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希望と挫折の色合い

これから成長が容易に訪れるであろう、残り時間が多い子供は希望の塊であり、そして多くは挫折して行き

栄光もハッピーエンドも悲劇も曖昧に大人になり、終わって行くという文章をXで読み、思うことがある。

これから幸せが待っていると想い、キラキラした希望に照らされている状態というのはある意味では幸せなことだが

人生、そこまで万人に優しく作られていない。

汗水たらして少ない賃金で暮らし、独り死んで行く人もいれば、ガンや血液病で若くして亡くなる人もいる。

しかし、大抵はアレコレと日々に追われて行きながら、何となく歳をとって終わって行くのが多数である。

希望を持つことは一見して良いことのように思えるが、挫折した時に希望と現実の落差に叩きつけられる。

だから身の丈に合った無難な方を選び、つまらない大人になって行く

その無難なん道でさえも、希望と挫折が待ち受けている。

希望はいつでも誰でも持つことが出来るが、持った瞬間から希望に沿わない結果に直面した時に傷つく可能性が発生する

その傷を少なくする為には現実を見て、これから先、確実に成るであろう結果に則した小さな希望を持つことである

しかし、子供は大きな挫折を未だに経験していないが故に、大きな希望を持つことが出来る希望の塊で、大人は多くのことを諦めて来た

挫折の塊なのかもしれない。

ただ、挫折に焦点を当てるのと、矮小な希望に焦点を当てるのでは色合いが変わって来ると。

多くの人と同じように、私も今まで様々なことで挫折し、諦めて生きて来た大人の一人であるが、現実に則した小さな希望を見て生きている。

挫折を生み出す希望を見て居ないとこれから先、色の無いつまらない人生になると考えるからこそ、性懲りもなく小さな希望を持って生きている。

他者から見ればしょうもないことでも良い。少しでも良い変化が現れただけで、これから先の希望の色が濃くなって行く。

私もそうやって希望と挫折を繰り返しながら歳をとって終わって行くのだと思うし、強烈な栄光も悲劇もなく、自分の範囲内で過ごす

つまらない大人で居ることが私にとって幸せなことなんだと。







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