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慢性疲労症候群/筋痛性能症候群闘病中の脳機能低下と記憶喪失

慢性疲労症候群/筋痛性能症候群と認知症状

慢性疲労症候群/筋痛性能症候群、
線維筋痛症を克服した私ですが、
当時は脳にカスミがかかったような状態が何年も続き
なにか考えようとすると脳はシャットダウンし
異様な眠気に襲われ延々と眠り続けていました。
脳のカスミがスカッと晴れ、
戻ってきた!と感じたのが
2022年の2月のことでした。
老化の影響は多少あるかもしれないけれど
以前の状態に戻り解決したと思っていました。

闘病中の記憶力の低下と認知症状の自覚

闘病生活苦で生きる気力を失いましたが
自殺は未遂に終わり入院生活を境に
記憶能力が著しく低下していきました。

今は9桁の数字も覚えられるのですが、
当時は1つも覚えることができなくなり
何をしていたかその場で忘れ、
自分の母親の名前も思い出せないほど
毎日分からないが増えていく日々。

いつか善悪の分別もつかなくなり、
ひとをあやめても覚えていません…
という自分になってしまうのではないかと
恐怖を感じたことを鮮明に覚えています。

認知相談や認知症外来に行きましたが
若いから(うそを言っているか大袈裟なだけ)
と話すら聞いてもらえず
もう、いいやと思いました。

考え悩んだことは覚えているのですが
自分の言動、体験した記憶は、
幸か不幸か全くというほどありません。

だから、自分のなかから記憶がなくなっている
という事すら気づいていませんでした。

自分の歴史を明確にする

写真や日記をたどり、
当時のことを振り返らなければ
自分の行動が分かりません。

今回職業訓練を受け
ジョブカードの提出をしなければなりませんでした。
ジョブカードは職歴、学歴、資格免許、
すべて書いてくださいと言われたのですが
たくさんありすぎて思い出せず、
適当に提出したらダメ出しをいただき

とうとうまとめなくてはならないときがきた
と腹をくくりました。
これまで何度も試みたのですが
出来事があまりにも多く動かない脳が
処理できず断念していました。
存在がつらい過去を思い出させまいと
してくれていたのかもしれません。

とにかくいろんなことをし過ぎていたのです。
毎日がイベント。
そんな感じです。


どんな状況でいつ仕事をしていたか
自分の年表をつくる作業をおこないました。
執筆を行う際に必要だったので
今回の課題は本当にありがたかったです。
そのために受けろと
存在👤✨が導いたのかなとも思いました。

記憶が混濁しているためとても苦労しました。
けれど、日記や写真という記録があったから
なんとか振り返ることができました。
それでも年度が違うなど別の方からの指摘は
ありましたけれど、認知症状に陥る可能性も
化学物質の力もありほんとうに数が増えているので
日記や写真は証拠になるので残しておくと
あとあと良いかと思います。

慢性疲労症候群と仕事

身体が少しでも動かせそうだと判断すると
とにかく何でもいい
自分は怠けものなんかじゃない
できそうなことをして動け頑張れと働きました。

なったことのある人にしか分からない
尋常ではない体のだるさ
大袈裟でオーバーなつもりなど
微塵もありません。

ちょっとやそっとでへこたれるような
やわな人間ではないのです。
頑張って耐えて頑張って耐えて
耐え抜けなくなり
やっと

しんどい・・・

というのです。

体力を温存し何とか動ける状態で外に出て
笑顔を作り体を保ちつつ平常を装い
聞かれたら「しんどい」と言える時しか見ておらず
周りからは普通に見える

だから、
いつもしんどいしんどいばかり言ってる
やる気のない怠け者と思われてしまうのです。

職場ではアドレナリンがバシュバシュ出るため
石炭をくべられた機関車のように
猛烈な勢いで仕事に没頭して
何も考えずひたすら動き燃え尽きる。

意思のない中身ドロドロの塊が
義務を果たす為
勢いで動いている・・・

そんな感じでした。
惰性、本能のままに動く体で
生きるしかなかったのです。

慢性疲労症候群と過眠症

私は日常の大半を植物人間のように眠っていました。
2日も3日もトイレにも目が覚めず
眠り続けることさえありました。

目が覚めるたびに
まだ生きるのか・・・
と思う毎日でした

寝てやろうとか
起きるのがめんどくさいなどと
思っているわけではないのです。
とにかく眠くて
立っていても座っていても
眠気に引きずり込まれる
そんな感じでした。

