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カルチャーショックと挫折。

2回目のドイツ語の語学学校が始まった。


今月はずっと行きたかったレベルが開講したので、これから習う文法などを少し予習をして、3週間のクラスに挑んだ。

クラスは1/3がウクライナ出身という、あいかわらず世界情勢を感じるメンバーだ。他はアメリカやカナダの人たちと中国出身の人たちが占め、あとはインドとポーランド、そして日本人(私)がそれぞれ各国1人いる十数人のクラスだった。
ウクライナ・ポーランドを始めとするヨーロッパの人たちはすでに2,3言語以上話せる人が多く、質問に必要な英語力もしっかりと持っている人が多いので言語習得力が格段に早い。
インドも宗教などは違うものの、そもそも多言語の国なので3,4つすでに習得していることが普通らしく、やっぱり習得が早い。

一方でアジア人の英語力は低く、私も含めて母国語と英語が少し……という人が多い。「ヨーロッパとアジアでは言語のベースが違うから仕方ないよ」とフォローしてくれる多言語話者がクラスにいた。その通りなのかもしれないけれど、一緒に授業を受けている間その差をずっと感じることになる。
正直、悔しいし苦しい。

ヨーロッパおよび英語圏の人が1回聞いて理解できることが、他の地域から来た人は理解できていない。仕方がないとはいえ、やっぱり辛いところだ。
何かしらのヨーロッパ系の言語を1つ習得してしまえば、他の言語の習得スピードも多少上がるのだろうけど、1言語目の壁はなかなか高く、厚い。


最近動物園で出会ったコンパクトなペリカン。
寒いからかずっとこの姿勢で、ペリカンだと気づかなかった


クラスを担当する先生とは、私は初対面だった。
ほとんどの人が初対面だったようだけれど、先月のひとつ下のクラスから上がってきた人が半分くらいいるので、すでにクラス内の関係性が構築されている。そんなクラスの中に入った私は、どこか転校生のような感覚があった。

関係性がすでに築かれている場所にぽんっと放り込まれる感覚は、ドイツに来たときとも、日本で転職して新しい会社に来たときともまた違って新鮮だ。なかなか味わえない。
初日はそんな感覚を楽しんでいたのだけれど、1週間のうちに色々と問題がボロボロと出てくることになる。


例えば、以前ひとつ下のクラスで教わったところと全く別のところから授業が始まるとか、直説法などを使った単語解説がなくなったこと、質問は英語かドイツ語のみなので、英語が話せない人間の立場の弱さが増してしまったこととか。

些細だけど地味にダメージだったのは、先生の板書する文字がかなり筆記体に近いために、筆記体に慣れていない私には解読だけで時間がかかってしまうことだった。

ほかにもこのサイズの問題は無限にある。
それぞれは些細で、ちょっとの慣れや努力で乗り越えられることなのだけれど、それがいくつも重なるとずっしりとした手枷足枷のように感じられた。


でも、こんなことでドイツ語を学ぶのをやめるのは本意ではない。
学ぶのを諦めるとかそういうことは、文法とか単語の複雑さとか、そういうドイツ語本体の壁にぶつかってから考えたい。
だからここは慣れるまで頑張ろうと思った。


しかし知らないことや慣れないことを乗り越えるハードルは、自分に不利だったり慣れない場所だと高く見えてしまうのも事実だ。
カルチャーショックが、実際よりも壁を高く強固なものに見せてしまう。


最近の小さなカルチャーショック①。
不思議な形のかぼちゃ。きっと食べられないのもあると思う(特に手前)


最初のカルチャーショックは、先生が生徒を指名して回答を求めているのに、他の人が答えてしまうことだった。
前のクラスにも先陣を切って答える人はいたけれど、他の人に与えられた回答権を横取りして答えることはあまりなかった。

そして回答権を奪って答えても、それが正解ならば、先生はその回答権を奪取した生徒を褒める。つまり「 奪ったもん勝ち 」なのだ。
そうなると当然、回答権の強奪が日常の風景になる。ただでさえついていくのに精一杯ななかで、答えられる問題に指名されて答えようとしても、横から別の誰かに回答権を奪われるのは、かなり精神的にくるものがある。


前のめりで授業を受けるのが欧米の授業スタイルだと聞いていたけれど、あれは大学の講義でやるものだと勝手に思っていた。そして、他人に渡った回答権を横から奪うのは想定外だ。

前のクラスにも「ハーマイオニー」と勝手に心で名付けたくらい前のめりな人がいたけれど、今のクラスの人たちは余裕で彼女を凌駕している。そのうえ前よりもそういう人がたくさんいるので、むしろそれが「 授業の受け方として正解」となってしまっている雰囲気がある。
だから先生も注意もしないし、回答権を奪われてしまった人を先生がもう一度指すこともしないのだ。指名されて回答権を奪われただけなのに、まるでお手つきを食らったような気分になる。

