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「がっかり」させることの罪

最近、社会人による就活生への犯罪を目にする機会が多かったり、相変わらず#Metooとかセクハラ問題が絶えなかったりで、そういうニュースを見聞きするたびに「残念だなぁ」という感想がうかぶ。怒りとかよりも先に、「残念」と。

私も普通の20代の女子として生きてきているので、それなりに嫌な思いをすることはあった。これは場所を問わず、いわゆる「大人の男性」に対して。幸い犯罪とまでの目にあったことはないし、今さら過去の誰かの言動に対して、許さない!と声をあげるほどの熱量は私にはないし、すでに私の脳内で抹殺しているけれど(笑)、やっぱり一般的に「若い女性」というのは、本当に生きづらいカテゴリーだなぁと思うことは間違いない。

これは、いわゆる「バリキャリ」みたいなキャリアを歩んでいる女性だと勘違いされがちな「男勝り」とか「男性より認められたい」とかそんな欲求とはまったく紐づいていなくて。というか、真面目に将来を見据えたり夢や目標を持って勉強したり働いている女性は、自分の性別を過剰に意識したりはしない、と私は思う。性別で誰かをカテゴライズしたりする、そんな次元で物事を考えていない優秀な人は、男女問わずたくさんいる。これはフェミニズムでもなんでもない。

それでも、そんな子たちを心の底から「がっかり」させてしまう社会だなぁと、思う。就活生を「可愛いか可愛くないか」という目線で見たり特別扱いする男性がいたり、「若い女性だから」という理由で宴席に特別多く呼ばれたり。「女性かそうでないか」「若いか若くないか」というカテゴライズが、嫌というほど身の回りで登場し始める。学生時代までは、一切なかったのに、だ。男女も年齢も関係なく、同じように目標を持ち、同じ教育を受け、同じ環境で勉学に励んでいても、就職活動とか社会と接し始めて突然、「若い女性である」というカテゴライズの中で苦しむことになる。

何が一番悲しいかって、自分がそういう対象として見られていること、だと思う。自分より年上の男性に対して、本当の意味のリスペクトを持っていたり、本当に勉強させてもらいたい、話を聞かせてほしい、と思って会ったとしても、一通りそんな話をしたあとに、デートの約束や身体の関係を求められたりする。その時に初めて、「あぁ、このひとはそれ目的で私と会い、私のためになるような話をしたんだ」と思う。心の底から、がっかりする。私を「若い女性」ではなく「私」という一人の人間として性格や能力を認めてくれていたのではないのか、と、深く絶望する。夢を見る若い女性にとって、それは心から「がっかり」することだ。そういったたくさんの場面の積み重ねでこの社会に絶望したり、何かを諦めた若い女性がたくさんいるんじゃないか、と思うと、心が痛む。目上の男性に対して、純粋なリスペクトの気持ちを持つことが、怖くなるのだ。また「がっかり」させられるのが嫌だから。今の社会の目上の人は、男性ばかりなのに。そうした経験を通じて若い女性を絶望させる罪は、重い。

おそらく、こういう話をすると「それでも、若い女性という特権を使って、有益な話を聞けたのだからいいじゃないか」とか「それも武器だ」と思う男性もいるのだろうと思う。けれど、そういった男性の行為や発言にがっかりする女性は、そんな低い次元で話をしていないし、そんな低い次元の将来を見据えていない。

社会はそんなに簡単には変わらない。変わらない社会で生き抜くために、自分を捨てたりやり過ごしている女性は山ほどいるのだろう。男性の機嫌も損ねずに利用しながらもうまくやり過ごす女性を「クレバーだ」「賢明だ」と評する人もいるだろうし、私自身も、あぁもうやり過ごそう、と思ったことはたくさんあったけれど、その方法を決めるのは自分自身だ。「クレバー」でいようが、毎回声を上げようが、どちらでもいい。どちらでもいいから、自分を捨てないで、と、思う。立ち上がるのにも、我慢するのにも、どちらにも労力がいる。どうか、どちらを選んだとしても、自分を殺さないで。自尊心を死守して。そして、「立ち上がるか」「我慢するか」みたいなしょうもない選択肢しかない社会を、意識を、1日でも早く変えないといけない。

「辛い」とか「悔しい」とか「腹立つ」という言葉よりも、「がっかり」という言葉が一番ぴったりくるのだ。世の中を知らないハタチそこそこの女性にとっての今の社会のあり様は、「がっかり」という言葉がぴったり。

もちろん、逆もしかりだとおもっている。男性に対しての差別も、最近とても気になっている。「おじさん」「おっさん」というカテゴライズや、それに対しての「イジり」も。これは追って書くけれど、まずは私自身がいわゆる「20代の女性」であるからこそ感じる痛みを、書きたかった。どうか性別も年齢も関係なく、人が「個」として正しく認められ、自由になれる日が来るように強く願うし、そのためにどうすればいいのか、を考えずにはいられない。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。