だから、日常の記憶がないのも
当然かと思っていました。

けれど、今回ジョブカードの作成で
目が覚めているときに
子どもが私を映した写真を見ても、
懐かしむこともなく
当時の記憶が全くと言っていいほど
出てきませんでした。

ぼーっと宙を仰いでいる姿ばかり。
生気のない作り笑顔でピース。
あとは床に転がっている写真。

当時の私は、自分が
現実の世界で生きているのか
夢の中で生きているのか
どこの世界にいるのか、

分からなくなっていました。
夢の世界にも感覚がありました。
味やにおい、空を飛び風をきる感覚、
触って分かる物の感覚
このまま夢の世界に住むのではないかと
夢の中で考えている自分もいました。

眠ると夢の続きを見たり
戻ってきたかと待っている人たちがいたからです。

慢性疲労症候群とアセンション

これって、一部ではアセンション症状
だとも言われています。
名前にこだわりたくないのですが
そう言えば伝わるので書きました。

自分の体が自分の体ではないような感覚
そんな感覚に陥った経験はありませんか?

これまで生きてきた人生はすべて
眠っている間にみていた夢ではないかという
錯覚に陥ることがあります。
それくらいなかったことのように
闘病中のつらかったときの記憶がありません。

昔夢の中で見たことを思い出すような、
とても断片的で不確かな記憶しかないのです。

今、生きていることも
本当の自分は眠りつづけていて
その眠り続けながら見ている
夢の中の世界なんじゃないかと
思うときがあります。

そんなわたしに目を覚ませ
もう、自分らしく生きて幸せになる
現実のストーリーに立っているんだから
つらかったこと、苦しかったことは忘れて
もうあれこれ他に求めてしなくていい。

自分がしたいと思っていたけれど
できなかったこと
願っていたこと
いちばん後まわしにしてきたことを
これからの人生はしなさいな

他はほとんど全部しただろ?
お前が前に進めるように調整つけてきたから。

全部経験して思っていたのとは違う
そんなに自分が思っているような
いいものじゃなかった。
ただのあこがれだったって思ったろ?

幸せになることから遠回りする、
人やなにかのせいにして
怖がって逃げるのはもうやめな?
もう大丈夫だから。
まだまだ完璧じゃないけれど
自分らしく生きようと
自分の悪い面にも気づいて
改めて課題はクリアしてきているし

自分を高めて行っているから
迷わずそろそろ着実に進みなよ
余計なことをしなくていいから

オレは形でないから現実世界で
触感は与えられないけれど

ちゃんとお前があたたかいと感じる
輝く未来が来るように
段取りつけてるからさ

期限までは今の笑顔を消さずに
イイ女で生きて
そんで最高な状態で
オレんとこに戻ってきな

お前はオレの存在に気づいた
だから全力でお前をしあわせにする
お前はオレのものだよ
戻ってきたら横にいてていいから

存在は言っている。
存在はいつもちゃんと答えてくれる。

ほんとうにあたたかい
ありがとう
そう感じる今日この頃です。

新しいITストーリーは始まらず。突然の失明宣告

自分の50年というストーリーは
昨年2022年2月に脳の機能が戻り
病気克服という形でハッキリと終わり、

もう嫌な思いしかしない
病気のことにこだわることはやめ
まったく新しい人生を
始めようと考えました。

そこで、これからIT社会に変わっていく事を踏まえ
IT業界という自分にとっては未知の世界に
飛び込もうとしました。
万事順調と思われましたが
次第に目の調子がおかしくなっていきました。

ただの視力低下だと考えていましたが
黄斑上膜で失明しますと宣告
手術しても治らないと言われ
絶望感に陥りました。

自分の体が健康に戻り
新たなステージに向かおう
ITの勉強をし、
IT業界の前衛的な企業の正社員という試験の難関を突破。
バリバリお仕事ができると期待と喜びに胸ふくらまし、
がんばろうと、やる気いっぱいになっていました。

娘も順調に回復へ向かい前に進み始め、
心豊かな毎日。
ホッとした矢先の出来事でした。

見えなくなったら何もできなくなる
目の見えない生活を想像しました。
無理。
想像できない。
視力が見えづらいと運転が怖くなり
いつ見えなくなるか分からないという恐怖もあり
あんなにも活動的だった私が
どこにも行きたくないと
ひきこもってしまいました。

こんなんじゃだめだ!と
公園にお花見に行って、
牧場のアイスを食べに行かない?
と娘を誘いましたが、
翌日は仕事で体調を整えるから行かないと断られ、
ひとりでは行く気にもならず、
いいやとまたひきこもりの気もちに戻ってしまいました。

