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はじめまして、Paletteです。

Paletteは在日コリアンと日本人の和合を目的としたコミュニティです。

パレットの上で色が混ざり合って鮮やかなたくさんの色がうまれるように、様々な背景=色をもった個性があつまり調和をなすことで、朝鮮半島と日本の明るい未来に繋げたい...。そんな思いを込めてPaletteと名づけました。朝鮮半島、日本、在日コリアンをキーワードに交流会や勉強会を企画しています。

はじめましてのnoteでは、立ち上げメンバーの3人(もえ・ゆみ・いぇじゃ)の対話をまとめました。私たちのはじまりとこれから、Paletteへ込めた思いが伝わったら嬉しいです。

Paletteのなかの人

はじめましてのご挨拶。Paletteの運営メンバーを紹介します。

※ 画像をクリックすると大きくなります。

◆今回の話し手

Palette運営メンバー紹介 (7)
Palette運営メンバー紹介 _yeja
Palette運営メンバー紹介 (9)

◆聞き手

Palette運営メンバー紹介 (10)

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


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はじまり

ーーこんにちは、今日はよろしくお願いします。Paletteは在日コリアンと日本人の和合と目的としたコミュニティとのことですが、Paletteの活動がどのように始まったのか教えてください。

もえ)韓国の大学に留学しているときに、Paletteという日韓文化交流サークルをつくったのがはじまりです。日韓関係に関心がある先輩たちに声をかけられて私も初期メンバーとして参加しました。Paletteで日韓交流の活動に参加しながら、日本人が在日コリアンについてあまり知らないということ、そもそも関心をもっている人が少ないということを知りました。当時は日本と韓国に焦点を合わせて交流会などを企画していましたが、大学を卒業して日本に戻ったら北と南を合わせた朝鮮半島と日本にルーツをもつ、多様な背景をもった人たちが集まるプラットフォームをつくりたいという思いがありました。その気持ちをここにいる運営メンバーや友人に伝えて今のPaletteが2021年1月にできました。

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ーー日韓交流サークルから、朝鮮半島と日本にルーツをもつ人々が集まるプラットフォームへと発展していったのですね。もえからPaletteで一緒に活動しようと声をかけられたとき、ゆみといぇじゃはどんな気持ちだったんですか?

ゆみ)もえちゃんから声をかけられたときに、これが私のやりたいことだ!と思いました。私がオールドカマーの在日コリアンについて研究していたときに総連系の方たちと交流をしていたことがありました。そのことを韓国で反共教育が強かった世代の韓国人の方に話すと、頭ごなしに『総連の人と関わらない方が良い』と言われショックでした。物理的にも思想的にも分断している半島と異なり、日本には半島が一つの朝鮮だったころからのコリアンが住み続けています。日本には38度線のような物理的な分断はないのに、思想の違いによって分断させられ、在日コリアン間でさえも公には交流できていない状況に、胸が痛くなりました。本国の人たち(韓国にいる韓国人)にも在日コリアンの状況について正しく知ってほしいし、在日コリアン同士でもお互いを知る機会が必要だと思うようになりました。さらに在日コリアンの方たちには朝鮮半島と日本を第3者的な立場で結ぶことのできる知恵をもった人たちであるという視点をもつ人がほとんどいない状況にもどかしさを感じていました。そういったもどかしい思いをPaletteでなら、なにかしらのアクションに変えられそうだとおもいました。

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イェジャ)日本人であるもえから誘われたことが衝撃だったのを覚えています。何じんか、という括りで分けたらもえは日本人でわたしは在日コリアンです。私は在日コリアンという背景から日韓の和合を考えられるチャンスをもらった人間だと思っているけど、それ以上にもえの想いが強く感じました。在日コリアンの中でも日韓関係の和合を考えていない人もいっぱいいる中で、その視点をもっているもえがすごいと思ったし、ありがとうという気持ちと自分自身が情けないと思う気持ちといろんな想いをもっている自分がいました。もえが声をかけてくれたのが素直に嬉しかったし、もえと一緒ならできるかなと思いました。
また、知るべきものを知ることの大切さにを強く感じていたからこそPaletteの理念に共感しました。私はこれまで南北や日韓の間で傷ついた人たちがいたという歴史や傷を知らないまま、ただ仲良くしていきましょうではいけないと思っていました。なのでPaletteに参加することで知らなかったことを知ったり、写真や記事を通して間接的に触れたりする経験ができるのではないかと思ったのもPaletteの運営メンバーとして関わるこをと決めた理由です。

