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なぜアンパンマンの友達は、愛と勇気だけなのか。

突然だが、私たちが0歳の時からお世話になっている『アンパンマン』のはじまり、”第一話”をご存知だろうか。「アンパンマンが生まれた日」として、YouTubeでアニメを観ることができるので、是非ともご覧いただきたい。



■『それいけ!アンパンマン』は、なぜ「それいけ!」なのか

アンパンマン第1話では、タイトル通り「アンパンマンはどのようにして生まれたのか」が紐解かれる。

これを観ると、アンパンマンとは、そもそも「まちのみんなに美味しいパンを届けよう」と奮闘するジャムおじの物語だったということが分かる。どんなにすみっこにいる人にも、知らないまちからやってきた人にも、毎日元気に暮らす子供たちにも、みんなにパンを届けたい。ひもじい思いをする人が一人もいないようにしたい。

そんな愛溢れるジャムおじに、ある日パンが作れなくなるという事態が発生する。連日の嵐により、小麦粉を買いに行くことができなくなるのだ。それでもジャムおじは、「どこかでお腹を空かせて困っている人がいないといいんだが。」「考えていても仕方がない。残っている小麦粉でパンを焼こう!小麦粉は一つ分しかないけれど、たった一つのパンでもきっと、誰かが喜んでくれるよ。」そう言って、小麦粉を使い切り、ラス1のパンを作る。

そうして生まれたのが、アンパンマンだった。

みんなのところへパンを届けたい。困っている人に、パンを食べて元気になってほしい。お腹をすかせている人のところへさぁ届け。それいけ、それいけ!そんなジャムおじの正義が、このタイトルを『それいけ!アンパンマン』としたのかもしれない。

『思いよ届け!ジャムおじさん!』というタイトルよりも、断然アンパンマンを主軸において『それいけ!アンパンマン』としたほうが”なんか”良い感が拭えないのだ。悲しいかな、おじさん。だけれども、実はやなせたか氏の構想としては、アンパンマンは、はじめ「おじさん」だったらしい。


■おじさんの設定だった元祖『アンパンマン』


初期設定を調べると、なんと元祖アンパンマンはおじさんの設定だったらしい。それもひどく太った、格好のあるヒーロー。なんなら子供たちに「アンパンよりもソフトクリームのほうがいい」と嫌われたという。無念すぎる。それでも、汗だくになりながら世界中の飢えた子供たちにアンパンを届けようとしたアンパンマンの物語。最後は許可なく国境を越えたため撃ち落される話として落ちをつけたらしい。やばい。やなせ氏、意外とサイコパスみが溢れている(怒られろ)。

せやかて工藤、いくら目の前の誰かが弱っていたとて、おじさんの代案に自分の顔をちぎって食べさせる主人公を国民的ヒーローにしてしまうなど、やっぱりやなせ氏の中で何かしらの裏設定くらい考えてくれていなければ、ただのサイコパスに思えてきてしまうではないか(土下座)。

ということで、「アンパン(顔)をちぎって食べさせるという行為」に込められた、やなせたかし氏が私達に読み解いてほしかった(であろう)思いを、(勝手に)考察してみることにした。


■アンパンチの威力



一度冷静になって考えてみると、視聴する年齢層のかなり低い(0歳児も釘付けになる)日本を代表するアニメーションの主人公が、毎回自分の顔をちぎって人に食べさせるというのは、かなりパンチの効いた作品であると言える。必殺奥義「アンパンチ」だけに。(やかましい)

そして肝心なのは、アンパンマンには、このアンパンチしか繰り出す技がないという点だ。…というと語弊がありすぎるのだが、他の技に関しても、アンキックだとかアンチョップだとか、いつだってアンパンマンは己の力でどうにかしようとするものしか繰り出さない。(たまーに「そんな能力も兼ね備えていたのか!?」って技を突如として繰り出すときもあるのだがスペシャル回用とみて割愛。)

基本的には、戦闘体制になっても武器を持たないし、衣装チェンジも最強ヒーローベルトもない。それならばむしろ、アンパンマンのあの黄色いベルトは一体なんの為にあるのだろうか。本当にただただズボンが落ちてこないようにするものということならば謝る。ヒーローベルトに過度な期待を持ちすぎた私の過失だ。

ただ、一撃で星の彼方まで吹っ飛んでいくバイキンマンを見る限り、アンパンチにはかなり強靭な力がこめらそうではある。筆者しらべによると、国際航空連盟が高度100kmから上を宇宙と定義しているそうなので、宇宙までの距離100km、アンパンチの腕力をXとしてどのくらいの威力で毎度バイキンマンを吹っ飛ばしているのかを計算できそうだとも思ったが、バイキンマンの重量が謎だったため断念せざるを得なかった。

少なくともここで言えるのは、アンパンマンは『攻め』に関してだけ言えば、武器を使うことなく己の力のみで闘いに挑み、必ず勝利する「強い」キャラクターであるということだ。


■アンパンマンの顔、濡れないようにしないのか問題


しかし、はたまた『守り』となると、めちゃくちゃ弱いのがアンパンマンだ。やなせ氏は生前、アンパンマンは、世界最弱のヒーローだと語っていたことがある。顔が濡れるとすぐに力が無くなるし、ジャムおじに新しい顔に変えてもらわないと力を取り戻すことができない。それなのに自分の顔をちぎって「どうぞ」してしまう。アンパンマンの正義は、自己犠牲の上に成り立っている。