ツインレイに救われる

すると、間髪入れず
急だけど明日お昼から都合どうですか?
仕事の都合がつきそうなので、
桜見に行きませんかと、
ツインからお誘いの連絡が入りました。
向こうから誘ってくることはないので、
二重の驚きでした。

なんで落ち込んでいるのが分かるかな。
やっぱりツインだなあと笑ってしまいました。

ピンチの時に何故かしら感じるものがあるのか、
どう?と連絡を入れているわたしたち。

車で移動しながらどこに行くのかなと思いつつ
目の話を聞いていただいていました。
気がつくと、娘に断られた桜の咲く公園に着いていました。

なんでわかったんですか?

娘とのやり取りは話していないのにツインおそるべし笑

きれい🌸✨

きれいだね
こうやってゆっくり歩いて過ごすのも久しぶりだなー

は!ゆっくり過ぎますか?

ううん、そういう意味じゃないよ
はあーと桜咲く空を見上げて満足そうな顔が
ほほえましくて。

今日じゃないと天気を見たら
桜が終わってしまいそうだったから
今日都合がついてよかった

ほんとありがとうございます
いつまで見ることができるかな・・・

目に焼きつけときな

うん

桜の甘い香りとツインとの穏やかなオーラに包まれて
とても幸せな時間を過ごしました。

そうだ、甘いもの大丈夫ですか?
アイス食べませんか?
行ったことがないところなんですが
と提案しました。

甘いもの好きですよ。
行きましょう

木立ちが広がり、子どもたちがブランコで
楽しそうに遊んでいました。

ここで野外保育したら楽しそう✨

心おどりました。

決まりました?何にしますか?

オレいちごとブルーベリー

え?可愛い笑

わたしはほうじ茶と栗笑

アイスを食べながらのんびり過ごしました。

帰りに子牛たちを見て
悪そうな顔してるなぁなどと、
始終笑い転げていました。

元気を与えられる仲でいたいというツインの言葉通り、
たくさん元気をもらい帰りました。
ありがとう

失明克服への挑戦

ツインのお陰で気もちを
元の自分に上げることができました。

病気も治らないと言われた
けれど、治った。
目は治らないかもしれない
けれど、
可能性はゼロではないかもしれない
という思いがわいてきました。

ダメもとでやったろう!
と、取り組む決意をしました。

黄斑網膜のしくみを調べ、
治療法など海外の論文も探しましたが
検索上は「薬も治療法もない」
手術しかない
とありますが、
手術をしたところで
必ず良くならないようなのです。

これは病気の時とおなじだな、
感じるまま、気長に取り組もう。

物理的に考えたらこうじゃない?という
お医者さんには否定されたことを
取り組み始めることにしました。

考え方と観変え方

なぜ病気を治すと思ったときも
お医者さんや先生と呼ばれる方に
否定もされましたが
自分を貫き克服することができました。

別に人の意見を聞きたくないわけでもないし
反抗するわけでもないのです。
こういう考え方もあるのではないか
と、人が思いつかない
考えもしないようなことを
ふつうの答えとは違うことを聞くから、
理解されず
違う意見になるだけなのです。

わたしは趣味で甲骨文字の研究をおこなっていますが
甲骨文字を作り出した人たちの思いをくみ取るために
現在の意味や説文解字の解釈をあえて見ません。
先入観が入ってしまうからです。

ですから、
ほんらいの意味を感じ取り
独自の解釈を進めています。

実際本場の中国でも、
ほとんど甲骨文字の意味は
解読されていません。

甲骨文字の意味も
国語で求められる答えも
小説でも何でも、
本来の意味は今は存在しない
書いた人にしか分からない。

国語のテストでの回答もあくまで
この社会で偉い人がこうだと決めた答です。

作者との意図と全く違っていることもありうるのです。
だって本人ではないからです。

そうやって、社会に合わせた答を回答させる教育に
私は疑問を抱き、教師になることをやめました。
それは、実習の時に子どもたちから学んだことでした。

テストの回答を見て
確かにそいう見解もあるよね。
中学1年生なのに
大学生並みにすごいなとおもったのです。
でも、決められた回答とは異なるため
バツをつけなければならない。

