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Ⅱ章 彼女の場合-Otherside-


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「……とうとう時間ですね。最後にワンプレー。カウンターを狙って終わりにしましょう」

 出来ますか、という監督の問いに、ハルは落ち着いて頷いた。
慧と喜多村がマークを外してくれたおかげで、純は相手のエース―瀧 歩―を止めることが出来た。
均衡が崩れたと知るや、青応はエースのフォローに回った。それを阻止するため、由比ヶ浜のメンバーが抑えに入る。結果、文字通り混戦状態になり、試合の中心は、純とハルになった。勢いに乗った由比ヶ浜が追い上げる展開。しかし、それでも結果は変わらなかった。

 ラスト20秒。これが本当に最後のタイムアウト。

最終クォーター
  由比ヶ浜高校 66 ―― 青応大附属高校 75

「瀧選手のカラクリは、ユーロ・ステップですね」
嶋監督は言ってから、純に以降の説明をするよう促した。

「ユーロ・ステップは、ボールを持ってから1歩目と逆方向に2歩目を踏み込むステップなんだけど……。一気に踏み込んでくるから、守る側は下がらないとディフェンスファールを取られると感じてしまう。……けど、実はそうじゃないんだ。彼の場合は、踏み込みが深過ぎて、自分から当たりに行くようなステップになってる。だからオフェンスファールに持ち込みやすい。彼を4ファールまで追い込めたのは、それが理由なんだ」

「お前わかってやってたのか……」ハルは驚きながら彼を見た。

「それでハルに頼みたいことがあるんだ。彼の動きが追えるのは、僕とハルだけだから……」


 最後のワンプレーは、青応スタートだった。
コート中央、ハルがすばやく歩のマークに着いた。

「仮に僕がマークしたとして……。本当に彼はユーロ・ステップを出してくるのか?」


――――根拠はあるよ。
自分の得意技で状況を逆転したこと。
その上で僕との勝負に何度も負けたこと。
そして、ラストに僕ではない「誰か」にマークされること。
栄光と屈辱が重なった試合。彼は勝ち逃げを許すタイプじゃないと思う。


 だと良いんだが……と思いつつ、ハルは残り時間を確認する。

 ふっ、と息を吐いた。「のんびり出来ないな、これは」
ハルは素早く右手を伸ばしてボールに触れるが、歩がギリギリでコントロールを保ったまま躱した。想像以上の鋭さに歩の顔色が変わる。
危機を感じた歩は、たまらず由比ヶ浜コートの右側へと切り込むが、ハルのマークを振り切れなかった。


――――追い詰められた。凄い人だ。だけど絶好の位置だ。ここなら。
歩は、一歩下がって戦闘態勢に入った。


「彼のユーロ・ステップは、始動する直前に重心が一瞬後ろに下がる。その瞬間に他の攻めが選択肢から消える。それと彼の好みの位置は右側。そこから1歩目は外、2歩目で内側に入り込んでくる。狙うなら――――」

――――ドンピシャだな。
パァンという高い音とともにボールが跳ね上がった。

多くの選手が見上げ、ボールの行方を眼で追う中、青応の水澤だけは冷静に自陣に向かって全速力で走った。
カウンター対策でジョナサンをゴール下に残して良かった、そう思いながら、突き進むハルの進路に合わせて立ちはだかる。

 あと4秒か……。

確認したハルがフリースローラインまで下がって、水澤の右脇腹を抜けるようにバウンドパスを出す。

――――しまった……!抜けられた!?
水澤が振り向くより先、彼はそれを受け取った勢いのままに駆けた。
コートをまるで草原のように駆け回る快馬は、走り去ると同時に微かな空気の余韻を残していった。

 純のコースはわかりやすかった。
ジョナサンがそこに立ち塞がり、タイミングを合わせて跳べばいい。
水澤は、そのことを理解して安堵した。
あの位置で重要なのは高さだ、それならば……と。

