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思考はネガティブを大映しにする拡大鏡

野生動物は「今」を生きています。

「もっと食べ物が豊富な土地に生まれたかったなぁ」
と過去を悔やむ野生動物は存在しません。

「寒い冬を越える自信がないよ」
と未来を案じて不安になる野生動物は、いないのです。

こんなに過去を悔やみ、未来を不安がる生き物は、人間だけです。

他の動物と比べて人間は、
記憶力が優れているから過去に執らわれ、
予測する為の知能が高いから未来に慄くんだ、
と言います。
「知」の能力が高いからだ、と。

確かにそうだと思います。

しかし裏を返せば、
人間は「知」の能力が高いが故に、過去と未来に執らわれがちで、
「今」を生きる能力は、他の動物に比べて大きく劣っている、とも言えます。

人間は思考が余りにも発達した為に、この地球上で、
「ただ生きる」ことが、最も下手な生き物になったのだ、と思っています。

野生動物は、「今」迫り来る危険や恐怖には、人間以上に敏感です。


過去や未来は私達、人間の思考が作り出す想念、イメージです。

触れる事が出来る、現実は「今」だけです。

それなのに、全く後悔しない人も、
全然先の心配をしない人も、いないのです。

思考が作り出す想念に執らわれ、意識は過去や未来に飛ぶのです。

そのぶん、「今」を他の動物の様に純粋に生きることが難しくなったのだ、と思ってます。

発達した思考は、過去の悔いも、未来の不安も、拡大鏡を覗いた様に、大きく浮かび上がらせるのです。

動物は「感じること」がほとんどで、
「考えること」は少しです。

人間は逆に「感じること」を忘れて、「考えること」に偏り易い生き物です。


ただでも「考えること」に偏り易い私達ですが、

人は育つ環境によっては、感情が鈍麻して、「感じること」がより出来なくなり、

偏ると言うよりも、もはや「考えること」一辺倒に陥ってしまう場合があります。

その顕著な例は、機能不全家庭に育った人です。

機能不全家庭では、子供が自然に湧き上がる感情を持つ事を、親が許しません。

常に優先されるのは、親の感情です。

親の感情を察知して、
親の顔色を伺って、
その場の空気を読んで、

親の気分が良くなる様な感情を、その子は、「感じる」のでは無く、「作り出す」のです。

自分の感情は湧き出すやいなや、心の中に閉じ込めます。
親に見つかったなら、責め苛まれるからです。

そして、親が好む感情を作り出し、表現するのです。

それが、その子の日常です。

感情は毎日毎日、その時その時、湧き上がり、
その子は、感情が湧き上がる度に、心の奥底に閉じ込めて、
親が好む感情を作り出すのです。

親が欲しがる感情を表現すれば、受け容れられ、
そうでなければ責められます。

生まれた時から、その環境で育ったら、感情は動かなくなってしまいます。

動かなくなった感情の代わりに、フル稼働するのが、思考 です。


人間は発達し過ぎるぐらい、思考が発達しています。
それに持って来て、生まれた時から自分の感情を閉じ込める日常を過し、

偏り、と言うよりは、もはや思考のみ、思考一辺倒の人になってしまいます。

生まれた時から、感情を閉じ込める環境しか知らないので、

本人には、自覚がありません。

「感じる」つもりで「考える」のです。

感情が動いていない事にも気が付きません。
思考が動かない感情の分までカバーする、からです。

生まれた時からずっと、思考はフル稼働だったので、
あたかも感情が豊かであるかの様に、上手に振る舞う人も少なくありません。

友人達と居て、誰かが言った冗談に、ちっとも面白いと思っていないのに、
手をたたいて大袈裟に、笑ってみせた事がないですか。

友人の一人が転校することになり、内心その子の事が嫌いで、少しも寂しく無いのに、周りに合わせて、寂しそうにしてみせた事はありませんか。

自分の表現に、気持ちが少しもついて来ない、空虚な感じを体験した事は無いでしょうか。

それは油のきれた機械仕掛けの様に、ギシギシと軋む様な感覚です。


ただでも「感じること」から離れてしまいがちな私達は、

感情が滑らかに動いているのかどうかに、気がける事は大切な様に思います。

思考一辺倒になってしまっている人に限って、
その事に自覚がありません。

感情が動かないから、感じ取れないし、気がつかないのです。

しかし、もしも自分の表現に感情がまったくついて来ない感覚に気が付いたなら、

それは、かつて感情を閉じ込めた事の名残りかも知れません。

手繰り寄せて欲しく思います。



読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム







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