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精神疾患に対して日本は最も残念な国だ

私がアメリカに住んでいたときは、常に

「宗教がアメリカ社会に溶け込んでいるなあ」

私がアメリカに住んで一番感じたこと

と感じました。

私はクリスチャンではないですが、日曜日になると気楽に教会に遊びに行きました。

もちろん、ノンクリに対して誰一人として信仰を強要しません。

牧師さんの礼拝後に軽食・飲み物がふるまわれたり、ちょっとした記念日には、皆さんが持ち寄った料理(ポトラック)で舌鼓を打ったりしました。

そういった和気あいあいとした雰囲気の中

「死にたいくらいの人生の苦しみ」をぽっと打ち明ける人が出てきたり、

信仰告白する人が時々現れました。

それに対して

God bless you(神のお恵みがありますように)


と慰め・共感します。

これが、社会に溶け込んでいる宗教の実態です。

日本で「宗教」と言えば真っ先にオウム真理教のテロを思い出すことでしょう。

日本人は、ああいったカルトを「宗教」だと勘違いしてしまっています。

ただ、日本社会に溢れている(カルトではないとされる)ヨガ・瞑想会も結局はカルトに近い雰囲気を醸し出しており、私自身は失望しています。



その辺のお寺や神社も、お葬式や初詣でお世話になる程度で、実質何の役にも立っていません。例えば


死にたいくらいの人生の苦しみを抱いた時、誰もお寺や神社には駆け込みませんよね!?

もはや、歴史的遺産にすがるただの既得権益です。


ここまで述べると、日本人が無宗教のようにみえてしまいますが、実はそんなことはなく、日本人のほぼ全員が強烈に信仰している神がいます。

それが





「世間」です!




世間はすぐに

働かざる者食うべからず

と、ニート(小中高時代にイジメに会い、精神疾患を患ってしまい、世間に溶け込めなくなってしまった人達)に対して正義を振りかざします。

馬車馬のように働かない人(働けない人)に対して世間は「正義と言う名の罵声」を浴びせ、より深い心の傷を負わせようとします。よって、日本国民全員が

給料が下がろうが、物価が上がろうが、税金が上がろうが、とにかく、雇用が守られている正社員を目指すしかありません。

これが日本にはびこる世間信仰というものの実態です。