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未来は君の手の中


天才の発達障害少年

小学校6年生で英検2級

 今日、こんなニュースを夕方読んだ。

 「アスペルガー症候群」という名前は「自閉スペクトラム症」という名前に変わった……という名前はもう今更面倒だし、気にしない人間が多いだろうから語るまい。いや、後に語ることにしよう。「スペクトラム」が要なのだから。この記事に関する自分の感想は
「言語凸が英語に向いたのね。それとも別の処理能力かな。まあ羨ましいことだ。こうして取り上げられる子は幸せだ」
 長所が取り上げられているうちが華、という世を拗ね人を拗ねた考えが頭をかすめていた。私は日本言語凸なようで、だからこそこうしてしつこくしつこくnoteなりなんなりを長々書き続けている。しつこくしつこく書き続けている。ただ、英語ではないから役に立たない。日本語が使えたとて。それに、それをぶち壊す二次障害があればゼンブガオワリなのだ
 まあ、順を追ってぼやこう。

同じく自閉スペクトラム症だった小6の私

 小6の私は、まあ先天的なものだろうから未診断の自閉スペクトラム症だったのだろう。友達はいなかった。男友達はいたが、思わせぶりなことをするばかりでつかず離れずだった。中学受験を強いられていて学校ではヒステリックな男女教師、家に帰っては塾で暗記科目の缶詰、友達は友達なのかよくわからない胡散臭い人間が数人、最後の方は算数の男性教師が暴君じみてきたためパニック症状を起こし保健室登校になった。大富豪で特に何もしていない(していたのだろう)のに仲間外れにされたし。
 輪の中に入りたい、やってみたい。だから
「私も入れて……」
 と言っても無視されるか、拒絶の言葉を投げられる。じゃあ私はどうしたらいいのだろう。保健室で対人技術セミナーのようなことをやっていたので参加したが、そこでの助言は
「じゃあ見てていい?」
 と聞く、というクソマヌケな屁の突っ張りにもならぬゴミのようなものだった。今なら大富豪の円陣に蹴りを入れているかもしれない。だが当時バカだった私は正直に
「見てていい?」
 と言ってただ意味の分からないカードゲームを見ていた。未だ大富豪のルールを私は知らない。
 そして初めて、自殺未遂をしたのも小6だった
 塾が嫌だった。缶詰で、知的障害すれすれのレベルで伸び悩む算数。私は数的処理能力ががくんと落ち込んでいた。言語能力に全振りして他の能力を全部捨てたステータス異常のような生き物だった。人格ももちろんお察しだ。そんなことだから、もう惨めで、悲しくて、「生きている意味が感じられなくなった」。記事のアキヤマくんとは正反対に、成功体験を全く積むことが出来なかった。存在意義が感じられなかった。だからもう、塾の意味も感じられなかった。怒られに行くのは学校だけで十分だった。
 だから、母の部屋で足場と絞首台を組んで、首を吊った。母に見つかった。その日塾は休みになった。母は悲しまず呆れていた。
 ただ、結局中学には何とか受かり、私の成功体験として「社会(歴史)の記憶力」という自信がついた。無論、そんなものが後々国語能力と共に屁の突っ張りにもならない役に立たない知識だったことは言うまでもない。
 あの時成功して死んでいたら、被害者は少なくて済んだんじゃないか。今もそう思う。今日のニュースでアキヤマくんは祝福される自閉スペクトラム症で、私はOSO18のように死を願われる(今でもだ)自閉スペクトラム症だった。それだけだ。

「どうして他の発達は頑張らないんだ?」という人へ


発達と一言でまとめるとは笑止千万

 そして案の定出ました色んな意見

こう言う人、確定診断降りてても「自称」って決めつけがち

「この子は頑張ってるのに他の発達障害者の大人はどうなんだ
「うちの職場無能な発達障害者でワロタ」
私は英検も取れないよ、社会のお荷物なんだ」
この見出しに悪意を感じる。発達障害を強調する意味あったか?」
うちの子はアスペルガーじゃないからいちいち言わないで!!」

 うっせぇわ!!

