境要因と一緒に働くことによって引き起こされる(つまり遺伝+環境)。それら要因が最低必要量に達しないと、人は統合失調症の遺伝的遺産を持っていても症状が現れないまま一生を送る…こともある。
この仮説はフロイト・ユング論争にまで遡る大論争の、一種終わりの始まりであった。

【精神医学・遺伝子学の発展】

本書はギャルヴィン一族のファミリーヒストリーでありながら同時に精神医学・遺伝子学の歴史である。リン・デレシ博士・ロバート・フリードマン博士を代表とする様々な研究者が解明に取り組んだ。次々発表されるその研究結果は一読に値する。しかし私には一口で言い表すことが出来ない。またこれを読んでいる多くの統合失調症患者、そしてその家族の方々に誤解を与えかねないため要約は省く。興味がある方は是非本書をご一読頂きたい。

【結局のところ遺伝なのか、環境なのか?】

で、最後にこれだ。結局のところ統合失調症は「生まれ」なのか「育ち」なのか? 残念ながら2023年現在でもその結論は出ていない。しかし「生まれ」+「環境」であることは確かなようだ。そして今は何がトリガー(環境誘因)の役割を果たしている可能性があるか…に論点は推移している。当然「母親の育て方」といった単純な問題ではない。マリファナのように何か〝接種〟したものか? 細菌のように何か〝感染〟したものか? 頭部の損傷か? 寄生病か? 多くの研究者たちは多岐に渡る候補の中からトリガーを見つけようと今も奮闘している。

【総括】

私がこの本に興味を持ったのは自らの子供が発達障害として生まれたからであった。これは遺伝なのか、環境なのか。私は『誘発性』の母親なのか? 2才で診断を受けてからずっと悩み続けてきた。本書はその解決にはならない。しかしそれを超越した凄さがある。
また、本書は統合失調症特効薬としてのニコチン・そして予防薬としてのコリンという明るい兆しを見せての終結となる。私は近い未来、製薬会社が再び新薬の開発に乗り出し、患者にとって新たな光となることを願ってやまない。


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