今ならきっと、濡れても強いままの顔(パン)を開発しようとするだろう。
新しい顔を増産して、自分の顔を分けてあげなくても良いように、持ち運び可能な顔をつくるだろう。そもそもバイキンマン(菌、カビ)とアンパンマン(食品)を、そんな高頻度でハチ合わせることのないようにするだろう。

令和って多分、そんな時代だ。

それでもなお、この時代においてもアンパンマンがヒーローでい続けてくれているのってさ、何かを守り抜こうとする時には必ず代償が必要だったり、闘った後にはひと回り凛々しくなった新しい(顔の)自分になったことに気付くんだよっていうことを、間接的に教えてくれているからなのかもしれない。それが、アンパンマンなりの正義の提示の仕方なのかもしれない。

たとえ世界最弱のヒーローでも。


まぁ、正直な気持ちをぶっちゃけると「てんどんまん」とかいう外見食器キャラの存在が許されるのであれば、アンパンマンだってせめてもっと手軽にサランラップくらい巻けばいいのにと妄想を膨らませてしまう筆者であった。

(てんどんまん、もはやパンじゃなくてご飯で草)


※さらに初期も初期、やなせ氏がおじさんアンパンマンを思いつくに至った経緯はこちら。数々の苦言を謝りたい。サイコみが溢れるなどと好き勝手言ってごめんなさい。


■他のキャラの顔は食べられないのか


アンパンマン全話を観たことがあるわけではない素人が通ります。

他の主要キャラって、どうやって誕生したのだろうか。確か私の知る限りでは、ジャムおじがカレーパンやしょくぱんを作製するシーンって見たことないんだけど、ご存知の方がいたら是非教えてください。

アンパンマンは、そもそもジャムおじ自身の「誰かの役に立ちたい」という思いが形になって、この世に誕生している。

事実、アンパンマンの仕事は、ジャムおじの目の届かない場所まで飛んでいって、困っている人がいないかパトロールしにいくこと。そして、困っている人にパンを分け与えること。

いつでもアンパンマンが自分を犠牲にして顔(パン)を分け与え、最後までバイキンマンと戦う。

カレーパンマンが「ここは僕の顔を分けるから!」とか、しょくぱんまんが「僕の顔もどうぞ」とかいう場面を見たことがない。(あったらごめん)

アンパンマンのマーチ「愛と勇気だけが友達さ」という歌詞の通り、仲間とともに戦おう的な物語ではないのだ。

この歌詞について調べてみると、やなせ氏が「これから闘うって時に『君も一緒に』なんて言ってたらダメ、最後は一人の覚悟がなければならない。」「正義なんて時代によって移り変わってしまう。そんな時に信じる事ができるのは自分だけ」と言っていたということを知った。

なるほど、究極の正義とは、そういうことか。

確かに、空腹で困っている人がいたときに、自分以外の誰かにも「君も持っている食べ物を分け与えるべきだ」ということは正義ではない。
例えそれで自分が他の誰かの役に立っていても、それを人にも同じことを強調することは、決して正義とはいえない。

正義を貫くとき、最後はいつだって、誰だって、一人なのかもしれない。

だからアンパンマンは自分の力のみを使って戦い続けるし、たとえ水に濡れただけで弱ってしまう顔だとしても、その一部を躊躇なく困っている人に分け与える。

それが、アンパンマンの根底にある、アンパンマン自身の正義だから。

それでも、アンパンマンが闘おうとするとき、どんなに遠い場所からでも、力いっぱい新しい顔をなげてくれるジャムおじの愛がある。頑張れと願ってくれるバタコさんの愛がある。いつだって味方でいてくれる仲間たちの愛がある。

そして、敵に立ち向かう勇気をもつ。

あの威力最強のアンパンチには、そんな、自分一人の力だけでは生み出せない愛と勇気がこめられている。だからこそ、宇宙の彼方までバイキンマンを吹っ飛ばすだけの力をこめることができるのかもしれない。


■正義の味方


確かに、ヒーローものは見ていて楽しい。ウルトラマンもゴジラも、みんなそれぞれの正義を持って敵と戦っている。それでも、ヒーローと敵が派手にやりあって大暴れして、どちらかの正義が勝ったとして、残るのは大抵、めちゃくちゃになってしまった街と、大切なものや場所を失った人だ。

正義の味方は、何の正義に対して味方してくれるのだろう。

本当の正義とは、いったい何だろう?

アンパンマンの正義は分かりやすい。
目の前にいる困っている人に、ただ手を差し伸べる。
自分の一部(愛)を分け与えるというやり方で。
奇跡のようなことが起こるわけでもないし、根本的に何かが解決するわけではないかもしれないけれど、それでも、「どうしたの?」と声をかけ、自分の唯一分け与えることができる顔の一部を手渡す。

誰かの役に立つということは、必ずしも、だいそれたことをすることだけが全てではないのだということを、伝えているのかもしれない。

ただ、目の前の誰かが困っていれば、自分の分け与えることのできる何か愛の一部でもって、手を差し伸べようとするだけでもいいのかもしれない。

だれかが自分に手を差し伸べようとしてくれる、ただそれだけで、救われることだって、あるのだから。

今のこの時代にこそもう一度、名作『それいけ!アンパンマン』から学ぶべきことは大きい。



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