 まず、画像のおっさん(おばさんでもええわ)はもう話にならん。煽り乙。確定診断が降りて日々闘病してても「自称」って決めつけるか「メンヘラ乙ぅ~ww」って煽るタイプのPDだそんじょそこらの発達より大層歪んどる。多分リアルでもネチョネチョしてそう。以上。論値無

 意見が喧々諤々と噴出するのはいいことだと思う。言論の自由だ大いに論じられるといい。ただ、論じられるからには賛成と反対に別れがちなのはいつものことだと思う。私が今回賛成に回っているのは
この見出しには悪意を感じる
 である。「ナイーブすぎやしないか?」という反対意見もあるが、私はまず記者の不見識を指摘したい。冒頭で指摘した通り、「アスペルガー」という名は既に「自閉スペクトラム症」に置き換わっている。また、数名の当事者等が指摘しているが、記者が殊更に障害と資格の難易度を強調するのは「アスペルガー(ニアリイコール高機能自閉症)」を知的障害を伴う自閉症と誤認している可能性がある、という点である。そうでなくては、これでもか!という程にクローズアップするだろうか。私はそこが引っかかって仕方がない。

 そして、「発達障害」について
「発達障害はやっぱり才能が何かあるんやなあ。ウチのはクズやけど」
 と簡単に言ってのける人。発達障害というのは大分類というのをご存じない?あなたは
「足のケガなんて湿布貼っとけば大体直るだろ。全部そうだ」
 と両脚解放骨折してる人に言ってるようなものだぞ。同じ足のケガという大分類は正しいが程度や種類が違う。対処法ももちろん。
 「発達障害」と一言に言っても……ああもう、面倒だ。私だけでも自閉スペクトラム障害(旧アスペルガー)・注意欠陥多動性障害(ADHD)が併存している。それ以外のメジャー所は以下を参照されたし。
 

 そして、同じ「自閉スペクトラム症」でも誰もかれもがアキヤマくんのように天才ではない。正しくは「能力が突出しキラキラした舞台に立てるわけではない」。それを以下に記す。


「虹色」「プリズム光」を想像しろ

 何故「アスペルガー」が「自閉スペクトラム症」に名称変更したのか。「自閉」は「自閉症」の「自閉」だ。これはお判りいただけるだろう。知的障害を抱える「自閉症」から知的に問題のない「高機能自閉症」まで包含する、というかその幅広い「自閉の幅」を包含する。それが「スペクトラム」だ。
 イメージとしてわかりやすいのは(私が物理が凹凹凹なので間違っていたらボコボコにしていただいて構わない)、虹色のグラデーションだろうか。wikiのスペクトルの項目に、

連続スペクトル
熱放射による光はあらゆる波長の光を含んでいる。このような光はプリズムで分光すると連続的な色の模様になる。そこでこのような光のスペクトルを連続スペクトルという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AB

 プリズムとは画像検索していただけるとご理解いただけると思うが、角柱により光を所謂七色の虹色グラデーションに分散させるものである。分散された光は異なる色ながら絶え間なく繋がり展開する。例えば私が暗黒に近い青であればアキヤマくんは燦然と輝く金色、しかしそれは虹色プリズムとして一連のグラデーションとして繋がっている。連続している

 要は、「人とのコミュニケーション能力に困難を抱えている」という前提条件を抱えつつ、その中で「自閉症として、知能レベルがグラデーションのどのあたりにいるのか」で個々の自閉スペクトラム症当事者の得手不得手、生活状況、取り巻く環境は変わって来るのだ。アキヤマくんも私も他の当事者たちも「人とのコミュニケーション能力に何か難しいものがある」のは恐らく一緒、しかしIQ発揮の方向性やそもそもIQの高さや周囲の理解、本人の根気強さ、二次障害の有無等が大きく異なったと思う。よくスラングで
「○○と××……どうして差がついたのか……慢心、環境の違い」
という言い回しがあるが、そこに「当人の周囲への認知」を合わせたら同IQ同士の自閉スペクトラム症の間で差が生まれる理由の説明になるのではないかと思う。

頑張ってる人もいる、頑張った屍もある

 では、他の「自閉スペクトラム症」の人々は「頑張っていない」のか?私から見てそれは

 「否!!」
 
 である。身内びいきだの同じ発達障害者同士傷の舐めあいと笑わば笑え。笑う者は自分の子が発達障害で生まれて来る可能性に想いを馳せたことはあるか。脳を自分で今すぐどうこうできると思うか。うん十年の様々な体験で培われた考え方を脳みそに手を突っ込んで引っこ抜くことが出来ることが出来ると思うか。ある日突然、自分以外の誰もが喋っている言語が様変わりしたかのように、くすくす、ひそひそと笑いだされ邪険にされる恐怖を覚えたことがあるか
「○○さんって(変な意味で)変わってますよねぇ笑」
 と、飲み会の犠牲獣にされたことがあるか
 なぜ怒られているのか、何故詰められているのか、何故相手が泣くのか全く分からない、ただ自分が悪いことしかわからない、でもそこまで自分は、そんなことをしたのか?それすらもわからない、正しいとは?間違いとは?どうして?何で――世界が瓦解する恐怖をあなたは知っているか?

