見出し画像

自殺してみた

「そうだ。自分を殺してみよう。」

そう思っ至ったのは、去年の暮、
明確に記憶している、2019年12月1日だった。

22歳、小学生だったあの頃から、ニヒリストとして
見えない対象に懊悩を繰り返して、凡そ10年。
自堕落に肉体を安息させてきたこの10年。
お陰で、身体は健康そのもので、また、それ故に、不吉な塊肉としてまとわりついてきた。

一方、存在価値を暗澹の内で探し求めることで、精神は彫刻のように鍛えあげられた10年。
ダンベルを持ち上げる如く、自己を持ち上げるのは、次第に容易くなり、
従って、人を虚仮降ろすのも簡単になる程に、筋は仕上がっていた。
己の優越を確かめるように、存在を確かめるように、人を見る度、卑下した。
その度、自分を惨めに思わずにはいられない。
人に会うのが嫌になった。
引きこもりになった。
大学が留年になった。
精神科医に通い出した。

冷静に自分を見れば、
ただ、存在価値を求め過ぎたというだけの帰結だ。
ただ、僕は「人とは違うんだ」ということを追い過ぎただけのことだ。
精神的に追い込まれれば追い込まれる程、僕は、「人とは違う」人間になっていく感覚を獲得した。
キツイ状況を齎す不幸な事態は、悦びとして、我が元に訪れた。
不幸とは、我が存在価値であった。
出来る限り、不幸になりたかった。

不幸を求めるほど、生活は貧苦を極めた。
尤も、身体的苦しみを得るほど生活的には満たされた。
通帳に刻まれた数字は1桁になり、頼れる人もなかった。

その時、僕は現実へ帰った。
我が幸福は不幸へ転化した。
我が不幸は不幸のままであった。

「あ〜、このままでは生きていくことすら出来ない。」
世界のすべてに絶望した。
すべてが不条理に思われた。
僕の精神はこの世で生きるのにあまりに適していない。

「僕は異常なのだ。」

僕の求めた“不幸”の先には常に死があった。
我が精神は死を志向し、死しか僕を救うものはなかった。

「もう死んだ方がいいのかもしれない。」

「死にたい。」

「やっぱ死にたくない。」

「でも、どうやって生きていくことが出来よう?
 生きていたところで絶対幸せにはなれない。
 寧ろ、苦しみしかないのだ。」

僕は死に至る病を患った。
もう、亡霊のように腐乱して辛うじて生きるか、
死ぬか、
その道しか残されていない気がした。

「そうだ!自分を殺してみよう!」

僕は、懊悩の挙げ句、
自我を殺し、人生をリセットするという生きる術を見出した。
それは、極めて実験的な思い付きに過ぎなかったが、
僕はその実験を遂行せざるを得なかった。

その時の心境がノートに綴られていた。↓

自殺の実験とは、私小説を書くということだった。
主人公に自分の自我を反映させ、
そして、物語上で私を殺すのである。
それもただ殺すのではない。
論理的に必然的に死なざるを得ない状況で殺すのである。

つまり、僕が今置かれている状況において私を殺す。

そうすれば、
この自我を葬り去れるか、
或いは、この小説が人に読まれることで、
自分の異常な生活の目的が周知され、
いずれにせよ自分の生きる道が出来る、
ということである。

私は書いた。
苦しかったが、ひたすら書いた。

そして、何とか私を殺すことに辿りついた。

結果を告げると、実験は失敗した。
僕は、自我を殺すことも、異常性を周知させることも出来なかった。

正直に言うと、そんなことは書いている途中から解りきっていた。
文学上で自分を殺したところで、現実の自我が霧散するはずもなかろうし、
自分よがりの駄文が出版に相応しいわけもない。

一応書いた作品を新人賞に出してみたが、通るわけもなかった。
寧ろ、こんな拙書が通らなくて良かった。

結局、僕は死に至る病を抱えたまま、ただ茫然と生きている。
なんのあてもなく屍のように生きている。

きっと何か救いがあることを信じて。

これがその契機となることを願って。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

523,049件

サポートは結構です。是非ご自身の為にお使い下さい。代わりといっては何ですが、「スキ」や「フォロー」頂けると幸いです。