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下卑田与太郎
2022年12月6日 21:14
(一)「はぁ……」会社からほど近い公園に、ぼくは今、いる。昼下がり、ちょろちょろと遊ぶ子ども達が、いつもは居ない異物として、じいっとぼくのことを好奇の目で見るのだ。「なんだよ……」彼らにそう声をかけてみると、ふいっと顔をお互いに戻して、たったっと駆けていってしまった。ああなんだかくさくさする。死んでしまいたいなんて気持ちはとうの昔に過ぎ去った。タバコでも吸おうかと胸ポケットをゴ
2022年10月31日 22:32
ーー橘雄一さん行方不明事件の続報です。今日未明、橘さんのものと思われる運動靴が発見されました……ーーかちかちとザッピングをすると、どこもかしこも俺の話ばかりしている。専門家と称した禿げたおっさんが、我が物顔で俺の話をしている。昼下がり、暗く閉ざされた遮光カーテンの隙間から降り注ぐ、眩しすぎる太陽光が部屋を微かに色付ける。「なあ、見てくれよ。俺が死んだことになってるんだ。お前が死んだのに、なあ
2022年7月12日 23:29
(一)「はあ……」ぼくは今、海に向かう電車に乗っている。下り方面の電車ではあるが、しっかりと電車は混んでいて、休みの日は旅客が語らうためのだろうボックス席には、朝から疲れたサラリーマンが死んだように眠っている。ぼくの会社は海まで到達することも無い駅にあって、毎朝ぼくはいつだって自由に海に行く権利を持っているのに、一度だって自由になろうとしたこと、出来たことはないのだった。せっかく海に向か
2022年5月4日 08:21
(一)「あのさあ」同居人はリビングのソファの上にどかりと座って、クルクルと回るオシャレぶったファンを目で追いながら、そう口を開いた。「それってぼくに言ってる?」「あんた以外誰がいるのさ」「それもそうか」冷凍庫から買い溜めていた冬季限定のアイスを取り出す。6月末の昼下がり。梅雨も終わり、ムシムシとした暑さが身体にべっとりと張り付くようだ。「お、アイス食べんの?しっかしさー、あ
2022年3月19日 15:42
(一)"幸男"なんて大層なお名前を付けられて、生活して早30年。いや、31年であった。先日の誕生日も忘れるほど、何も無く、至って普通な、平凡な毎日を僕は過ごしている。幸せなんて程遠く、かといって辛いこともさほど無く、平々凡々を絵に書いたような人生である。行きつけのカフェで、特に思い起こす必要も無い人生を、珈琲の黒々しい色を見ながら思い起こしてみて、一つため息。「なんかあったんすか?」「
2022年2月14日 13:51
(一)「従って、ここは……、えー、今日は15日……、あ、佐々木。ここの答え、わかるか?」「は?!ちょっと、15番は坂口でしょ、先生」「あっ、そうだった。すまんすまん。お前が気持ちよさそうに船を漕いでいたから、ついな。ほら、答えは?」「えー、え……、えっと、多分32、?」周りに教えを乞うように佐々木はきょろきょろと、ぱくぱくと口を動かしながら答えた。オーケーサインを出してる坂口を見て、
2022年2月13日 22:41
(一)夕刻、帰宅をすると、ダイニングテーブルに2つ並んだ切子の透明が、チラチラと輝く。その上に、赤いいちご。満足気な顔をした君は、にいと笑って「ヨシくん、いちご食べない?」と、唐突に問いかけるのだった。僕はしゅるしゅるとネクタイを解き、ジャケットを脱いで椅子に置く。1つだけ、丸いいちごをつまみ上げて、口の中に入れる。しゃく……と、その果実の硬さが、歯を媒介して伝わってくる。口内に、酸味
2022年2月7日 08:29
(一)俺は、多分おかしかったのだ。ある種の魔物、とやらに捕まえられて、飲み込まれていたのかもしれない。灰色がかった部屋で、灰色の服を着て、孤独に正座を強いられている今、そんなことを考えている。考えるしかやることがないのだ。懲罰房にいる俺は、コツコツと規則正しく鳴る革靴の音を聞きながら、昔のことを思い出していた。なぜなら、それしかやることが無いからだ。乱歩の『屋根裏の散歩者』を読んだのは確