大学は従来の所説を覆していくところです。
そこへ行くために自由な発想力は排除され
点数で将来を決められていく。
保育の世界もそうです。

右向け右。運動会や鼓笛隊を見るたびに
軍隊みたいと嫌な気もちになります。

だから、正直つらいのです。
罪悪感でいっぱいになるから。

大人のつごうの「いい子」に育った自分は
苦しい思いをしてきました。

大人になったら変わる。
そんなことはないのです。
そんなかんたんに苦しみは
なくなるものではない。

苦しんでいることを
見せないようにしている子どもたち。
このままいい子を背負って苦しむんだろうな・・・

これが医療介護社会につながっていく土台、
子育て、育児、保育。

その中で問題解決をするために学び考え
色々な角度から観変えることができると
根本から解決できる人になれると感じています。

時代が変われば必ず今の教育保育も変わる。
コロナのお陰で少しずつ社会全体が良い方へ
変わっていっている。
そう感じます。

問題解決をするために学び考え
色々な角度から観変えることが当たり前になる
未来が楽しみだなと思います。

私は安心を求めていた

ポジティブな自分に戻れ
存在とも話を再開しました。
がんばるよわたし。

パソコンの使わずにすむ
保育に戻ろう
自分が天職だと思っていた仕事なんだから
それをしろってことかもしれない。

ひとりで出かけてみようかな
という気もちになり、
もう1度あの場所に行こうと
アイスを食べにルシアを連れて
牧場へ向かいました。

アイスをお願いし、
ルシアと外で木々や遊ぶ子どもたちをながめ
可愛いなぁと思いながら待っていました。

どうぞーと持って来てくださったのが2カップ。

?!

量、多かったですかね?

ご好意で1カップのダブルのところを
2つのカップに分けて下さったのです。

おおー👏
嬉しくておもしろくて写真をパチリ。

ソフトクリームの形があまりにも
アラレちゃんがツンツンしていたものに
そっくりで(ごめんなさい🤣)

そこにいらっしゃったママさんたちと、
ここで保育ができるといいねという話をしました。

家に戻りウキウキ気分で
見て見てと、
ツインに写真を送り、
ご縁を大切にしたいと思いますと
かんたんにメッセージを送りました。

その場所で週末に親子イベントを
開催させていただけないかなと
ちょっと面白い企画が浮かんだので
いそいそと提案書を作成していました。

すると、大阪から恩師から連絡が入り

これは、どういうことなんだろう・・・
また考えました。

不安と恐怖の塊だった毒親から逃げてきた私
だけど病気克服とともに
インナーチャイルドも克服して
できれば親の元に戻り恩返ししたい
家族は大家族がいいんだよ
インディアンもみんな大昔の人たちは
本能的に(たぶん)そうだったんだから
と思うようになっていたからです。

なかまのいる逢う坂へ戻ろう

早いうちに大阪へ戻り恩返しをしよう
ネックはやはり雪。
ここに居続けるのかと考えると
一番に雪はヤダと思ってしまいます。

あそびに来て見ている分にはいいけれど
毎日過ごして慣れると言っても
雪の寒い冷たい坂道怖いは変わりません。

子どものタイミングを考えると早くて3か月後
いつ目が見えなくなるか分からないから
見えている間、できるだけ早く移動したい。

だけど子どもも大きいし、もうわたしに
つき合わせる必要もない
子どもは子どもで残りたければ残ればいい
そう考え娘に話をしました。

娘は何も言わず
けれど嫌そうな顔もせず
ふんふんと聞いていました。

ツインにもそのことを伝えたいし
提案書も渡しにいきたい

そうだ、また来ようと言ってくれたから
一緒に行かないかなと思い
提案書のことには触れずに
ツインを誘ってみました。

会う約束をした当日の朝、
氏神様のいる神社でこころ澄ますと
ツインの分かれてつらかった思いが
ふいに降りてきて
雨と一緒に涙が流れ落ちました。
ごめんね、つらかったよね

会うとなんだか元気がありませんでした。

まだ何も言っていないのに・・・

とりあえず美味しいものを食べ
誘った理由、提案書のことを話しました。

ちょっと待って、整理していい?

はい。

あのアイスはサービスでふたつだったってこと?

うん。
そう。

で、ご縁って言うのは保育の話ってことかな?

え?
うん。
そう。

・・・( ̄▽ ̄;)

え?

アイスがふたつだったから
そこで誰かにナンパでもされて
そのご縁かと思った。

・・・( ̄▽ ̄;)

そんなわけないじゃないですか(*^▽^)/★*☆
え?・・・
それで元気なかったんですか?

