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霧島はるか
2024年1月31日 20:16
1「とりま、やることやっちゃおうよ」思いつめた表情でつぶやいた彼は、おもむろにアンプの電源を落とした。軽い破裂音のようなものがしてノイズが消える。圧迫感から解放された鼓膜が、じわりじわりと膨張して、むずがゆかった。昔からメタルと呼ばれる類の音楽のよさがわからなかったけど、この子の下手くそなギターをあんまり長く聴いてきたせいで、今では勧められるどんなバンドの曲も工事現場の騒音となんら変わり
2024年2月6日 19:19
2「こんにちは、神父さん」私が声をかけると、神父さんは庭いじりの手を止めふりかえり、朗らかな笑みを浮かべた。もちろん、子供の私に悟られまいと気を遣ってくれているのだろうけど、それでも、普段と変わらない笑顔を浮かべてくれたことに、私は内心安堵のため息をこぼした。「こんにちは杏子(あんず)さん、学校お疲れ様です」言いながら、神父さんはむくっと立ち上がる。そうすると、私はたちまち彼の影に覆わ
2024年2月21日 23:40
あと少し。あと少し。あと少し。額にじっとりと汗が滲むのを感じながら、杏子は心の中で呟き続ける。放課後の学校。テスト期間中の校内は、ひっそりと静まり返っていた。そんな校舎の影にすっぽりと覆われた教員用の駐車場。まばらにとまった車の脇を、そろりそろりと、杏子が進む。息を止めているのももう限界だった。とにかくこれを片付けてしまわなければ。神経をとがらせ、一歩、また一歩と踏み締めるようにして歩み
2024年3月2日 15:05
3人生は突然、何の前触れもなく、簡単に壊れてしまう。お母さんも、お父さんの笑顔も、あの日、私の前から一瞬にして消えてしまった。まるでジェンガみたいに、簡単に崩れてしまった。あの時の私は、お母さんにもう二度と会うことはできないのだという事実を、ちゃんと理解できていなかったように思う。それよりも、打ちひしがれた表情でひたすらお母さんの写真を見つめ続けていたお父さんが、もう一生こんな顔のままな
2024年3月6日 20:23
お母さんが死んだのは、私が十歳の頃だった。自殺だった。この町では、特別珍しいものではなかった。渡呉(わたらご)の土着の病みたいなもんだ、なんていう人も少なくなかった。颯のお父さんも、杏子ちゃんのお父さんも、蒔田の娘さんも、みんな、自殺だった。そこをふまえれば、『ササメサマの禍イ話(まがいばなし)』も、渡呉祭の生巫女流し(イキミコナガシ)も、渡呉の町が生んだ、らしすぎる文化といえるだろう。
2024年3月11日 20:26
私は中学二年生になっていた。度重なる演技で、私の心はぼろぼろだった。さらに、自ら抱いた疑念のせいで、何の罪もないヘレナさんの優しさをうまく受け入れることができず、私の心から、再び平穏が失われつつあった。私は周りから変わってしまったねと、思われるようになった。お母さんのことがあるから、みんな口にこそ出さないものの、彼らから向けられる視線は、明らかに変わってしまった私への戸惑いを感じさせるものだ