 そして、その症状を改善する薬がないことをあなたは知っているか。

 無論、薬があったとて他の発達障害が楽だとは言わない。しかし、自閉スペクトラム症の究極的な救済は今のところ「アキヤマくんのような才能と実益の合致(社会的成功)」か、「自死」の二択なのだ。

 そして多くの当事者が、そのはざまでもがいている。私も、何とか推しや家族、友人を命綱にしながら生きている。「死んだ方が世のためになる」とまで言われても、「それはお前もそうだろう?」と今なら笑って言う。「そうだから」だ。「私が思うからだ」。そうじゃなきゃ、いつまでも子供みたいに発達障害をいじめてないだろ。だろ?

 そして同時に、そのはざまから滑り落ちた屍たちがいる。東海道新幹線の鉈男をはじめとした、法に触れてしまった当事者たち。「自閉スペクトラム症」をテレビで連呼されながらも、我を通して、彼らは彼らなりに「社会や親へ一矢報いた」。あるいは、あまりにも優しすぎた、他人を害することすらできず、己を害し、命を絶った死屍累々の山。工場で怒号を浴びせられ続けた。公務員になってもあっという間に抑うつ症状を生じて仕事を干された。一般事務についたけれど女性社会のノリについて行けず陰口を叩かれいじめに遭った。けれど、薬がない。対処療法だけだ。
 障害者雇用や作業所という手もある。しかし、収入は激減する。貯蓄や年金がある人は良いが、家族がいる、例えば老親、シングルマザー、ペット……そうでなくても、障害を抱えた脳は忌まわしい記憶だけを壊れたテープのように繰り返し繰り返しフラッシュバックさせ続ける日々……。
 そうして、電車が止まる。止めてしまった人を殺した人が
迷惑だな、迷惑かけずに死ねよ」
 と言い放つ。薬を大量摂取したり、飛び降りして死んだ人が救急で運ばれても病院の対処は冷たいと聞く。たとえ入院したって、病院の対応は非常に乱暴なものだ。正直どこも、滝山病院だ。
 だから今でも、X上では発達障害当事者が、「自閉スペクトラム症」当事者が、安楽死合法化のツイデモを行っているのだ。ご存じだっただろうか?忌まわしいと思うなら参加すればいい。人数は多ければ多い方がいいのだから。「死んだ方が世のためになる」というなら、毎回欠かさず参加した方がよい。言行一致だ。定型発達のインテリな男なら言行一致がよい。
 だろ?

アキヤマくん、君の未来は

アキヤマくん、君にトモダチは必要かい

 さて、私自身もヒートアップしてきたのでこのあたりで締めたいと思う。
 アキヤマくんは小6という若干およそ12歳で議論を巻き起こす有名人になってしまった。そう、「なってしまった」。彼が望むと望まざるに関わらず、大人の勝手な記事で。彼が英検を受験できるまでの周囲の人々の尽力は美談だ。しかし、記事になり、様々な人のヘイトスピーチを惹起したり、当事者の悲痛な叫びを喚起してしまった以上、既に話は美談ではない。
 記事はアキヤマくんの御父上のこのような言葉で締めくくられている。

「今の状態を望んで生まれてきたわけではない。もし変えられるのなら、勉強ができなくても良い。ただ、友だちとコミュニケーションを取れる『普通』にしてやりたい」と明かしつつ、「今までできなかったことができるようになってきている。他の人にはできないようなことが、一つでも、二つでもできるようになっていってほしい」と息子の成長を願っている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e0042e63557f0a73f626025bc8ec217d421d522f

 この言葉は、ある意味残忍であるとも思う。実に定型らしい、「友達がいるのが『普通』」という「友達至上主義」のお言葉だ。勉強は独りでもできるし、このご時世外国人の友達だってできるかもしれないのに、昔の価値観に固執した「ジダイサクゴ」の親の願いだ。
 だが、別の残忍さを示唆しているとも私には感じられる。さながら、映画『リング』(邦画版)のラストシーン、暗雲立ち込める方向に向かって、主人公の車が真っすぐに疾走して行く様を見ているような、これからが大変なんだ、これからが本番なんだ、という不穏。
 これからアキヤマくんは、きっと日本で思春期を迎える。日本人の生徒たちの中で、思春期を迎える。思春期が精神的にもろい時期であることは言うまでもない。大学病院などには、思春期を専門にした精神科「思春期外来」がある。
 私はどうしても、ブレイディみかこ女史の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』のうちの一話のような状況を懸念してしまう。ネタバレになるので詳細は省くが、読まれた方ならわかるだろう。

Youは何しに日本へ!?

