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【雑記】間違うことは悪いことじゃない

こんにちは、もももと申します。

今日はずっと定期的に拝読させて頂いている、あるnoterさんの記事へ想いを馳せながら、少しだけ私の母への気持ちも重ねつつ、思ったことを書いてみようと思います。


今回ご紹介したいのは、うみのちえさんの記事です。記事と言うより、note全体かもしれません。


記事を拝読させて頂いての予想でしかありませんが、私はうみのちえさんから見れば、恐らくお子さんくらいの年齢ではないかなと思っています。


そんな私が、人生の大先輩に偉そうに言えるようなことは、もちろん何ひとつないのですが(^^;)


ただ、どうしても拝読させて頂く中で、自分の母への想いと重なる部分がとても多く、noteを通して母への気持ちを書くつもりで、自分の気持ちを書いてみようと思います。


もしかしたら、不快な思いをさせてしまうかもしれません。すべが同じわけでもなければ、見当違いな部分もあるかもしれません。


それでも、機能不全の家庭で育った一人の人間として、自分の親に対して、そして今後の自分の育児に対する気持ちを、温かい気持ちで読んで頂けると幸いです。


***



ちえさんのnoteには、ご自身が機能不全家庭で育ったAC(アダルトチルドレン)であること。そして、ご自身のお子さんの子育てで、自分は同じことを繰り返さないと思うあまりに、結果としてわが子を傷つけてしまったこと。


そういった過去を振り返る内容が、真摯に、丁寧に綴られています。


私自身が機能不全家庭で育っており、今現在絶賛子育て中のため、なかなかに他人ごとではなく、つい食い入るように読んでしまいます。


なかでも、とても強く心に残った記事を一部ご紹介させてください。

お前のせいで、
俺の人生はメチャクチャにされた!
絶対、許さない!
お前なんかが……お前のようなヤツが……
母親だと思うだけで地獄だ!
俺の人生は生き地獄だ!

繰り返し、何度も、叩きつけられた言葉。

イジメた当事者にではなく、
すべての責任を親に転嫁するのは、
幼稚な甘えだとも言えるけれど、
そうするよりほかないくらい、
深く傷ついていたのだと思う。

子どもは、生まれたことさえも呪い、
私のすべての言動を恨み、
私に対する殺意すら隠そうとはしない。


被害者から加害者へ。

子どもたちに背を向けられて、
私は時に嘆き、時に怒り、時に悲しみながら、
何度も何度も考えました。

私の努力ではどうしようもないことも、
正解のないこともありました。

あの時の自分の言動が過ち
だったのかも知れない、
と思い至ることもありましたが、
大半はどこでどう踏み外したのか
見当もつかないことだらけでした。

そしてまた今更、
自分と向き合う作業をしてみても、
何の意味もないような気分にとらわれました。

過ぎた日々は戻らないし、
傷ついたかつての私も、
傷つけた子どもたちの心も、
なかったことにはできないのだし。

それでも。それでも、もう一度、
はじめようと思います。

苦しみの中で訳も分からず、ただ嘆いて、
泣いて、蹲っているのは、もううんざりだから。

閉め切ったカーテンの隙間から突き刺す、
凶器のような日差しに怯えるのではなく、
堂々と日の光を受けて歩きたいから。


ひとつ目の記事の、息子さんの言葉。


この記事に出会ったとき、正直、私の過去の話かと思いました。


ほんの数年前まで、私自身も母の言動を恨み、生まれてきたことを恨み、母のせいで私の人生はめちゃくちゃになったと本気で思っていたから。


母の考える正義を子どもの頃から押し付けられ、彼女の言うとおりに自分を殺して生きてきた。


そうしないと、家に置いてもらえなかったから。生きていけなかったから。


家を飛び出して、どうなったって自分の力で生きて行くような勇気や根性が、当時の私にあれば良かったのかもしれませんが(^^;)


母さんのせいで私の人生は何もかもクソみたいだ。そんなに私が気に入らないなら、生んだお前が責任もって殺せよ!私だって生まれてきたくてこんな世界に生まれたわけじゃないんだ!!!


まだ学生だった頃、いつものように「あんたは人としておかしい」と責められたときに、母に包丁を渡しながらそんなことを言ったと思います。


それを聞いて、母はただ泣いていました。


だけど、同じくらい私の心も限界で
泣いていました。


全部が全部、母のせいではないことくらい分かっていた。でも、もっと可能性はあったはずだった。こんな生き方をしなくてもいいはずだった。


当時、思えば思うほど、母への怒りや憎しみは止まりませんでした。


もっと、今の私のままでいいのだと、
そう認めてくれていたら。


世界で唯一の母親という存在だからこそ、絶対的な味方でいてほしかった。私の良い部分、悪い部分、その全部を愛してほしかった。


母のことが大好きで愛していたからこそ、その絶望感や失望感は大きく、愛情が怒りや憎しみへと変わったのだと思います。愛と憎しみは表裏一体。きっと、本当にそうなのだと思います。


あなたはどんなあなたでもいい。
どんなあなたでも愛してる。


きっと、それだけで良かった。


だから、ちえさんが記事に書かれていた息子さんの言葉。私にとっては決して他人事とは思えませんでした。


何も知らない他人から見たら、親にそんなことを責任転嫁するなんて「甘えてる」と言われるかもしれません。


でもね、「普通」に生きられない人間が、自分の力だけでは生きることが出来ない幼少期に、一番身近な親すら味方になってくれない状況で、どれだけのコンプレックスを抱えて生きて行くのか。


