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チベット旅行記

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1998年の夏に生まれて初めての海外旅行でチベットに行った時の旅行記です。
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帰ってきた~

帰ってきた~

1998年8月30日午前7時。上海へ戻る飛行機の出発時間は午前9時20分だったので、早めに起きて荷物をまとめる。昨日の夜飲んだ甘ったるいワインの酔いが少し残っており、少し気分は悪いがそれはそれで仕方がない。あれはワインというよりもほとんどアルコールの入ったシロップだった。中国のワインに期待するほうが間違っているのだろう。こんなことになるのなら老酒にしておけばよかったが、後のまつりであった。
結局帰

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再び成都へ

再び成都へ

1998年8月29日午前7時。軽い朝食を終えて荷物をまとめ、ホテルのロビーに行くとガイドとドライバーが待っていた。チェックアウトの手続きを済ませて車に荷物(と言ってもたいした荷物ではないが)を積み込むと、一路ゴンカル空港へと向かう。成都へ向う飛行機の出発時間は午前9時である。私の場合、空港までの送り迎えの車があったので当日の早朝にラサを出発しても間に合ったのだが、ラサ発の午前の飛行機に搭乗しようと

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ツェチョリン・ゴンパとモモ・ラ

ツェチョリン・ゴンパとモモ・ラ

どうやってツェチョリン・ゴンパに行ったらいいのかわからず、集落内をうろうろしていると、一人の老婆が低い柵を乗り越えて私の方にやって来た。顔の皺をみると70歳くらいに見える。チベット人の外見と実年齢はギャップがあるのだが、見るからにいかにも「おばあちゃん」といういい顔をしていた。道に迷っていた私はすかさずその老婆に近づいて、「ツェチョリン・ゴンパ?」と聞いてみた。すると老婆は嬉しそうな表情をして「こ

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柳の下で雨宿り

柳の下で雨宿り

「じゃあ、この車で行けるところまで行ってください。そこから先は一人で歩いて行きます。午後の7時に迎えに来てくれればそれで結構です。」
そう言った私の言葉に、ギャミ(中国人)のガイドは、私を監視して現地のチベット人と直接接触させないという自分の任務と、仕事をサボれるという事をしばらく天秤にかけたようだった。少し考えた末、「わかりました。」と答えた。後者を選んだようだ。
初めはネタンの大仏の先にある釣

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話しが違うじゃないか!!!

話しが違うじゃないか!!!

1998年8月28日。短かったチベット滞在も今日が最後である。明日は日が昇る前には空港へ向わなければならない。朝一の飛行機で成都へ戻るのである。そして翌日には上海に飛び、関空を経由して東京に戻る。チベットに別れを告げるのは名残惜しいが、しがないサラリーマンの夏休みではこれが限界である。今度はいつ、チベットに戻ってこられるのだろうか?最終日の予定として、日本の某大手旅行代理店を通じて中国側にナムツォ

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タシルンポ僧院とパンチェン・ラマ

タシルンポ僧院とパンチェン・ラマ

ニセラ山の麓に広がる巨大僧院の門前は多くのチベット人巡礼者達で賑わっていた。
タシルンポ僧院はシガツェの中心的存在であり、チベット仏教改革派であるゲルク派の6大寺の一つとして知られている(他はラサ郊外のガンデン、デプン、セラのラサ3大寺と青海省青寧郊外のクンブム(タール寺)、甘粛省夏河県のラブラン・タシキルである)。創建は1447年、ゲルク派を起こしたツォンカパの弟子で、後にダライ・ラマ1世として

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シガツェへ

シガツェへ

1998年8月27日午前7時。昨日の夜はビールを2本飲んで酔っ払って早めに眠った(ビール2本でワインボトル1本くらいはまわってしまう。なにせ標高4040mだ)せいで早く起きた。洗顔と歯磨きを終えるとホテルの食堂に行く。朝早いためか、まだ準備中のような雰囲気があったが、食事は出来るという。普段なら朝食をとらない私だが、なぜか旅先では朝ご飯を食べてしまう。不思議な生理現象。これは何も海外に限ってのこと

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ギャンツェの歴史

ギャンツェの歴史

パンコル・チューデ見学後、一度ホテルに帰ったのだが、まだ夕食も食べていなかったし、ギャンツェの町もよく見ていなかったのでもう一度町に出ることにした。
ギャンツェの町はラサ、シガツェ、チャムドに続くチベット第4の都市とされているが、町自体はそれほど大きなものではない。町の構成は中心のロータリーで交差する十字路に沿って住居や商店が並んでいる。2本の大通りはそれぞれ1.5kmほどの長さで、1本はニャンチ

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パンコル・チョルテン(ギャンツェ・クンブム)

パンコル・チョルテン(ギャンツェ・クンブム)

ラサからランドクルーザーをぶっ飛ばして8時間。ようやくギャンツェに辿りついた我々3人はひとまずホテルで休憩しようということになって、チェックインすることにした。泊ったホテルはギャンツェの南端に位置する高級ホテル、ギャンツェ(江孜)飯店だ。ホテルは他にも江孜服装招待所や江孜県政府賓館といった安宿もあるのだが、中国の大手旅行会社を通じて正規のチベット旅行を手配した場合、一人旅でも一応ツアーの形を取らさ

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ギャンツェへの道 パート2

ギャンツェへの道 パート2

タドゥカというところにさしかかると、車ごと河を渡るフェリー乗り場があって、河向うには、ヌマガン、タクツェを経てヤンパーチェンに行く道路が見えた。これまで通ってきた道路が出来るまでは、ラサからシガツェにいくにはこの道を通っていたらしい。フェリー乗り場の手前、川沿いに新しく再建された僧院の金色の屋根が光っていた。おそらくユンドゥンリン僧院だろう。1834年に建てられたポン教の僧院で、1950年の中国侵

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ギャンツェへの道 パート1

ギャンツェへの道 パート1

1998年8月26日早朝。今日からは、1泊2日の予定で一旦ラサを離れ、ギャンツェへと向う。ホテルの食堂で軽い朝食をとった後、部屋に戻って荷物をまとめると、フロントでチェックアウトの手続きをした。明日の夕方には、またラサに帰ってきて同じホテルに泊まるのだが、部屋をそのままにして行くと余計なホテル代を食ってしまうので、面倒だったが仕方がない。まあ、チベットに持ってきた荷物もそう多くないし、土産物を沢山

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