 進路を塞がれた純は勢いよく跳び、ボールを持った右手をゴールへ目掛けて、ゆっくりと上げた。
それを確認したジョナサンが彼を止めるべく、狙いを定めて腕の位置を固めた時だった。
純の右手が下がり、ボールを左手へ持ち換えた。
そのまま壁のない左側をすり抜けるようにしてリングへ放った。

「「ダブルクラッチ!!」」

 コート上の選手、ベンチ、審判、そして観客。
このゲームに関わったすべての人が意表を突かれた瞬間だった。
終盤に試合が動くきっかけを作り、彼は最後に見事なワンプレーを決めた。
だが、ネットが揺れたその時、試合終了の笛は鳴った。
 悠木 純は、着地したその場所で立ち尽くしていた。
――――由比ヶ浜のバスケが終わった瞬間だった。


最終クォーター
  由比ヶ浜高校 68 ―― 青応大附属高校 75



Ⅱ章 彼女の場合-Otherside-



「今日は皆さん疲れたでしょう。ここで解散しましょう。あとは私と2年生たちでやりますから」
そう言うと嶋監督は後輩を連れて、僕らを置いて撤収してしまった。


「解散って言われてもなぁ……どうするよ?」
「どうするって言ったってお前……なぁ?」

 状況が飲み込めないでいた慧と隆を横目に、ハルは考え込んでいた。

「まぁ……僕たちに気を使ってくれたんだろ。頑張ってきたから」

 あぁ……と納得する声が2人から上がった。

「で、どうするよ。その辺のマックで話して帰るってのも……なんかなぁ?負けたところで食いたくねぇよなぁ?」
「慧。その飯、絶対マズいぞ……。なぁ、ハル。純もどこかないのか?」
「僕は特にないな……。かと言って、このまま帰宅するのも……」


「海に行きたい」


 言って、自分で驚いた。
3人が僕の顔を見て、海か……と呟きながら何かを考えて携帯を取り出した。
ハルは時間と場所を、慧は行き方を、隆は近くのご飯屋を調べ始めた。

しばらくして…

「「「アリだな」」」

何故か、ドヤ顔だった。

「そ、そう。それでどうやって行くの?」
「こっからだと小田急で藤沢駅まで行って、そこから江ノ電に乗り換えて、鎌倉高校前駅で降りるのが一番良さげだぜ?」

「どうよ、今日のMVP」
慧が携帯に映った夕景を見せてくれた。
駅から見える夕陽に染まった海辺の画像は凄く綺麗だった。
今の僕らには必要な風景だと思った。

「googleで見た感じだとコンビニはなさそうだ。道中で買った方が良さげだな」
「じゃあ、そこのコンビニで買っておこう……純、どうした?」

こちらに気付いたハルは、不思議そうな顔で僕を見た。

「嫌だったか?」
「そうじゃなくて……」

「なんかこういうのっていいなって思ったんだ。練習ばかりだったから」

「あー確かになぁ」慧は唸った。
「言われてみればそうだな……」ハルは忘れていたようだった。
「本当に練習、練習、練習だったからなぁ」隆も同様だった。

 そうだよね。僕らは本当にそれしかなかった。

 私はパス。帰るわ……。と言った舞衣ちゃんの目元は腫れていた。
そっとしておいた方が良い。皆わかっていた。
僕は、「うん、お疲れ。ゆっくり休んでね」とだけ返して見送った。


 試合会場を出て、電車に乗る頃には午後の4時を回ろうとしていた。
「これ間に合うか?ちゃんと夕焼け観れるか?」と聴いたハルに、慧が「急行だから大丈夫だろ、多分」と返した。

 ボールやドリンクなどの備品は先生たちが運んでくれたので身軽だった。
僕らのバッグに入っているのは、使い古したバスケットシューズと汗まみれのユニフォームとタオル、空の弁当箱。あとは財布と携帯くらい。