「生き地獄」と言った息子さんの言葉。


本当に「生き地獄」だったのだと思います。私自身はもう、あまり思い出したくはないし、覚えてもいないのですが(^^;)


ただ、私がちえさん凄いなあ・・・と思ったのは2つ目の記事。


確かに、過去はもう戻らないのです。


私にとっても、母にとっても。


私の幼少期が散々なものだったことは、親を責めても、はたまた今更親に謝ってもらっても、残念ながら何ひとつ変わることは無い。


謝ってほしいなんて、思ってもいません。


だけど、母に知ろうとしてほしかった。
理解しようと、寄り添おうとしてほしかった。


この気持ちは今でも心のどこかにあります。


なぜ、当時の私がそこまで追い詰められていたのか。私が母との関係をどう感じて、何を思っていたのか。何に苦しんでいたのか。


例え理解できなくても、共感できなくてもいい。


「娘のことを知りたい」
「もう一度向き合いたい」


そう思う母の姿を見るだけで、きっとあの頃の私が救われる部分もいくらかはあると思うから・・・。


残念ながら、私の母はとてもプライドが高い人なので、私の報われない片思いはひっそりと続いていたのですけれどね( ;∀;)


私の母は、娘の心が離れていきつつあることに気づいて、それを取り戻すため表面的に「ごめんね」と言うことはあっても、何がごめんねなのかを真摯に振り返ってくれることは基本的にありませんでした。


何度も同じことを繰り返しては、母への伝わらない想いにどうしようもない絶望感を抱き、ようやく母との距離を取ることを決めたのが5年前。


だけどね、どこまで行っても、何をされても、母親ってやっぱり母親なのだな・・・と、今でも思っている部分はあります。


結局、母を心から憎むことは、たぶんできない。


愛してもらった記憶も確かにあるから。


***


ここからは、今子育てをしている自分に言い聞かせる内容かもしれません。


子育てで間違うこと。


これはきっと悪いことではないのだと思います。


誰だって100%正解の道を歩むことなんて不可能なのだから。


親が子どもに対して「出来ればこういう風に育ってほしい」と望むことは、見方によっては親の「エゴ」なのかもしれない。


でも、私は別にそれで間違ってはいないと思っています。


企業だって、政治だって、何の方向性も無く、何の方針も無く進めば、何の結果も生み出すことは無いのだから。


それは、子育てだって同じことだと思う。


ある程度の親としての方針や方向性は必要だと思うし、それがなければ、そもそもどちらに進んでいいのかすら分からない。


だけど、そこで絶対に忘れてはいけないのは、子育ては「相手」があって初めて成り立つものだということ。


自分の方針を押し付けすぎれば、それは間違いなく「エゴ」以外の何物でもなくなってしまう。


親として決めた方針が、実際にわが子に合っているかどうかは、正直やってみなきゃ分からない。


きっとトライ&エラーの精神なのだと思います。


時には、自分の決めた方針が間違っていた。わが子には合っていなかった。その結果、傷つけてしまった。なんてこと、普通にあると思う。


だけど、大事なことは「間違わないようにすること」ではないのだと思う。


間違った後に、何を想い、どう動くのか。


たぶん、こちらの方が大事なのではないかと思うのです。


私は自分の母の子育てについて、一部はとても良かったと思っているし、でも反面真似したくない部分もたくさんある。


「あの時こうして欲しかった」という思いだって、正直たくさんある。


でも、別に今だって本当は手遅れなんかじゃないとも思っています。


間違いに気づいたら、その場、その日から歩み寄る努力をすればいいのだと、今でもそう思っています。時間はかかるかもしれないけれど。


実際のところ、私と母は現在もあまり歩み寄ることは出来ていないので、そう簡単なことではないのも重々分かってはいるのですけれども(^^;)


それでも。


少なくとも、私は母親として、息子に歩み寄る努力を続けたい。


親だって所詮数十年程度しか生きていない人間。


間違ったっていいじゃない。
そりゃ、間違うさ。当然でしょ。


でも、もしどこかで間違いに気づいたら、素直にそれを認めていったん立ち戻れるように、お母さんは頑張るよ。


だから、なるべく君の傍で、君の幸せな姿をお母さんにも見せてほしいな。


ちえさんが記事で綴られている、これからの想いを読ませて頂き、母親として息子に対しそんなことを想いました。


ちえさん。


私には、全て分かっているわけではないけれど。


でも、絶対にちえさんの振り返りは無駄ではないと、私は思います。


どんなことになっても、親子はやっぱり親子。


時間はかかっても、いつからだって、どこからだってやり直せると、私は今でも自分の母に対して、娘として思っています。


例えそれが、生きているうちに叶わなかったとしても・・・。


それでもやっぱり、彼女は私にとって世界で唯一の母であり、私は娘です。


とても長くなってしまいましたが、うみのちえさんの記事を拝読させて頂いて、自分の母への想い、そしてこれからの自分の子育てに、改めて向き合うことが出来たような気がします。


出来ましたら、これからも記事を拝読させて頂けると幸いです(*^^*)



つたなくお見苦しい文章かもしれませんが、最後までお読みいただきありがとうございました(*^^*)


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