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「共生」は「格差」に鈍感な件(3)「労働」の問題が隠れてしまう

▼前号は、せっかく「外国人材」を教育できるいいシステムがあるのに、厚労省の縦割りのせいで機能していない現実を確かめた。

その続き。

▼まず、移民問題の報道では毎日新聞ががんばっているが、惜しかった件。

〈毎日新聞は、社説で「600時間以上の語学教育を保障しているドイツのような制度の導入を目指すべきだ」(2019年3月31日付)と述べる。これは、新入管法に伴う数少ない積極的な提案の一つだが、掘り下げが浅く現行制度の問題点にまで行きついていない。

教育、社会保障など他の領域でも、移民をないがしろにすることで同様の問題が生じているが、入管法論議で取り上げられることはなかった。〉

▼さて、「共生」や「多文化共生」という言葉について、掘り下げる段に入った。

「共生」という言葉は〈与野党、メディアの立ち位置を問わず誰も批判しない不思議な言葉となった。しかし、多文化共生で問題を解決できるのか。〉と樋口氏は問う。

〈まず、共生は格差に対して鈍感である。〉

という一文が鋭い。

〈ヨーロッパで共生に近い文脈で使われるのは「統合」という言葉だが、これは「労働市場への統合」といった具合に、経済的格差の是正が強く意識されている。前節でみた語学研修も統合政策の一環であり、失業や賃金格差といった問題の解消を目的としている。

 特定技能で来日する移民も、第一義的には労働者であり、受け入れに際して労働市場への統合という発想は欠かせない。

 ところが共生は、労働者としてよりも生活者として移民を捉える傾向が強い。語学研修も、「生活に必要な日本語」として位置づけられ、仕事で使える水準ではなく日常生活で使えればよいとされる。これでは、日本語を習得することで待遇を改善し、格差を是正するのは難しい。

▼これを読んで、目から鱗(うろこ)だった。

さらに「共生=生活者」、「統合=労働者」という視点のズレについての分析が続く。

〈また、生活者として移民を捉えると、その特徴は文化や言語の違いにあるとされ、労働の問題は軽視される。しばしば取り上げられるゴミ出しの問題も、生活習慣の違いによるものとみなされる。〉

▼ふむふむ、と思って読んでいたが、ここから「生活」と「労働」とがクロスして、本当の問題が炙(あぶ)り出される。

〈しかし、ゴミ出しの問題は不安定就労によって発生するものでもある。筆者が南米系移民に聞き取りして印象的だったのは、転職回数の多さである。

筆者らの調査では、帰国する、給料が高い仕事を見つける、解雇されるといった理由で転職・引っ越しが多く、一つの職場での在職年数は平均値で3年弱、中央値で1年以下だった。

これは、半数の仕事は1年以下しか続かないことを意味しており、それに伴って引っ越しも多くなる。

 自治体によってゴミ出しのきまりは異なるから、移転するたびに新たな規則を覚えねばならない。これは言語や文化の違いではなく、就労が不安定なことにより発生する問題である。

子どもの教育についても同様で、親の不安定な仕事は頻繁な転校をもたらし、親子とも新しい学校に慣れるための負担がのしかかる。

 その意味で、安定した仕事を得ることが問題解決につながるが、共生という観点からは文化と言語が原因だという誤った診断が下されてしまう。

これは、日本の労働市場が生み出す問題の原因を移民に押し付けることに他ならず、共生の名による責任転嫁といわざるをえない。〉

▼一読しておわかりのとおり、見事な分析であり、マスメディアでこの切り口から掘り下げた記事はほとんど読んだ記憶がない。

さらに樋口氏の分析は、「多文化共生」のそもそもの始まりまでさかのぼる。(つづく)

(2019年6月20日)

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