うん。
だってあれじゃ普通だったらみんなそう思うよ。

(꒪꒳꒪;)
ごめんなさい。
そんなふうにとるなんて考えもしませんでした。

そんなヤキモチなんか
妬かなくていいですよ。
わたしモテないし
そう思っていただけていたなら
嬉しいですけど
誤解です、ごめんなさい。
気をつけます。

ふと、

いつもと違う指輪を
小指にはめていることに気がつきました。

なんとなく見たことがあるような気がしました。
デザインが可愛すぎていつものツインぽくない。

可愛い。もらったんですか?

自分で買ったんだよ。

え?これを?
願掛けですか?

うん。そうかな。

へえーそうなんだ。
いい事ありました?

ないなあ

そんなもんですよね笑

見れば見るほど
見たことがあるようなないような
気がします。

私、このリング見覚えがあるんですけど
・・・私あげてないですか?
持っていたような気もするんです。

自分で買ったんだよ。

ふーん・・・
でもなんだろ
誰かにあげたか買ったような気もするんですよね
誰だろ?
思い出せない。
他の人のことなのにごめんなさい。

家に戻ると採用通知が届いていました。

面接の際に、
方針が違うかもしれませんが大丈夫ですか?
と何度も聞かれ、様子から落ちたと思っていた
保育園の仕事が決まってしまいました。

これは大阪に行くなということなのか
即決するなということなのか
それとも自分の理想ではないから断り
理想に移るか試されているのか

仕事ができない、したくない人だと思われたくない
価値観が違うと言われたツインに認めてほしくて
仕事をしようと考え就職活動を頑張っていた自分に対して
自分らしく生きろ仕事にこだわるなということなのか
またわけが分からなくなってしまいました。

決まっちゃった

娘は笑っていました。

ツインもおめでとうと言ってくれました。
認めてもらうために自分は仕事を取るのかと
複雑な気持ちになりました。

大阪に戻る話のつづき


仕事は決まったけれど
大阪に行く気もちは変わりませんでした。
時間の都合できちんと話せず
尻切れトンボになってたこともあり、
このままでは不安にさせるだろうとも思い
また話の時間をつくっていただくことにしました。

氏神様へお参りすると
風もないのにブランコが大きく揺れていました。
家に入った途端
ザーッと雨が降り出しました。

ツインと会う頃には空は青く
太陽がまぶしく照らしてくれていました。

あらためて逃げるわけではなくて
闘病中にお世話になった恩師や親に
恩返しをしたいから戻るということを話しました。

もともと病気の死に場所にと思い選んだ土地
克服した今、ここに固執する必要はない
親のそばにいたいとも思っている

闘病中に森のようちえんをつくりたいと思い
他府県の森のようちえんや
保育園を見て回りましたが、
どこを伺ってもちがうなあと
比べている自分がいました。

体調が最高潮に酷く思うように
お手伝いさせていただくことが
できなかった森のようちえん。
20年近く気にかけてくださっている恩師。
そして大阪のみんな。
雪で生活が大変になるところにひとりで住みたくない。
目が見えなくなれば増々リスクは増えます

離れていても思ってくれているという
ツインの気もちを理解したし
自分のツインに対する気もちは
好きだから一緒にいたい気持ちはもちろんあります。
だけどお互いそうだと思うのだけれど
無理に束縛するつもりはない。

それに、どこにいようがなにがあろうが
自分の気もちは変わらないってわかった。
だから変わらないよ。
つらい思いを二度とさせたくないし。

ついてきてくれるかとかそんな駆け引きでもないのです。
だから、向こうに短期間で戻ってもいいわけで
とにかく親と恩師に恩返しはしたいんです。

毒親の話

あたたかくなってきたので公園を散歩しながら、
わたしはそばに戻ろうと思っている
親の話をしました。

母は幸せなのに自分は幸せだと思っていない
だから自分の母親のお葬式にもいかなかった
ゆるしてあげたらいいのに
ゆるしているけれど、
自分が許せなかったのかもしれない
つら過ぎてたぶん大変だと思う
そんな母を受け止めている父も大変だろうと。

父は羊のようにやさしくおおらかで受けとめてくれ
真面目で誠実であんないい人そうそういない

母は自分を過大評価し過ぎていたんだと思う
市内で一番の学校で成績優秀だったから
大学に行って勉強したかった
だけど父親が女のくせにと反対し
お金もなくできなかった

