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トルコが東西の接点であることを、大学キャンパスで想う マルマラ海沿い街道の旅★2019(5)

トルコという国も、そしてその最大都市・イスタンブールも、ヨーロッパとアジアにまたがっています。だから、この土地が東西の接点であり、節点でもある、というのが当然じゃないか、と思われることでしょう。
しかし、街にはイスラム教のモスクがあり、ベールをかぶる婦人の姿も見かけ、《中東色》を感じることが多い。
けれど、大学のキャンパスでは、《東西の接点》、あるいは、《東から西への通路》であることを、より強く感じます。

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キャンパスにあるナノテクノロジー研究センターの分析設備は素晴らしい

友人Mが勤務する大学の公用語は、1994年の創立以来、ずっと《英語》です。
即ち、学内の講義や会議など、すべて基本的には《英語》のみで行われます。使う教科書も《英語》で書かれています。

イスタンブール市内にある、もうひとつの有力私大、Koc大学(こちらは、Koc財閥によって1992年に創設された)も公用語は《英語》です。

こうした新興の有力私大に限らず、古豪の国立大学でも公用語を《トルコ語》から《英語》に変えるところが徐々に現れています
ある国立大学は、英語で授業ができる先生の講義から変えていって、ある段階で学科全体を《英語》に移行したそうです。このような、《可能な部分からの改革》は、実に合理的です。

話が逸れますが……
(10年近く前から《国際化のための秋入学》を公約にしながら、いつも「できない理由」に足を引っ張られて一歩も進まない某国の政権与党は、本当に情けない! ➀ そもそも「国際化」に理念が無かったのか/➀’ 無い癖に言ってみただけなのか、➁ やる気が無いのか、➂ マネジメント能力が無いのか、のどれかなのか、➃ あるいはその全てなのか?)

では、なぜ公用語を英語にするのか? それは、欧米の企業就職や大学院進学を計画する若者が多く、そのために英語で議論したり書類を書いたりする能力がきわめて重要と考えているからです。

トルコはEUへの加盟を認められていませんが、それでもEUの発足や東欧諸国の加盟はトルコの欧州化、特に研究の世界での欧州化を促進し、トルコの大学の先生は、EUに研究資金を申請したり、EU加盟国の大学との共同研究を積極的に行っています。

トルコの大学、特に理工系で優秀な若者、なかでも男子は、かなりの割合で欧米の一流大学院を目指します。この時にTOEFLなど英語の試験で高い点数が必要となり、進学後にはいずれにせよ英語で講義を受け、英語で論文を書くわけですから、学部講義も英語で受けた方が効率がいいわけです。
このため、トルコ国内の大学院には(機械系はそうでもないようですが、材料・化学系修士課程は)女子学生が多くなります。

キャンパスには湖もある

《英語が公用語》といっても、基本的には教育・研究関連であり、例えばこの日、キャンパスの銀行で日本円をトルコリラに換えようとしたら、トルコ語しか話せないおばちゃんが「ダメ」のポーズをした(結局、大学関係者と認めていただき、パスポート提示で両替してもらった)。

トルコの大学が欧米の企業や上級学校への《玄関口》ならば、この《玄関》を通って欧米に行こうと考えるトルコ語圏中央アジア諸国や中東イスラム系諸国の若者も当然増える。
例えば、長年の経済制裁で、理工系の実験はほとんどできないイランでは、トルコの大学や大学院修士課程への入学希望者が多く、直接入ることは不可能な欧米の大学院を《トルコ経由》で目指す。
私自身も、トルコの大学を経由したイラン人学生の博士課程入学面接の経験があります。

《トルコ経由欧州行》はもちろん教育の世界に限らず、数年前にシリア難民が大挙して《トルコ経由ギリシア経由ドイツ行き》を目指し、大きな問題となったことはよくご存じと思います。
私も前回、その真っ最中にイスタンブールを訪れ、彼らの命がけの光景を目にしました。
片側5車線ぐらいの幹線道路の(中央分離帯やセンターラインなどではなく!)白線(はみだし車線)上に難民らしき人たちが何人も立っていて、時速60キロ以上でビュンビュン走る自動車が信号でたまたま停まる隙に車窓に駆け寄り物売りや物乞いをするのです。

2019年の時点でトルコ国内に360万ほどのシリア難民がいます。トルコ政府から難民に生活保護のお金がおりるため、トルコ国民の反発を招いています。
政府の手厚い保護は、シリアが隣国というだけでなく、かつての《オスマン帝国》の臣民、という意識もひょっとしたらあるのかな、なんて思うのです。

オスマン帝国の最大領土(Wikiediaより引用)

《大学公用語の英語化》と真逆の手段で、同じく《国際化》を目指すたくましい大学もあります。
エスキシェヒルという工業都市にあるアナドル大学は、24,000人の通学学生に加え、なんと150万人の通信教育学生を抱えており(2010年)、世界中のトルコ語圏学生向けにトルコ語での教科書を出版し、トルコ語での遠隔講義を行っています。
アナドル大学に知人がいたので遠隔講義用のスタジオを見せてもらったことがありますが、NHKのニューススタジオより広く、音響設備もそろっており、たまげましたね。

アナドル大学の遠隔講義用放送スタジオ

とにかく、チュルク語系言語を話す国は多く、トルコの他に、トルクメン、アゼルバイジャン、カザフ、キルギス、ウズベク、それに中国の新疆ウイグル自治区と広範に渡ります。欧州でも、ギリシア、ブルガリア、それにドイツにかなりのトルコ語人口があり、遠隔教育ニーズがある、というわけです。

中国企業にとっても、トルコは重要な《欧州への玄関口》です。
様々な規制のためにヨーロッパに直接投資ができない中国企業が、トルコに工場を作り、様々な製品を欧州市場に輸出しています。

さて、この日はいよいよチャナッカレに車で向かうことになっていたので、約束の時間にMの教授室に行きました。
彼が使うPCの上空には、共和国建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルクの肖像写真(画?)が掲げています。

大学の先生のオフィスでは、たいていケマル・アタテュルクが《にらみ》をきかしている

奥さんのC教授や、共同研究先・リュビワナ大学(スロベニア)の先生と、何か深刻な感じで話しているので尋ねると、ウイグル出身の元女子学生(現大学院生?)が、トルコ人の夫から離婚されたために在留資格を失い、国に帰されてしまうかもしれない、ということでした。

《東西の接点》にいる国の大学教員は、研究も教育も国際的ですが、それに伴う様々な問題も国際的にならざるを得ず、自分や周囲の力だけではどうにもならないこともたくさんあるのでしょう。

なお、スロベニアから来ている女性教授の夫は地質学者で、今はアゼルバイジャンの政府に雇われて石油探索の仕事をしている、と話していました。

こんな時にいつも思うのは、──「国」とか「国境」の概念は、間に《海》がある、島国の人間とはかなり異なるのでしょう。


次回はいよいよ、美しい街「チャナッカレ」を目指してマルマラ海沿いを西に旅立ちます。

のつもりだったけど、もう1日だけ雑談を:



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