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【目印を見つけるノート】569. 七転び八起きとジャン・バルジャン

先日、空を見ていたらすっ転ぶというドジをやらかしてしまいました。

それで右足首の捻挫と左膝の擦過傷という仕儀とあいなりまして、「これは全治2週間かな」と覚悟しました。でも今回は割と治りが早く、きのうは階段の上り降りも及第点、今日は腫れもなくなり痛みも減り、回復の早さにびっくりしています。また、私は傷が化膿しやすいのですが、それもなく。

最初に右足首を捻挫したのは中学の移動教室でした。下田の宿舎の廊下を走っていたらすっ転んで、翌日の爪木崎ハイキングはひとりキャンセル。宿舎でみんなをぼーっと待っていました。でも、あの移動教室はむちゃくちゃ楽しかったです。ロック好きが多いのも分かったし😆

さて、
せんだっての木曜日、転んだのはRayさんの移動教室の見送りの帰りでした。奇しくもRayさんの学年は私の転んだのと同じ。何かね、猛烈なデジャ・ヴュが来ました。Rayさんは私のように転んだりはしなかったようです。それでいいのだ。

私はよく右脚をケガします。
捻挫も下田を皮切りに、たくさんしています。印象的だったのは羽田空港ですっ転んだこと、あとは桂浜(高知)に下りる階段で足を踏み外したことでしょうか。桂浜のはデニムが破れてしまいました。龍馬さんの真似でもしたくて焦ったのでしょうか。最近は新宿駅西口ですっ転んで黒タイツがビリビリの流血ホラー状態になりました。

それら豊富な経験値😅をもとにして、年齢もかさが増えましたので治りが悪いだろうと踏んだのですが、中学のときより治りが早いのは奇跡的です。
大したことにならず本当に感謝しています。ありがとうございます。

「七転び八起き」といいます。
この言葉を見ると、私は『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・バルジャンを思い出します。ケガもけっこうしている方ですが、それどころではない。
家族のためにパンを盗んで、脱獄を繰り返したために懲役都合19年、その内には過酷な採石の労働もやらされました。看守やらに非人道的扱いをされてようやく出所したときには46歳になっていました。本題はそこから始まります。世間の風の冷たさにまた元来た道に戻りそうになったとき、ミリエル司教に出会ったことがジャンのその後を決定づけます。
あらすじはこれぐらいにしておきますが、艱難辛苦、不撓不屈という言葉はこの人のためにあったのではないかというほどの難に出くわし超えていきます。そう、七転び八起き、最後の最後まで誰かのために力を尽くす姿に小学4年生の自分は涙したのでした。

いまだにミリエル司教のシーンと最後のシーンを目にすると滂沱の涙に暮れてしまいます。
うわーん😭💦わーん😭
ある意味、私の人生も決定づけてしまったかもしれません。

あれほど不撓不屈な方はなかなかいないと思いますが、人はどれだけすっ転んでもまた起きようとする本性を持っているというのも強く感じたのでした。かたき役のテナルディエやジャベール警視にしてもそうです。読者は彼らにバチ当たりな言葉を叫びたくなるでしょうが、彼らもまた人で転んだり起き上がったりして生きているのです(小説ですが)。

ということで、
転んでケガをすることでもいろいろ思いを馳せられるのだなと思いました。

今日は雲が面白かったので、置いておきます。
空を撮っていると、通りがかりのご夫婦が私の撮っている方を見上げて、
「ああ、龍だね」
「そうね、龍ね」
とおっしゃって去っていきました。
私は何となく、嬉しいなって思いました。
(その写真は今回は割愛しています。写真だと今一つなのでした)

トンボも再び、撮れたのです。

人慣れしているのだというのが分かりました。

何かを待っているような。

今日は日曜の夕方に似合いそうな曲を。
JOHN MAYER『Waiting on the world to change』

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

追伸 そして竹内まりやさんの『人生の扉』を聴きながらまた泣いているのでした。

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