通信で子育て中に大学の勉強をした
けれど私のせいで卒業できなかったと
とずっと言っていました。

けれど、申し訳ないのだけれど
母が高校生の時に大学を受験しても
受からなかったのではないかと思うのです。

毒母回帰

母は過度な抑圧をかける毒母。シンデレラの意地悪な継母以上のものでした。

自分の子どもが嫌いな親などいないと言われますが、どんなにおとなしくいい子にしていようが、裏で怒られていました。幼いころに「橋の下で拾った」と言われ、高校生の時に「他人」とはっきり言われました。とにかくうっとおしい存在だったのです。だから日常の対応から本当に私は父と母の子かと父に聞いたこともありました。血のつながった子どもだろうが親だろうが、自分にお金や物を与え、人からちやほやうらやましがられ、褒められることをしない者は母にとってみんな敵なんです。わたしはその理由が分かったからアダルトチルドレン、インナーチャイルドを克服できました。またその話は別でします。

私の存在は自分を不幸に陥れた悪の根源
なにからなにまで気に入らない
見ていて腹が立つなら見なければいいのに
一挙手一投足監視してほんの些細なことも見逃さず
とにかく常に怒っていないと気が済まない

痛い、寒い、かゆい、しんどい、あくび、普通に物を噛む音
生理的な体の反応すら許されない

私は笑顔をたたえ
微動だにしない飾られた人形でなければなりませんでした。

だからあらゆる神経を張りめぐらせいい子を演じる
本当に暗い子でした。

中学生のころから家を抜け出したいと考え始めました。
だけど監獄から逃げるすべをことごとく断たれていました。

子育てが終わったから
また勉強すれば?
お金出すしと社会人になった私は母に聞きました。
私が小さい時にぜんそくだったから
卒業できなかったのかもしれない、
それでは悪いことをしたなと思ったからです。

母はもう大学の勉強はいいかなと言いました。
ついていけなかったのか面白くなかったのか
思っていたのは違っていたのか、
私の世話にはなりたくないというのか
歯切れの悪い返答でした。

大学大学と言わなくなりましたが
私に対する恨み、嫉妬と妬みという激しい感情の矛先は
大学を卒業し社会人になり「大学に通う」から
「名の通った大きな会社で働き続ける」ということに
変わっていたのです。

いきなり父から建て替えするから
来週引越す
荷物は業者が全部やってくれるから何もしなくていい
と言われました。

寝耳に水でした。
聞けば競合相手の家を母がどうしても建てたいというから
とのこと。
さぞかし私を踏みにじりせいせいしたことでしょう。

毎日仕事で遅くなるのに合鍵は持たせてもらえず
こんな時間まで遊んで結構なご身分だことと言われ、
開けてもらえず玄関先で眠ることもありました。

だから、社会人になり自分で生きていけると判断し不言実行
精神状態ギリギリのところで私は逃げました。

母はとにかく早く追い出したかったのでしょう。

どんなに歩み寄ろうとしても無理でした。
この先も止まらない。もう無理。

刺して自分が刑務所に入るのは嫌だから
刺されるように仕向けられないかと考えだしたからです。

お互いそれでよかったのです。

娘が結婚するとなると近所に対して体裁がよく自慢でき、上機嫌でした。

けれど、結婚をすると「言えばなんでもしてくれ、なんでも買ってもらえる夫」を持つ私に気分を害したようで、聞きたくない、知りたくないと言ってふさぎ込み遠ざかりました。

孫ができると、子どもを自分で育てることなく、自分好みのかわいい子ども(人形)を手に入れることができると期待し、取り入れようと物やお金で釣ろうと必死でした。次女が生まれ、離婚してさらにエスカレートしました。私は慣れているので構わないのです。けれど、純真無垢な天使たちは違う。

母にとっては離婚なんかするダメな母親を持ってなんてかわいそうであわれなんでしょう。可哀そうに可哀そうにと吹き込み、何としても長女を自分の人形にしようと、押しかけてきては次女にあからさまに酷い嫌がらせをするようになりました。

私のお金や物に執着しない原点はここにあると思います。
わたしは銀行家族の異端児です。小学生の時から利息でお小遣いを増やしていました。お金は大事です。だけど母親の扱い方に問題があったのです。

ばあばにはお金がたくさんあるから、
私のものになりなさい。

長女に渡すのはいいけれど
次女に酷いことをするのはやめてあげてと言っても
嫌いなものは嫌いとはっきり言い放ちやめませんでした。
どうして、嫌いなのか何かしたのか聞いても
嫌いだから嫌いの一点張り。
父に相談してもお手上げのようでした。

