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その"向き・不向き"、あってる?

大学生のころ、運動が大嫌いだった私は、キラキラのテニスサークルなんかに入れるはずもなく、予定通り文化系のサークルに入った。広告系のサークルだった。

エンタメが大好きだったおかげでメディアに興味があったこと、それから、やたらと大人数が所属していたので、これだけ人がいたら気の合う人がいるかもな~と思ったことが理由。根本的に人見知りな私は、「ある程度人数のいる組織には、その中に1人くらいは気の合う人がいるはず」という謎の持論をもっていて、中高の部活もそれで決めた。その持論が合っているかどうかは未だに謎だけど、中高の部活もそのサークルも、人との出会いには恵まれていたので、もしかしたら合ってるのかもしれないなーと思っているところ。

そんなわけで広告を作ったりお勉強したりするサークルに入ったのだけど、「広告」といったら、「アイデア」「クリエイティブ」の世界といきなりぶち当たるわけです。私はどちらかというといわゆる「クリエイティブ」なものに苦手意識を強くもっていて。絵も描けないし、突飛なアイデアも思い浮かばないし、人に誇れる特別な経験をしているわけでもなく、面白いことも言えない。「クリエイティブ」にイメージされるような人間じゃなかった。

だから、「クリエイティブ」とか「アイデア」とか、そういうの苦手だから~!と、逃げまくり嫌がりまくり、結局、理屈を組み立てるとか戦略を議論するとかそういう方にアイデンティティを見出そうと活動していた気がする。

んで、そんなサークル時代のエピソードとともに、就職活動の面接では「私の得意なことは、理論的に物事を考えることです」とか寒いことを言っていたし(書いてるだけで恥ずかしい笑)、クリエイティブなことなんて携われるわけがない、と思い込んで、広告系やメディア系の仕事に就くことをやめた。

そして今に至るわけだけれど、noteを始めて、気付いた。私がnoteを書くとき、もちろん文章を書くことには一番の力を注いでいるけれど、わくわくするのは「ヘッダーの写真を選ぶとき」だ。自分が日常で撮りためたたくさんの写メの中から、一番いい意味でニクくてマッチしてて、文章の内容やトーンに合わせて読者に響きやすいものはどれかなーと選ぶとき。あぁ、イメージしているような素材がないなぁ、悔しい、と思うとき。それが楽しい。

思えば、会社で資料を作っているときも、この内容でこのフォントはマッチしないなー、とか、このパワポの色合い、おじさんは好きかもだけど若手には好かれない気がする、とか色々気になっていたし、自分で好き勝手作れる時は一番やりがいがあった。色からフォントからページ遷移から、自分なりに良いものを作りたい、と思っていろいろ凝った。もちろん、使えるソフトなんてパワーポイントくらいだから、それだけを駆使して。

もっと遡ると、サークルでプレゼン資料を作るときも、こっちの方が見やすい、とか、当日の照明暗いんだから背景はこの色の方が、とか、ここで文字をこうやって出して、とか、それなりにこだわっていた気もする。

・・・・これって、「クリエイティブ」じゃね???????

そう、就活のときに思っていた自分の「向き」「不向き」とか、「得意」「不得意」とか、そういうのが、実は違うんじゃないか、と気付いた。「面白いことを言えるひとがクリエイティブ」とか、もはやクリエイティブを仕事にしている人に失礼の極み。

自分の向き不向きって、思い込んでいるだけで、実は違うっていうことがよくある。でも、それってそんなに簡単にわかるものでもない。要は、何でも、とりあえずやってみないとわからないのかも、って今は思う。

大人になるにつれて、普通は身動き取りづらくなっていくものなのかもしれないけれど、なんだか真逆を行っている。「とりあえずやってみる」のハードルが、下がっている。恥を捨てたから?オープンマインドでいることを決めたから?わからないけれど、歳をとるのも、わるくない。試してみて失敗したからって、死ぬことはない。「You やっちゃいなよ」って言われている気持ちで、いろいろ躊躇なく、トライしてみたい。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。