それに負けじと奪い返すほどのスキルもない私は、ただただ奪われる隙を与えないように身構えるしかない。それでも、奪われることもあるのだけれど。


最近のカルチャーショック②。
屋上にも個性がありまくるガウディ建築。
観光地化する前は、家主しか見られなかっただろうに

2つ目のカルチャーショックは、授業前に授業内容をほとんど理解していることが前提の授業だったことだ。

私が受けているのは「A2.1」という入門からちょっとだけ足を出したくらいのレベルなのだけれど、ほとんどの人が「A2.2」やそれ以上の語学レベルを持っているようだった。

だから授業で教わっていないことを当たり前のように先生が聞くし、それを当たり前のように生徒たちが答える。
授業が「 教わる場 」ではなくて「 復習の場 」という感じになっていた。

もちろん一度授業でやったことや、宿題の確認などはほぼ行わない。
ずっと予習や独学でやったことを確認する復習だけを続けていく。私も日々時間の許す限り予習をしていたほうだけど、ついていくのが難しかった。


海外の大学はこのシステムで授業が行われていることが多いのは知っている。「本を読めばわかるものや自分で学べるものは、自分でやっておけ」というスタンスだ。
授業はただ聞くのではなく積極性が求められるから、前のめりで授業を受けるのが当然。そういう文化もあって、より事前に自分に知識を貯めておかないといけないのだろう。

だから海外の大学生はよく勉強するというのはよく聞く話だし、海外ドラマや映画などで見る、大量の本を抱えてキャンパスを歩く大学生が誇張でもなんでもなく実在するということも知っていた。
そして私はそんな環境下で勉強することに、少し憧れを感じていた部分もあった。


ただそれなら、このクラスからそうなると事前に言ってほしい。
一般的な大学なら大体3ヶ月~半年くらい授業が続く。だからその間に巻き返しもできるかもしれないが、このコースは3週間しかない。
その分学ぶ幅が狭いとはいえ、知識を蓄えているうちにコースが終わってしまうのだ。

もちろん初日に配られた教科書の順番どおりには授業も進まないし、授業で話すこともあまり板書しない。(しかもさっき書いた通り、板書も筆記体っぽくて読みにくい)だから話を聞き取れないとすべてが理解できなくなる。
焦った私は、学校の図書室で文法書を借りて、ドイツ語の文法用語を改めて確認していった。

他の言語でもそうなのかもしれないけれど、ドイツ語の文法解説は、ドイツ語で行うのと日本語で行われるのとでは説明が違うことも多い。
特に文法用語は、ドイツ語の文法用語を日本語に訳す段階で全く別の名称になっているものもあるから、ドイツでは全く通じなくなっているものもある。

だからドイツ語で書かれた文法書で文法用語を学び直すことで、文法の解説を瞬時にかつダイレクトに聞き取れるようにしようとしたのだ。本当はもっと早くやっておけばよかったのだけど、授業という機会を無駄にしないために、今からでもやれるかぎりやるしかない。
すぐには乗り越えられそうにないが、壁を超えるためにはどんな状況からでも、登り始めるしかないのだ。


ここまではカルチャーショックを受けながらも、なんとか「 頑張ろう 」と思えたことだ。ずっと日本で生きてきたのだから、このくらいのカルチャーショックはあって当然で、それは慣れていく必要がある。
そうやって理解することが、こうやって他の国で勉強する醍醐味だと思った。


けれど先週の後半、どうしても受け入れられないことが起きる。


小さなカルチャーショック③。
ケーキにフォーク刺さりがち

私は先にも書いた通り、このレベルから授業のシステムが変わることを知らず、授業の予習もその他の準備も足りていないため、木の棒と布の服でかなり格上のボスに挑んでいるような感じになった。
出遅れて予習するにも限界があるので、当然分からないことだらけだ。


先生は生徒内で理解度の差があることを理解していたようで、授業のはじめに「わからないことがあれば質問して」と言っていた。
そう言ってくれるのはとてもありがたいので、私もカタコトのドイツ語で質問するようにしていた。恥とか伝わらなかったらどうしようとか悩んでいる場合じゃないのだ。


しかし先週の木曜日、授業中に質問をしたら先生は吹き出すように笑った。

場面は、ドイツの教育システムの説明をしていたときだった。
ドイツの教育システムはとても複雑で、他国の教育システムとはかなり違う。にもかかわらず、先生はドイツの教育システムありきの質問をしていて、その教育下で育っていない中国出身の人がどう答えればいいのかと、回答に困っていた。