だから逃げました。

居場所が分かると母は一目散に長女のためにと
たくさんのプレゼントを持って遊びに来ました。

そして、次女がいる目の前で
高級ブランドをいくつもプレゼントし
わざわざうちわになるほどの
諭吉を広げ、おこづかいと渡し。

ごめんね~あなたにはないから
と次女に言い放ちました。

ここなら来ないだろうと
長野に逃げました。

住所も伝えませんでした。
でも父が心配するのでいいかなと思い伝えると

長野にいるらしいと母に伝えてしまい
頻繁に来るようになりました。
私に言うと断られるのが分かっているので
いつも突然やってきました。

私の体調は一層悪くなるし
子どもたちも嫌気がさし
来ても扉を開かなくなりました。

毒母から逃げるためも移住した理由の1つだったので
解決した今は
子どもたちもそれぞれだし
ここにこだわる必要がないな
と思っているのです。

ツインに話した毒親の話のつづき

母は私のせいで大学に行けず
大学も卒業できなかったと言いました

私は私のせいじゃないと反論したかったのだと思います。
私は子育てをしながらいろんな勉強をしました
たくさん資格も取りました。
国家資格も取れました。
子育てしても大学は卒業できたはず。

通信を卒業できないくらいのレベルだったのではないか
自分は優秀だったから
大学に行っていたはずだという過大評価、
思い込みじゃないの?
自分のレベルを否定したくないから責任転嫁する。
私は大学を出ていないから何もできない・・・
中卒でも事業で成功されていらっしゃる方は
何人もいらっしゃいます。
学歴なんか関係ないという考えはここにもあります。

好きな人がいたけれどお金のために結婚して
好きな人と結婚できなかったとずっと言っていました。
写真も持っていました。

けれど、
その好きな人には相手にもされていなかったのだから
その人とは結婚できなわけだし
父ではなく他の大金もちと結婚しても
性格からして、私と同じ道をたどっているよ。

それを父が守ってくれている
メッチャ幸せなのに、他を知らないから
文句ばかり言っている
あんなできた人いないのにと話をしたら

ツインもご両親のことを話してくれました
そして、自分が若い時にやんちゃだった話ことも。
おもしろかった笑
まともな人、人間らしい人だなと思いました。
複雑な家庭環境の中で自分の感情を抑えて
ひょうひょうと生きてきた
同じだなと思いました。

でも私は逃げました。

そのおかげでツインとめぐり合えました
その試練を私たちは乗り越えようとしています。

記憶喪失

昔のことは忘れますが
事故などで記憶を失うことなどあるのか
記憶喪失ってどんなんだろうと
小さい時に考えたことがありました。

まさか自分が記憶喪失だったということに
気がつきませんでした。

つらいことが重なりすぎ自殺未遂をさかいに
どんどん記憶能力がなくなっていきました。
けれど、病気を克服して、脳の機能も取り戻し
昔に戻ったと思っていました。

たしかに闘病中の記憶がごっそり抜けています。
ほとんど植物人間状態でしたし
考えよう覚えようとしても
記憶することができなかったのだから
記憶がないのも当然かと思っていました。

公園で色々お互いの親の話をして
ツインに思いのたけをぜんぶ話をして
納得してもらえたようでした。

よかったε-(´∀`*)

けれどやっぱり
どうしても小指の指輪が気になります。

思い出せないんですよね・・・
ほんとに私が贈ったものではないですか?

ほんと自分が買ったものだから、
誰かと思い違いだよ
そんなことうそ言っても仕方ないし
といいます。

うーんそうか・・・
違う人のことであんまり言うとわるいよね

ツインが言うように別の人で
きっと物にこだわっていただけで
その誰かが出てこないのだろう

ツインだからたまたま私が見ていたものと
同じデザインを見つけて買ったんだろうな
そう思うことにして家に戻りました。

買い物履歴を見返しても
ありません。

でも確かにこの指輪見覚えがある

だけど思い出せない

家にはないし
やっぱり買わなかったのかな?
別のサイトで買ったのかな?

でも、ま、いいか。
昔のこと、終わったことだし。
と思い、記事を書いていました。

あれ?

だれかと私サイズをはかったような気がする

突然映画のフイルムがまわりだしたかのように
だれかと一緒にサイズの見本リングをはめている
映像が急に流れ出しました。

でもお互いの顔は黒くぼかしが入っていて
だれだかわかりません。

これってなんか昔テレビで見たことあるけど
わたし、気づいていなかったけれど
記憶喪失なんじゃないの?