ゆみ)知るべきものをしるっていうのにはすごく共感します。私は日韓のハーフであることを物心ついたときから人に言っていたんです。それは誇りがあったから。私が当時小学生だった2000年に入った頃から韓流ブームがあったこともあり母が日本語じゃない言葉をできて、韓国料理をつくれることをみんなが羨ましがってくれたんですよね。でも歴史を勉強する中で私のように最初から自分のバックグラウンドに自信をもって言えない時代に傷を負ってきた人たちがいたということを知りました。KPOPなどのポップカルチャーを通して交流している部分もあるけれども、まだまだそういった傷やそこから派生している多くの問題は未解決であるのが現状です。だからこそ、そうした辛い部分にも向き合っていく必要があると思っています。



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なにが背中をおすの?

ーーPaletteでの活動を続けていく原動力となっているものは何ですか?

もえ)7歳の時から中学を卒業するまで韓国系の学校に通っていたこともあり、物心ついたときから自分の中で在日コリアンは大きい存在でしたし、日本と韓国に仲良くなってほしいという思いがありました。なので朝鮮半島と日本の和合が自分の人生においてとても大きな意味をもっています。当時は日本人である自分がマイノリティの立場にあったので自身のアイデンティティについて考えることが多く、在日コリアンの方たちが自分のバックグラウンドを話せない痛みに共感する部分がありました。

ーーPaletteの運営に関わっているのは「やらなくちゃ!」という責任感なのか、「やりたい」「自分ができることだからやろう」という気持ち、それともPaletteの活動が自分のアイデンティティに深く関わっているからなのか、どんな気持ちが1番しっくりきますか?

イェジャ)全部かもしれないです。でもイベントをするときは「やらなきゃ」という気持ちが強いです。私たちのイベントに関心もってくださっている方がいるんだと思うと、やらなきゃっていう責任が強くなります。自分にできることは小さなことだけど、小さなことさえできないと口だけの人間になってしまう、それは嫌っていう気持ちがあります。それにみんなと話していると楽しいし、Paletteは仕事や友だちからは得られない別の癒やしの空間であるから続けられるのだと思います。

ゆみ)もえちゃんから誘われた最初の頃は、自分のようなバックグラウンドをもっている人が発信していかなきゃという使命感みたいな気持ちが強かったからはじめたけど、やっている中で自分自身が癒やされるためにやっている活動になっていきました。イベントに参加してくださった皆さんの間で相互理解が深まって、平和な瞬間をつくれたときに癒やしを感じている自分をみつけました。

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ーーここまでみなさんがPaletteにかける思いについて触れてきました。でも皆さんのように両国どちらにもルーツをもっている人でないと、なかなか関心を持ちづらい内容でもあると思います。Paletteのイベントに参加される方たちの中でも、朝鮮半島と日本の未来に対する思いにはグラデーションがあると思うのですがその点についてはどう考えていますか?

ゆみ)多くの日本人や本国の韓国人の方は、在日コリアンといわれても自分事としてピンとこない人が多いとおもいます。ましてや朝鮮半島といった国単位のことであればなおさらです。ですが、様々な背景を持つ人々とどうしたらよい関係を結んでいけるのかについて何かしら考えるという経験は、どんな人でもするのではないか思います。
Paletteがメインの活動としてやっている一人一人のライフストーリーを語り合う活動の目的は、様々な人々のライフストーリーに耳を傾けることで、普段はできない深みのある他者理解、相互理解の時間を持ち、平和な共生の方法を探っていくというところにあります。私達がたまたま朝鮮半島と日本の両方に背景のあるメンバーで構成されているのでそういう背景の人に話を聞くことが多くはなるけれども、根本的にはそれが目的です。
なので、ただ単に朝鮮半島や日韓の事情について詳しい人よりも、身近な他者を理解する、他者とよりよく共生していきたいというテーマに関心の重心のある方の方が、実は、Paletteと親和性のある人だといえるとおもいます。私達が向き合っているのは、他者との明るい関係性の構築はどうすればできるかであって、その思いがさらに大きくなって朝鮮半島と日本の明るい未来という言葉に飛躍しているだけだとおもいます。

