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【短編】『盗人訪る』

盗人訪る


 ちょうど肌寒くなってきた時分のことである。吸い込む空気吐き出す空気が冷たく、味覚聴覚嗅覚はたまた感受性までも一層鋭く研ぎ澄まされて、皆風流とは何かを探し求めるのである。私は彼女の目の先にある赤い椿を見て、なんとしなやかで優美な花かと見惚れていた。すると、彼女は振り返り私に尋ねた。

「あなたもおわかりになりますか?」

「ええ。」

「とても美しい色になられて、眺めているとなんだか心が洗われますわ。」

「とてもしなやかで、まことに優美であります。」

「そうですわ。この花で一句お読みしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんでございます。」

「少々お待ちくださいまし。」

と彼女は言って、花弁の方を見上げた。そしてどこからか強い風が吹いて一輪散っていく姿を見ると、何か思いついたのかのように笑みを浮かべて歌い始めた。

月出て
盗み見透き
後追うと
姿見えぬも
房落ちる音

「いかがでしょうか?」

「なんと見事な。木枯らしを盗人と勘違いしたということですね。見透きというのも、障子か何かで盗人を透かして見たことと、冬が秋を盗みに来たことを予測したという二通りの意味を込めたのでございますね。久方ぶりに上手な短歌を聴きました。」

「かたじけないです。それより急に話しかけてしまってすみませんね。挨拶を忘れていました。この屋敷に住む千鶴と申します。」

「私、流浪人をしている粂井と申します。ちょうど通りかかった際にこの椿がなんとも美しいので、ついお屋敷に入り見入ってしまいました。どうかお許しを。」

「とんでもないです。それより流浪人でしたとは。そのようなお方でも風流をご存知で。」

「ええ、私こう見えても大名殿のお城に仕えていたことがあり。」

「そうでございましたか。それはとても興味深いですわ。」

「いえ、滅相もございません。さて、ここいらで私はお暇します。」

「もう行ってしまわれるのですか?」

「はい。先を急ぐものでして。」

「そうでございますか。短い時間でしたが粂井さまとお話できて楽しゅうございました。どうかお気をつけて。」

「かたじけないです。千鶴どのもどうかご自愛ください。」

と言って屋敷を去った。

千鶴はというと、再び椿の方に心惹かれ赤子を寵愛するかの如くその枝や花弁に優しく指先を触れた。そして、地面に目をやったかと思うと先ほど落ちてしまった一輪を手にとり屋敷の中へと戻っていった。

 その夜、千鶴や母上、父上、そして下男たちが寝床に着くと、僅かながら何者か廊下や部屋の外を彷徨く音がするのである。それに気付いた下男の一人が屋敷の灯をつけるが、何者も見当たらないのだ。おかしいと思い各部屋を探し回っていると、一度見たはずの物置部屋が荒らされているのを発見し、直ちに叫んだのだ。

「盗人だ!盗人が現れたぞ!」

屋敷中の人間は一斉に跳ね起き、家の中をくまなく探し始めた。

 千鶴は突然の騒ぎに呆気にとられ、下駄を履いて外に出てしまった。すると、何者かが俊敏な動きで去っていく姿を目にしたのである。しかし、全身を黒いもの覆っているせいか何者か検討がつかなかった。そして、急に立ち止まったかとお思うと、木陰の方に身を隠したのだ。

 他の者たちが家中を探し回っている中、千鶴だけは一人庭に出て盗人が逃げ去るのを警戒しながら観察していた。一度椿の方に目をやると、昼間には立派に咲いていたはずなのに、一輪だけが萎れているのである。すると、屋敷の中から下男たちが盗人はどこだと叫びながら庭の方に出てきたかと思うと、ちょうどその萎れた椿が揺れて地面に落ちた。千鶴はその一輪の花が散った姿が自分の歌った一句と重なり、不思議と涙をこぼした。その瞬間ちょうど散ったあとの椿の隙間から、今朝出会った粂井さまが顔を出したのだ。そして、すぐに布で顔を覆うと入り口の方へと走り去ってしまった。千鶴はなんとも風流を心得た盗人かと感心したのである。


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