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【二十四節気】春分

          3月21日から4月4日頃

毎年3月20日か21日のいずれか春分の日とされており、『自然を称え生命を慈しむ日』とされています。

忙しい毎日の中に身を置き過ごしていると、どうしても本来の意味を忘れてしまいがちですが、祝日にはこのようにひとつひとつに意味があります。


今ここにある自然の恵みに感謝し、長く厳しい冬を乗りこえ、またこうして春を迎えることができた『春分』に喜びを感じ過ごしたいですね。


さて、日本では古くからお彼岸には、ぼたもちやおはぎをお供えしご先祖様への供養としてきました。
「ぼたもち」と「おはぎ」の違いにいくつかの説があるようですが、実はどちらも同じものでその季節に咲く花によって呼び名が違うだけのようです。



春のお彼岸には小豆を牡丹の花に見立てたことから「牡丹餅」「ぼたもち」


菓子の表面に小豆の皮が浮かぶ様子が萩の花に似ていることから「御萩」「おはぎ」と呼ばれるようになったとか。



そして夏には「夜船」冬には「北窓」という呼び名に変わるのですが


その由来としては
臼で搗かないので音がしないことから
搗き知らず→着き知らず(夜は船がいつ着いたのか分からない)「夜船」と呼び
搗き知らず→月知らず(月が見えないのは北の窓)「北窓」となったようです。


少々強引のようにも思えますが、季節によって呼び名が変わる食べ物ってなんだかとても乙ですよね。
その季節ごとの情景や風情、花などを慈しんでいたからこそ生まれたであろう表現を知るたび、私は深い意味を感じずにはいられません。



現代よりずっと自然は身近なものであり、感覚も豊かで五感を研ぎ澄まし過ごしていたのではないかと遠い遠い昔の日本に想いを巡らせたくなるのです。



昨今、空前の短歌ブームだと言われ、数年前からSNSを中心に発信する人が増え、目にする機会も多くなりました。
数年前、私自身も短歌に挑戦し、いくつか書いたこともありますが、詩とはまた違い短い中にどれだけのことが伝えらられるだろうかと言葉選びにとても苦戦した記憶があります。



万葉集、古今和歌集など江戸時代までに創作されたものを和歌と呼び明治時代以降に創作されたものを短歌といいます。
形式は同じ57577の31文字の世界。

日常の中の気付きや、気持ちをストレートに詠まれているものが多い短歌に対し、和歌は主に情景や恋心などが詠まれているものが多いのが特徴です。
どちらが好きかと問われれば、本当に自分の好みになってしまうのですが、私はその表現の美しさから和歌に触れることが多いです。

和歌の魅力といえば、間接的な表現からいかにその心情に寄り添い、当時の世相やその人の位であったり情景などを浮かべながら想像をすることに尽きるのではないでしょうか。
抽象的で直接的でなく読み手にいかに託すか…。
昨年一年を通し、書いてきた七十二候の中でも和歌の作品をいくつか挙げ私なりの解釈を載せてきました。


ということで久しぶりになりますが今回はこの一句を選んでみました。

あしひきの山桜花 日並べてかく咲きたらば 
いと恋ひめやも

『万葉集』山部赤人


【現代語訳】
あしひきの山の桜の花が何日もこのように咲くのならどうして待ち望むことがあるだろう



私も毎年焦がれるように待ちわびる桜の開花。その美しさは今この一瞬だからこそより輝きを放ち、それはもう眩しいほど。


もしこの桜がずっとあるのなら、町の景色に同化され見向きもしないのかもしれない。




いつも思うことがあります。
足らないくらいがちょうどいい、焦がれるくらいがちょうどいい‥と。
私にはそのくらいが程よくて。
きっといつもそこにあったなら、感謝の気持ちを忘れてしまいそうだから‥。


焦がれながら待ちわびて、散りゆく様まで
見届けたなら‥
また次、逢えるときを楽しみに
過ごしていくから‥。
必ずまた次の春に逢えるからと‥。





















 




















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