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平成天皇夫妻と政治的右派の暗闘 : ケネス・ルオフ『天皇と日本人 ハーバード大学講義でみる「平成」と改元』

書評:ケネス・ルオフ『天皇と日本人 ハーバード大学講義でみる「平成」と改元』(朝日選書)

外国人研究家による、平成天皇ご夫妻に関する評価を率直に語った一書。
著者による評価は、おおむね一般的日本人にも同意できるところだろうが、そうではない部分でも、そのタブーの外にいる率直さには好感が持てる。

私自身は「昭和天皇は戦争責任を取って自決すべきであった」とか「天皇制は、今の皇室にとっても人権無視の差別制度であって、廃止すべきである」 などと公言する人間だが、そんな私でも日本人ゆえの死角があることを教えられ、その点でとても勉強になった。

そんな本書で、私がいちばん興味を持ったのは、平成天皇と今の日本を牛耳る「政治的右派」との暗闘である。この点についても、著者は外国人として忌憚のない評価を与えており、今の政治に深く興味を持っているわけではない一般の日本人には十分に気づかれていないであろう「政治的右派のホンネ」を呵責なく指摘している。

『それ[(※ 靖国神社に)天皇が参拝しないこと]は、天皇による厳しい非難のように見えます。なかにはそう思っている人もいるでしょうが、右翼(※ 政治的右派)は天皇のことなど気にして(※ 反省してなど)いないのです。彼らにとって、天皇は自分たちの大義を主張するための道具に過ぎないのです。』(P150)

そうなのだ。戦後政治の現実に興味のある人ならば、このくらいのことは当然知っているだろうが、一般の日本国民は「国体としての天皇制」や「日本の国柄」や「美しい国」を強調する、安倍晋三政権や日本会議や神社本庁のホンネが、奈辺にあるのかを正しく理解してはいないだろう。理解していれば、あんな白々しい物言いをする人たちを信じる気になどなるはずがないからである。

政治的右派は、敗戦による新憲法制定の際には、天皇が、最高権力者たる「国家元首」から、権力を持たない「象徴」に格下げされることに抵抗したが、今では、弱者や辺境の人たちへ手を差し伸べる「天皇の旅」について「天皇の仕事は、国家安泰を祈ることで、そんな余計なことはしなくていい」という趣旨のこと言ったり「生前退位発言は、象徴の仕事を逸脱した政治的行為だ」と非難するなど、手のひら返しに、天皇を非人間的な「象徴」に押し込めようとさえしている。
これは、天皇が自分たちに都合の良い時には「最高権力者」であって欲しいし、自分たちの意に添わない場合には「象徴という木偶の坊」であって欲しい、という身勝手な言い分なのである。

私は、平成天皇ご夫妻の生き方に共感し、その生活の安らかならんことを祈る、当たり前の日本人の一人でありながら、それでも天皇制は無くした方が良いと思う。
政治的左派の中には「日本人は天皇なしにはやっていけない」という理由で、いわば天皇制を消極的に肯定する者もいる。それは、ある種の現実的選択として、私も理解できないではないのだけれど、しかし何よりも、敬愛する平成天皇ご夫妻のためにこそ、人権を無視してまで不自由を強いる「天皇制という差別制度」を廃止すべきだと思わないではいられない。

私たち日本国民は、いつまでも天皇に甘え、犠牲を強いていてはいけないのではないだろうか?

初出:2019年1月27日「Amazonレビュー」

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