 思春期の子供、特に今はtiktokやLINE、ソシャゲも絡んでいじめが苛烈化していると聞く。私は当事者として、既にその傷を背中に負って現在進行形で蝕まれている者として、彼に憂慮することがある。

「どうか、アキヤマくんが二次障害として精神疾患を負いませんように


発達障害者が恐れるもの、二次障害としての精神障害

 発達障害単体でも十分生活の支障になりうるのに、それが更に惹起するもの、それが「二次障害」である。私の場合は「双極性障害」(旧躁うつ病)である。これは人によって様々で、単なるうつ病であったり人格障害であったり、何がどのように出るか正直遺伝によるところも大きい(私は遺伝である)。仔細は以下引用に譲るが、酷い場合は内的なものは統合失調症、外的なものは犯罪(触法)行為に及ぶようだ。

 実際、私は自閉スペクトラム症というより双極性障害の躁鬱のラピッドサイクル(急速交代)が苦しい。また、躁鬱の交代を制御できない、そのトリガーを引くタイミングを自分で把握できないことがつらい。そして鬱の時は死を、躁の時は触法(他害)行為を仄めかすことが自分の事なのに止められないのがいい加減嫌だ。薬を調整して、ADHDの衝動性と躁の攻撃性を押さえても尚喧嘩凸したり、抗うつ剤を増やしても鬱発言や妬み嫉みの自虐発言が絶えず人が離れる。
「自分が制御できない。どうしようもない。誰も信用できない」
 と言って人事不省に陥れば
「このクソメンヘラが、恩知らずが」
「早く死んだ方が世のため」
「かまちょの命を盾にしてるメンヘラな卑怯な人」

 と罵詈雑言が飛んでくる。だが残念ながら、そういう時は本当に「死」しか見えてない。あんたがたも見えてない。遺書を笑いながら朗読されようと
誰が死んでも僕には関係ないし?
 とシラを切られてももうすべては後の祭りなのだ。そうして入院し、医師のあいだで情報が共有されるわけなのだが。精神障害者は「いつも」メンヘラなわけじゃない。冷静な時もある。
 色んな所で色んなことを記していることもあるし、相談していることもあるし、「あなたたちもPDに見えるケド……ッ!?」と思ったりもするのだ。

アキヤマくん、未来は君の手の中

 話を私の禄でもない私怨から戻そう。もうどうでもいい。指一本で消えたら死んだも同然だ、お互い。なお騒ぐなら他の人も騒ぐだろう。
 アキヤマくん、君は今回のことで非常にセンセーショナルな存在になってしまった。新聞はこれからも君をつけてくるかもしれない。家族は君に「普通」を求めて「トモダチ」を押し付けてくるかもしれないし、君の方から「トモダチ」を欲するかもしれない。そしてその「トモダチ」の国籍が、家族の理想と異なることもあるかもしれない。
 そして、非常に残念なことだけど、インターネットでも、現実でも、能力が突出した人をいびりたがる大人、教師、同級生っていうのはいる
「アスペの癖に」
「俺が教えるとこを先に知ってるとか生意気なガキだ」
「あいつ新聞載ってんだろ、アスペの癖に」

 そんなやっかみが、嫌らしいみみっちいアリみたいな連中が、きみをチクリと刺しにくるかもしれない。アリは一匹なら手で払えるが、大勢くれば怪我になる。その怪我がどうか、「精神の二次障害」にならないことを私は願わずにはいられない。だってきっと、今君を持ち上げている大人たちも君がそれを患った途端、大半が
「何だよ、結局アスペのメンヘラかよ」
 と、「人間」から「メンヘラ」に格下げして勝手にがっかりして去っていく無責任な有様が透けて見えるからさ。
大人って、自分を定型だと思い込んでる大人って、大多数がそんな奴だよ。打算的で、自分だけが正しいと思ってる。自分の脳みそも見たことがない癖にな。

 だから、どうか忘れないでほしい。君の未来は君の手の中にだけある。誰にもそれを奪われてはいけないし、利用されてはいけない。誤解をされたまま、「天才発達障害少年のイコン」で止まってはいけない。
 自由の女神を見に行くんだろう。「自由の女神」なんだから、下賤な大人に縛られたままじゃあ見に行けないだろう。きっと見に行くといい。独りでも、日本人の友達とでも、外国人の友達とでも、どんな形でもいいから。

 未来は君の手の中。

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