もえ)国籍など関係なく、自分ではない誰かの気持ちを完全に理解するのは難しいと思います。でも本当に和解をするにはお互いの事情を聞き合う必要があると思っています。「日本人はこういう人だ」と一括りにはできないように、同じ在日コリアンでも全ての在日コリアンの方々をひと括りにすることはできないと思うんです。だからPaletteでは一人ひとりのライフストーリーを聞き合える場を設け、それぞれがどんな思いをもって生きてきたのかを聞くことによって、在日コリアンについて知り、友達になれるようなきっかけをつくれたらいいと思います。もちろん全部を理解するというのは難しいと思います。でも一緒に日本社会で生活している在日コリアンの方々について、あまり知らないという日本人の方たちが多いと感じています。KPOPは知ってるけど在日コリアンを知らない方々は多いと感じています。なので、まずは友だちをつくるようにお互いを知っていく場をつくれたらいいなと思います。

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これから

ーー落とし込む場所をつくるのではなく、きっかけを作りつづけているからPaletteの輪が広がっていくという考え方が素敵ですね。最後に、Paletteがどんな場所になったら嬉しいですか?

いぇじゃ)人それぞれ人間関係に対して大切に思っていることは違います。それでも仲良くなろうといっている理由は誰も1人で生きていけないし、一緒に生きていく仲間が何じんであろうと私は関係ないと思うんですよね。Paletteでは朝鮮半島と日本の関係に着目して日韓の和合を目標にしてるけど、最終的な目標は何じんかは関係なく、ひと対ひととして仲良くなれたらいいと思っています。
でも私は在日コリアンとして生まれ日本と韓国どっちの気持ちもわかる立場にあります。国籍などを選んで生まれることはできないし、だからこそ特別で、その生まれ持った立場を活かして人と人との関係を築く場所をつくっていければと思っています。だから日韓に焦点をあててはいるけれど、Paletteが国を超えて、人と人を繋ぐ場所になってほしいと思っています。そのためには、いいことだけじゃなくて、苦しみや辛いことも知っていくことが大切だと思います。

もえ)Paletteは日本と朝鮮半島の和合を掲げていますが、日本と朝鮮半島だけじゃなくて世界の人たちみんなが家族みたいな存在になれたらいいなと思います。そのためには一人ひとりのライフストーリーを聞きながら、それぞれがもってきた思いに耳を傾けていけたらいいなと思っています。

ゆみ)昔は国とか政治とか自分がどういうマスにいるのかが大事だったので個人の話を公に話す場はあまりなかったのでは?と思います。特に在日コリアンは歴史的な事情から日本人や韓国人よりもなおさらそうだったと思います。ですが、私たちは個人を語ることができる時代にいると思います。今は一人ひとりを見られるし、見てもらえる時代にあるからこそ、それぞれの声に耳を傾けていくことが大切だと思っています。一人ひとりの声を丁寧に聞き合う中で、よりよい他者との関係性を築いていく為の知恵がでてくるんじゃないかな。さらに、それらの知恵を何かしらのカタチで束ねて、共有できるようにするのもいいんじゃないかなと思っています。これからPaletteを通して出会う方々との対話が楽しみです。企画がんばりましょう笑!


※本文中の「在日コリアン」は以下の参考のような広義での「在日コリアン」を示しています。
参考:「金(2006)によると『在日コリアン』とは一般的に戦前に日本に定住したコリアンとその子孫のことを指す。そして、例外はあるものの、一般的に日本国内での活動にはほとんど制限のない『特別永住者』、つまり、オールドカマーの在日コリアンがこれにあたる。それに対し、留学や商用などの資格で日本に滞在するコリアンは従来、『ニューカマー』と呼ばれ、『在日コリアン』とは区別されてきた。しかし、1965年の日韓国交正常化から50年以上が経過した現在、日本で事業を興して新たに定住化した人や、日本人や『在日コリアン』と結婚して家庭を築いた人、およびその子供たちを『在日コリアン』の枠外に置き続けることにはもはや意味がなくなってきた。また、日本国籍を取得した人の中にも、民族的なアイデンティティを保持している人もいる。そのため、『韓国(朝鮮)系日本人』という概念が出てくるまでの間、こうした人々もいわば、広義で『在日コリアン』に含めるべきであるとしている。」金賢、2006『現代がわかる!ーー在日コリアン』九天社

聞き手・書き手 / かんな







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