 急行に乗ると、僕はハルと、慧は隆とペアで向き合いながら座った。
なぁ……、とおもむろにハルが僕らに声を掛けた。



「もう泣いていいか?」



――――ぽつりとひと言だけ。
だけど、僕らには、その言葉だけで充分だった。


手で口元を抑えながら泣き続けるハル。
顔を横に向けながら鼻をすすっている慧。
天井を見上げて涙が零れないように堪えている隆。


――――悔しくないわけがない。



 僕らは全力で戦って、全力で負けたんだ。
だから悔しい。この3年間で築いたすべてを出して負けたのだから。
みんなが持てる強みを活かしてきた。自分の出来ること。できないこと。
それを工夫して、補い合って。そうやってチームを作ってきた。
そこまでやって。それでも僕らは届かなかった。
報われるチームはひとつしかない。
解っていたけど、やはり悔しかった。


「俺はちゃんと部長をやれてたかな?」
ハルは震えながら、僕に答えを求めた。


 彼は真面目だった。誰よりも責任感が強かった。だから部長に選ばれた。
誰もが信頼を寄せていた。ハルならチームを引っ張ってくれるだろうと。
その一方、彼はいつも重圧に押し潰されそうになっていた。
――――真面目と責任感の裏返し。長所と短所はイコールなんだろう。


「うん。大丈夫だったよ。最後まで部長としての仕事をしてた。喜多村君達もバスケを続けたいって思ったはずだよ」

「僕たちは負けた。全力でここまで来て、全力で戦って負けたんだ。ここまで力を合わせてきたこと。言い訳しないで努力し続けたこと。誠実にバスケと向き合ったこと。そのひとつひとつを出し切った。後悔なんてない。これ以上ない終わり方だったと思う」

 彼なりの強がりだった。
努力の果てに待ち受けるものが厳しい世界だということ。
その中でも出し切れば、納得の出来る結末があるのだと。
努力する意味は、ちゃんとあるのだと伝えたかった。
たとえ、受け入れるには時間が必要だったしても……。
後輩たちには前を向いて欲しかった。
それがハルの優しさだった。

「繋いでくれるよ……。次の部長は喜多村君だし、他の子たちも真面目だから。それに皆、ハルを慕ってた。だから大丈夫だよ」

 だったら良いなぁ……。言って、ハルは窓の外へ眼を向けた。


「俺たちが3年間走った意味は、自分たちだけのモノじゃなかったんだな」
しばらくして、隆が窓を眺めながらぼんやりと言った。
少しずつ朱くなっていく陽射しは、車内の影をより深く大きくした。

「なぁ、お前ら。進路どうする?」
ふと、夕陽と影の世界で慧が聴いた。

「俺は、医者を目指すよ。鮮花のことがあるから」
「……だろうな。そういえば、試合終わった後さ。お前、優斗と話してたな。何話してたんだ?」

「あぁ、水澤か……。大学でバスケやらないのか?って聴かれたんだ。やらないって言ったら、『もっと戦いたかったのに残念だ』ってさ」
「へぇ……。随分と気に入られたな」

「最後に良い言葉を貰ったと思ったよ。慧は理系に行くのか?」
「そうだなぁ……。理系、出来れば数学科に行きたいと思ってる」

「ほんと数学好きだよなぁ。で、隆はやっぱり家継ぐのか?」
「そのつもりだ。弟たちもいるけど、他にやりたいこともないし、弟たちには好きに生きて欲しい。好きな道に行ってくれ、と父さんには言われてるけどさ」

「そっか。純はどうする?」


「僕は……」と口にしてから、自分の気持ちを確かめた。
前から思っていたこと。でも不安だった。この道で本当に大丈夫か、と。
でも、今日の試合で覚悟を決めることが出来た。
言おう。覚悟を決めて。僕が、この先納得して進めるように――――


「僕は、スポーツ推薦を受けようと思ってる」
勇気を出して言った言葉に、彼らは静かに頷いた。

「どうして、その道を選んだ?」
ハルがこちらを見て言った。何かを確かめるように見えた。


「僕は高校に入って、みんなと出会ってバスケが上手くなった。周りを観ることも、自分を活かすことも、努力することも教えて貰った。バスケを通して、僕はもっと色んなことを学びたいって思ったんだ。それに……」