多分クラスのほとんどが回答の仕方がわからないから、いつも回答権を奪い合う人たちも奪い合わない。語学学校には外国人ばかりなのだから、これを迷わず答えられる人はその場にはいなかったのだ。

だから私も質問をしたのだけれど、その質問が先生にとってはおかしかったらしい。吹き出して笑うほどだったのだから。
でも私からしたら、外国人にドイツの教育システムに則った質問をするほうがおかしい。「わかって当然」と思っているほうがおかしい。


結局私は、吹き出すように笑われ「なに言ってるの?◯◯は◯◯よ。言ったじゃない」と笑い話にされた。クラスの人たちもそのコメディのように話す先生につられて笑う。

私はもちろん、まったく笑えない。
なんで笑われているのかもわからなかった。
そういうことじゃない。でも、細かい説明をするには、私にはドイツ語も英語のスキルも足りなかった。


この国に来て、語学学校の生徒や町中でも相手にされなかったり、こちらの意図する理解をされない経験はすでにたくさんしている。
だから不本意ではあるけれど、先生から笑われるのも受け入れるしかないのだろうと思った。質問の仕方が良くなかったのも確かなので、次は気をつけようと思った。


しかしその後さらに、問題が続く。

小さなカルチャーショック④。
お肉にもフォークとナイフ刺さりがち

同じ先週の木曜日。
授業中のワークでやることを聞き取れず、私のやっていることが間違っていたらしい。だから改めて何をすればいいか聞いたときのことだった。



先生は鼻で笑った。


流石にこれは、聞き捨てならなかった。
さっきも書いたように、質問をしていいと言ったのは先生だ。そして中国人は中国語で助け合っているし、ウクライナ人はウクライナ語でお互いを助け合っている。英語圏の人は英語で助け合いもするし先生に英語で質問もする。

なのに、ドイツ語で質問した私だけ笑われた。
英語が話せず同じ言語で助け合える仲間もいない私した、カタコトのドイツ語の質問だけ、なぜ鼻で笑われるのだろう。「鼻で笑う」ことが侮辱ではない国なのかもしれないけれど、質問に笑う要素は一つもなかった。



「 なんで笑われたの? 」という言葉が、頭の中を渦巻く。



鼻で笑われた後すぐに授業が終って、私は家に帰ってきた。
宿題をしようと机に向かった。


けれど教科書を開くことへの嫌悪感が凄まじく、ノートに書かれたドイツ語が全く読めなくなった。
自分のどこかがドイツ語を勉強することを完全に拒否していた。
心の底から、今はドイツ語に関わりたくないと思った。


先週急に起きた授業システムの違いによるカルチャーショックと、助けを求めたら相手にされないどころか笑われたという出来事に、ショックで何も考えられなくなってしまった。

町中で相手にされないのとはわけが違う。
3週間で十数万のお金を払った上、質問も許された環境で相手にされないのは想定外だったのだ。教わるために学校に行きっているのに、うまく話せないから笑われるのは、流石に納得がいかない。
しかも生徒ならまだしも、教える方の人間に笑われるなんて思ってもみなかった。

ニョコロ* は ライフ を 1 奪われた


これはきっと「挫折」だ。
あまり使いたくない言葉だけれど、ここまで意欲を削がれに削がれた1週間は人生で初めてだったかもしれない。


私は日本の大学では前のめりに授業を受ける方だったし、失敗を恐れない方という自覚もあった。そうじゃなかったら、アラフォーでありながら今までやっていた仕事の大半を一旦やめて、2年だけ海外にくるなんてことはしない。普通に考えたらリスクばかりだ。

でも生きていればどうにかなるだろうと思っている部分もある。
なんなら「ただでは起きないぞ」という気持ちで今を過ごしている。自分の足りないスペックも理解した上でチャレンジしていたつもりだった。


けれど、この週の出来事は私には刺激が強かったらしい。
「井の中の蛙大海を知らず」ってこういうことなんだろうな、と思った。
出来ているつもりのまま「茹でガエル」になる前に、気づけてよかったのかもしれない。


そして、不安と混乱のフィルターがかかった中でのネガティブな出来事は、人の意欲や気力に会心の一撃を与えるのだと知った。



自分の中でこんなに拒絶する感覚を覚えたのも、今までなかったような気がする。覚悟して来ていたとしても、言葉の通じない環境で生きているというのは、それだけで負のフィルターがかかりやすいのだろう。


ラベンダー色のフィルターがかかったような空。

海外で働く人にはこんなことが日常茶飯事で、むしろこんな些細なことでショックを受けている私を弱く、未熟だと思うかもしれない。

そして日本語以外の言語をほとんど話せないまま海外にくる私が、勉強不足にも見えるだろう。実際、不勉強だったと思う。
タイムスリップして中学生からもう一度英語を学び直しても、今話せるようになっていたかは、正直疑問だけれど。
とはいえ、もう一度受けることはできない日本の英語教育を今更疑っていても仕方ない。(ちょっと恨んでいるけれど)



