NANAGAGA

都内在住2017年からTwitterとブログを(極たまにYouTubeも)投稿しつつ淡…

NANAGAGA

都内在住2017年からTwitterとブログを(極たまにYouTubeも)投稿しつつ淡々と生きている男です。 このアカウントでは心理、哲学、健康、謎のエッセイ等を好き好んで書いています。ゲーム動画→https://www.youtube.com/@nanagaga9896

最近の記事

欲しいモノはどんなことをしても得る

足るを知る者は富むと天は二物を与えずという言葉がありますが、あれは嘘です。 最低限で良いと更に得ることを放棄した時点で、何かを得る為に必要な能力向上機会損失が発生し 更に富むどころか余計に貧しくなります。 天は二物を与えずというのもあり得ないことで、世の中には高身長、高収入、イケメン、性格良さそうな大谷翔平のような 一物どころか、3,4、5物以上一人で持っている人もいれば、家族も責任も預貯金も、何に1つ持っていないアル中無職のおっさんも存在します。 要は何が良いたい

    • 自分のことに集中出来ていない時に限って他人の言動が気になる

      自分のやるべきことに意識が向いていない。又は迷っている時に限って、外側に意識が向いてしまい 外側に答えを求めてしまう。 フォロワー、いいねが多い。みんなが承認するものこそ、最上に価値があるものだとするSNSなんぞ最たるものです。 正直、他人に全く認められなければ生きて行けないか?というと、そうでもありません。 蛇口をひねれば綺麗な水が流れる。電車が定時に来るのが、さも当然の如く 当然のことを当然のようにやる、一度ミスをすれば叩かれるような厳しいい中で踏ん張っている事

      • 【驪龍頷下の珠】千金の珠は必ず九重の淵の而も驪龍の頷下に有り 

        虎驪龍頷下の珠は虎穴に入らずんば虎子を得ずと近い意味です。 危険を冒さなければ貴重なモノは得ることが出来ないという意味で、古代中国の書、荘子で深い淵に居る黒龍の顎の下に、天下無双の真珠が在るという逸話から来ている言葉です。 ある若者が暗闇の中,吸い込まれるように深い淵をようやく降りたあと、黒龍の顎の下にある真珠を取る話しで 主人公が黒龍が眠っている間に真珠を取ることに成功するのですが、そこでめでたしめでたしでは終わりません。 この話には続きがあります。 物語の主人公

        • 希望と挫折の色合い

          これから成長が容易に訪れるであろう、残り時間が多い子供は希望の塊であり、そして多くは挫折して行き 栄光もハッピーエンドも悲劇も曖昧に大人になり、終わって行くという文章をXで読み、思うことがある。 これから幸せが待っていると想い、キラキラした希望に照らされている状態というのはある意味では幸せなことだが 人生、そこまで万人に優しく作られていない。 汗水たらして少ない賃金で暮らし、独り死んで行く人もいれば、ガンや血液病で若くして亡くなる人もいる。 しかし、大抵はアレコレと

        欲しいモノはどんなことをしても得る

          足るを知る者は全く富まない

          ◇足るを知る者は富むの意味 老子の言葉で足るを知る者は富むというのがあります。 人は常に自分の外側にある不足に目が行きがちであり、不足を1つ手に入れた所で、また他の不足が目につき、際限なく不足を追い求めてしまう それは飲めども飲めども喉の渇きの言えない海水の如く、人の欲というのは果てしないものである。 だからこそ外側ではなく、自分の今内側にあるモノに目を向け、その有難さとそれらで足りるラインを理解し、欲に振り回されず生きて行こうという 要は各自身の丈に合った今ある

          足るを知る者は全く富まない

          こんな時代だからこそ強引さが必要

          同調、協調性、郷に入りては郷に従え、他人を思いやる心、譲り合いの精神 日本には素晴らしい考え方が沢山あります。 でも悲しいことですが、過去の遺物となりつつあります。 貧しいながらも成長を続けていた一昔前の日本なら、この考え方でみんなが豊かに暮らせたかもしれませんが 昨今は二極化が進み、強い者はより力を蓄え、力無き者は搾取され消耗して行くスピードが加速してきた中で 他人に譲ったり、長いものに巻かれ、右に習えで合わせて動いているだけでは立ち行かなくなることも少なくなく

          こんな時代だからこそ強引さが必要

          一日の重さの違いについて思ふ

          最近、Xで末期がんの方のポストがオススメになぜか出て来て、そこから吸い込まれるように、その人がガンを診断された後から最期のポストまで1年3か月間の投稿を読み終えて 気づいたことがあったので、ここに書き留めて置こうと想います。 私たちは平等を好むように教育されてきました。 どんな人でも平等に接しよう。人にはみんな平等に可能性ある。 あなたも私も、一日同じ平等に与えられた24時間365日なのだと、しかし大人になるにつれ、疑念が確信に変わり、理想と現実に乖離が生まれてきます

          一日の重さの違いについて思ふ

          幸せな状態は金持ち、有名、権力がある状態ではなく、ただただ○○な人

          ◇世に蔓延る勝ち組と言われる人の幻想 勝ち組、負け組、けっこう昔からある言葉ではないでしょうか。 人の人生、勝手に外野が勝敗つけるのはいかがなものか?と私は感じますが、やはり昔も今も変わらず その人の学歴、就いてる職種、役職、年収、資産、既婚者か否か?などを基準に勝ち負けを判定することが一般的に多いようです。 というのも、生産性が高い人はそれだけ社会から必要とされる有用性が高いということで、人間としての魅力も高いと思われる確率が上がるからです。 逆に生産性が低い、