「それに……?」

「僕は、みんなと過ごした日々を大切にしていきたい。この時間が無駄じゃなかったことを、みんなが選ばなかった道の続きを歩くことで証明したいんだ」


「そっか……。嬉しい言葉だな、それは」
涙ぐむハルの声につられて、隆も慧も僕も泣いた。


「いつか。……いつかさ。皆でまたバスケしようよ。僕が引退したらさ。亮二も誘って」

「いいな、それ。アイツはいきなり呼ぼうぜ。どうせ前もって言ったところで怠け癖は治ってねぇだろうし」
慧は涙を拭いながらクスリと笑っていた。

「だな。仕事始めてもランニングと筋トレはやっておくか……」
やっぱり、隆は実直だと思った。


「俺たちの夢を繋いでくれるんだな」静かにハルが言った。
「うん。僕が持って行くよ」僕は出来るだけ優しく、でも力強く返した。

「じゃあ、俺らの襷を持って行ってくれ」
「うん。持って行く。どこまで行けるか分からないけど」

 ハルの声に思わず震えた。託された気持ちの重み。
みんなと過ごした3年間の想い。それぞれの想い。
託されること。――――これが僕の覚悟なんだ。


 辞めて行く者。残っていく者。
この2つを分かつ境界。今、僕らはそれぞれの側に立った。
これからいくつもの襷を預かって歩いていくのだろう。
そして、僕もいつかは向こう側に行くのだろう。
その時が来るまで僕は歩き続けたい。
僕らの想いが消えないように。
この時間が消えないように。



窓から見える海は、辺り一面を夕陽に染まっていた。
枝分かれした僕らには、それぞれの苦難が待っているのだろう。
その前にひと呼吸する時間が僕らには必要だった。

それぞれが行き先を選び、そして捨てた。
だからこの景色は、黄昏れるにはちょうど良い。
陽射しで輝いた海を観ながら僕は、綺麗だな、と想った。

『 Interstate 46』 by MONOEYES

ついに最終日を迎えた僕たちは 
波打ち際に立って 今も名残り惜しんでいる
君と手に入れた2日酔いみたいにね

僕らは楽しくて笑ってた
僕らにとってのユートピア
それが今の僕たちにはある

46号線を走ってた
街の灯りが遠くなって
これを見てるのが僕だけだなんてだ言うなよな

46号線を走ってた
僕らが来た道を振り返る
こんな気持ちになってるのが僕だけだなんて言うなよな

わかってるよ まだ始まったばかり
ずっと鳴ってる耳鳴りみたいに
ゆっくり でも確かに近付いてくる
なんていうか遠い夢みたいな感じ

僕らは楽しくて笑ってた
僕らにとってのユートピア
それが今の僕たちにはある

46号線を走ってた
街の灯りが遠くなって
これを見てるのが僕だけだなんてだ言うなよな

46号線を走ってた
僕らが来た道を振り返る
こんな気持ちになってるのが僕だけだなんて言うなよな

僕らの肖像画を描くのはただ楽しかった
いい時も 悪い時も
僕らのほんの小さな部分

この先もずっとこの日を忘れない
火の粉を散らすような
僕たちはきっとやっていける

帰りの飛行機が飛び立つところ
この夏はもう終わり
ただいつも通り過ぎ去る日々のように
でも僕らはここで過ごした日々に戻れるから
たとえ何年経ってもね

僕らは楽しくて笑ってた
僕らにとってのユートピア
また歌うんだよ、今日みたいに

46号線を走ってた
街の灯りが遠くなって
これを見てるのが僕だけだなんてだ言うなよな

46号線を走ってた
僕らが来た道を振り返る
こんな気持ちになってるのが僕だけだなんて言うなよな

こんな気持ちになってるのは

46号線を走ってた
街の灯りが遠くなって
こんな気持ちになってるのはさ

       『Interstate 46』 by MONOEYES Youtube公式翻訳より引用


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