では、どうするか。
一旦「挫折」したとはいえ、今後どうするのかは自分で決めないといけない。



色々あるけれど、ドイツ語は勉強したい。
せっかく手を出したのでもう少しものにしたいのだ。
可能ならドイツ語で街である程度コミュニケーションがとれることと、ドイツ語の本を読めるようになりたい。
ドイツ人からドイツのことを色々聞くことに興味があるし、ドイツ語の本は日本語に翻訳されていないものが多いので、原書で読めるのは絶対楽しい。


でも、今のクラスを乗り越えるには、私は知識も心構えも足りていない。
そして何よりも、真剣な質問をちゃかしたり鼻で笑う先生には教わりたくない。これは多分文化差というより人間としてのマッチングだと思う。


日本でも「なに怒ってるの?冗談じゃん」と言いながら人を傷つける人がいるけれど、同じ匂いを感じている。

私が自分の言語力になんの後ろめたさもなく、しっかりとクラスの輪に入れた状態で言われれば、このくらい気にせず跳ね返したかもしれない。そうじゃないときに言われたことが良くなかったところもあるだろう。

ただ、それを理解してもらうのは無理だとわかっているから、クラス替えを求める。それが双方にとってダメージ少ない提案だと思った。
どちらも無理することなく、解決できる可能性が高いのだから。


そして今のクラスのあり方が「この先生の方針」なのか「学校の方針」なのかもわからないけれど、こういう進め方もあると考えれば、よりハードな状況に合わせられるだけの知識とスキルが必要で、その準備に時間がほしかった。


なので私は今受講しているクラスの進め方の話と、クラスで起きたことを語学学校の事務の方に伝えた上で、受講するクラスを1ヶ月後ろにずらせないかとメールで相談することにした。
メールは英語やドイツ語が流暢に話せなくても、翻訳ツールが使えるので本当に助かる。


すると、相談のメールを送って20分ほどで、クラスに監査が入るというメールが届いた。
これが偶然か、私のメールによるものかはわからない。
そして「監査が入る」と分かれば、先生も問題だと思われそうなことはしないだろうし、きっと問題は見つからないだろう。
けれどもし私のメールによるものなら、このスピード感には感謝したい。


そして数時間後、相談した事務担当の方からも返事が来た。
不快にさせたことに対する丁寧な謝罪とともに、学校のトップも事態を把握していること、私に今受けているレベルのドイツ語スキルは間違いなくあるという話と、「先生は明るくて笑いの絶えないクラスだと言っている。だから気にせず引き続き学校へ来て、授業で質問してほしい」というような内容だった。


その笑いの絶えないクラスになるネタとして、私の救いを求めてした質問が使われてしまったわけなのだけれど。
きっと返事をくれた人は知らないのだろう。


金曜日にそんなやり取りがあって、土日の間、月曜日から再び語学学校へ通おうと勉強をしたり心のなかで折り合いをつけようしていた。

このくらいでくじけている自分が悔しかった。先生に隙を見せず、にらみつけるくらいの気持ちで授業に臨んでもいいのではないかと思っていた。

でも散々悩み、日付が変わって月曜日になっても「行こう」という意志を固めることはできなかった。


起きた出来事が鮮烈に残りすぎていて、ドイツ語の勉強をするたびにそのときの出来事がフラッシュバックしてしまうのだ。当然勉強の進みは悪くなる。時間がかかるばかりで何も覚えられないし、意欲は全くあがらず、そんなうまくできない自分に苛立ち、焦燥感が増すばかりの土日だった。


深夜のうちに語学学校には、迅速な対応のお礼とともに「私が本当に困っていてした質問が、その『笑いの絶えないクラス』に使われた」ということを含みつつ、改めてクラス変更を頼むメールをした。


やっぱりサグラダ・ファミリアの中はすごかったな


自分の心は自分でしか守れない。
「 面倒な生徒」になったとしても、まずは自分の気持ちを優先していいということは、この国に住んで知ったことだ。
そして、何かを言わない限りそこにある感情を察してくれる人はいないのだから、言うしかないのだ。


そして幸いなことに、今は意欲をかなり削がれているけれど、ドイツ語学習そのものが嫌いになったわけじゃない。だから、少し時間を置いてもう少し勉強して挑めば、この挫折も乗り越えられるような気がしている。
そういう意味でも、今は語学学校との距離が必要だ。



もし振替の希望が叶わなかったとしても、自分の気持ちを大切にこの挫折から抜け出していこうと思っている。金銭的にはかなり痛いけれど、また次の手を考えよう。



今は「 挫折 」だけれど、このままでは終わらせないつもりだ。

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