          幸せな状態は金持ち、有名、権力がある状態ではなく、ただただ○○な人

          南船北馬で生きても良い。道を変えて行っても良い。

          ◇幸せを追い求める旅 わざわざ不幸になりたい人なんていないと想います。 幸せの形に差異はあれど、自分の思い描く幸せを求めて旅するのが人間であり、幸せになる為にどうして行けば良いか?を考え、紆余曲折しながら 進んだ先の景色に幸せを感じるか?それともまだ先に理想があるのか?歩を進めるか?否かを時間と能力と相談しながら決めて行く ここが自分の幸せだと思えば、そこを更に豊かなる土地にする為に耕せば良いし、そうでないなら、まだ旅を続ければ良い。 ただ、何もせず空を見上げて

          南船北馬で生きても良い。道を変えて行っても良い。

          目に映すモノを大事にしない現代

          ◆有象無象の情報、多種多様な人々の生活が垣間見える現代 便利で分からないこと、気になる情報何でも手軽にネットで見れる現代。 一昔前のネットがあまり普及していない時代ならば、本やTVで知り得た情報も今はその場でスマホ1つで見れてしまう。 そしてインフルエンサーたる者たちが流す、その人の商業的スタイル。他人の生活を一部切り取ったSNSの投稿 真偽や内容の濃さは別にしても、普通に生活しているだけでも受動的にあらゆる情報に浸って生きている現代の私たち。 普通に生活している

          目に映すモノを大事にしない現代

          他者からの共感に囚われなくても良い

          他人から共感されると、自分の気持ちを分かってくれる人がいるんだと安心しますよね。 まぁ…どこまで相手が分かってくれてるか?なんて分かりはしませんが、少しでも分かってもらえると、孤独から解放されたようで気持ちがスッキリしたり あと相手がしていること、共感出来る部分が多い方が好意も抱きやすいと思います。 何やってんだか、思考回路が良く分からない安心だとちょっと距離置いてしまいますよね。 共感されるって、凄く良いことだと思うのですが、最近は他者から共感されないことが、あたか

          他者からの共感に囚われなくても良い

          強くならなくても幸せに生きて行けるか?

          ◇”強くならなくて良い”は理想論? 強くならなくとも良い。人はみんな弱い生き物だ。このような言葉を目にするたびに、合っている部分と間違っている部分があると強く思います。 というのも、人間は傷つきやすさ(ストレス耐性)感じ方に差異が必ずあり、ジェットコースターを楽しいと思う人と、まぁ我慢できるレベルと、超絶トラウマレベルで恐怖を感じる人で分かれるように 脳が何を快楽、ストレスとどちらに感じるか?そして、その事柄をどの程度のストレス、快楽と感じるか?ストレスをどこまで許

          強くならなくても幸せに生きて行けるか?

          進化の先に虹が拡がる

          土砂降りの雨、凍てつく風に凍え、泥に塗れ、這いずっても前に進む。 過去を振り返り懐かしむことも時には必要かもしれない。でも今は前を見て生きよう。 人間も見違えるような進化を遂げることが必ず出来る。 それは数々の障害を乗り越えた経験の積み重ねが新たな姿を与えるように 進化を諦めなければ、高く遠くへ飛べる。 しかし自由と力には代償がある。 空に高く上がれば上がるほどに落下の危険性も増す、知らない場所へ旅すれば天敵に出会うこともあるだろう それでも臆することなく、己の

          進化の先に虹が拡がる

          生きる為に役立つ教訓80

          ①嫌なことは早めに終わらす ②行動の伴わない思考の繰り返しは悩みになる、行動の伴う思考をする ③他人に期待しない、同じを求めない ④最終的な決断は自分で下し、その結果の責任は自分で取る ⑤古くなった知識、考え方は容易に捨て、新しいものへ入れ替える ⑥一気にやるよりも毎日コツコツとやった方が効果がある ⑦相手は自分を映し出す鏡 ⑧当たり前の健康はこの先も当たり前だと思わない ⑨目の前現象に一喜一憂せず、次どうするか?未来思考で考える ➉人の悪い所を探さない、感

          生きる為に役立つ教訓80

          この先、どう転がろうが何とかなる

          あれをしようこれをしなきゃ、いつも何かに追いかけられているようにあくせく せわしなく目の前のことに追われ、駆け足で月日が流れて行く 忙しく動いている時は目の前の現象に対応することで頭一杯で余計なこと考えずに済むが、ふと立ち止まった時 未来に漠然とした不安を持つことが皆さんはないでしょうか? 私はあります。 残された時間がどんどん減って行く中で、このまま先に行って大丈夫なのか?と不安を超えて怖くなることすらあります。 先に行く=年を重ねる続けることなのですが、、お金か

          この先、どう転がろうが何とかなる

          【人の一寸我が一尺】他人の欠点は見えやすいだけで、自分よりも欠点が多いとは限らない

          ■昔から多い人間の心理が故にことわざも多い 人の一寸、我が一尺、人の七難より我が十難、人の背中は見えるが、自分の背中は見えぬ、人の針ほど我が棒ほど等々 このことわざの多さを見るだけで古来より、他人のことは自分のことよりも客観的に見えやすい。 又は自分の好き嫌いのバイアスがかかって、他人ほど良くも悪くも見えやすいというのは。今も昔も変わっていないのだと感じます。 特に今ほど移動手段が限られ、法整備がしっかりしてなかった古来は、その集団の中で自分に優しく、他人に厳しく見ら

          【人の一寸我が一尺】他人の欠点は見えやすいだけで、自分よりも欠点が多いとは限らない