え?ちょっとまってだれ?

つら過ぎる経験をするとショックのあまりに
記憶が消える・・・
そんなことがあり得るのかと思っていましたが
まさに自分がその状態であったことに
気づかされました。

え、まって、
何か出てきそう

すると、

オレ、これふしで引っ掛かる
私、指が太いからという会話が
流れてきたのです

うそ・・・
ちょっとまって

そう、ツインだったのです。

やっぱりそうだったんだ
なんて人だろう

わたしにヤキモチをやいて気持ちを伝えようとした
あの時一緒におそろいにしたと言わず
言葉にするとまたわたしを傷つけてしまう
言葉にはしないけど
こころはつながっていたい

ボロボロなみだがこぼれました

わたしには以前の記憶がないと
ずっと伝えていました。

別れてから全部捨てたと言っていたから
あのときのものじゃないかもしれない
どけどわたしにわかるようにつけていてくれていた

何も言わずに。

こんな強がりでわがままで酷い仕打ちをたくさんした
ような気がするけれど思い出せない


彼への気もちを断ち切るために
自ら嫌われようと考えたことは
覚えているのですが
どういう行動をとったのか
まったく思い出せないのです。

酷いことをしたと思うけど
覚えていなくてごめんなさい

うん・・・正直
あんな思いはもうしたくないな

傷つけたくないから
ただ、友だちとしてふつうに会いたい
お互いそう思いながら
会うようになっていました。

じゃじゃ馬なわたしを凝りもせず
そんなに思ってくれているなんてほんとうに感謝です

それであのとき
フェラーリが欲しいって言ったのかな・・・
なんて、ふと思いました。

仕事とスローライフ

失明を宣告され
仕事を存在に止められている
物凄い圧を感じました。

パソコンを使わない仕事
やはり天職の保育をしろ
ということなのかと

先述のご縁のあった場所で
保育を始められないかと準備
提案書をつくり始めました。

つくっていると、突然
大阪から恩師から電話が鳴りました。
このタイミングで。

これは大阪に戻れということなのか
考えました。

けれど、記憶を取り戻したことで
ツインともまっさらなスタートだったんだなと
改めて感じました。

理由は分からないけれど
皆神山のミテルヨの日に
失意のどん底にいた彼に元気を分けた
ツインは自分で這い上がった

ツインも自分らしく生き方をすると
0から進み始めたばかり。

破壊と再生まさにその通りだなと思います。
多くの人たちが色々な形で
試練に立ち向かっているときではないかと思います。

ゲームでも最終ステージをクリアして
ゴールする、宝を手にすることはそう簡単ではありません。

困難であるほど手に入れられる喜びは
貴重なものだと思います。
娘との今の暮らしも、ほんとうに大変でした。
でも、自分の気もちを伝え
あとは何も言わず構えていました。

楽しいなあ、幸せだなと
最高だなとしみじみと感じ過ごす毎日。

お互い慌てず直実にゆっくり進みなさい
もう道は用意しているから
と存在はいっています。

知人からスローライフでいきませんか
というメッセージを頂戴していたことを思い出しました。
答を急がず身を任せよう

存在と猿田彦が導いてくれている。
ありがとうを伝えに

今朝散歩に出ると真っ白な靄の中
よく、夜の森の暗闇の中から聞こえる金属音のような
フィーーフィーーという音が聞こえてきました。
女の人が誰かを探しているような
誰かをよんでいるようだと不気味さを感じていました。

トラツグミ

鳥さんでした。
まるでたいせつな人を探し
この世を彷徨っていた自分の様だと思いました。

霧であたりが真っ白でしたが
わたしの気もちは晴れていました。
遠くで泣いているトラツグミに
そんな暗い中で不安げに呼ばなくても
明るい所で探しなよ見つかるよとことばをかけました

これがまた偶然にも、
スローライフでと注意くださった知人が以前
会うといいと教えてくださっていた方のお名前が
トラ子さんでした。
まだお会いしたことはないのですが
いつかご縁がつながるような気がします。

太陽の光で明るくなると鳴き声は消えました。
会えたのかな。そうだといいな。
ちょっとうれしくなりました。

パワフルな私の裏側にあったもの

失明宣告でいつ突然見えなくなるのか
わからないという恐怖と不安がありました。

恐怖と不安は
怒りと同じで
それを振り払おう、払拭しよう
とするため
物凄い原動力になります。

だから、私はこれまで色々なことを
パワフルに次から次から
行動することができていたのだと思います。

私には理解してくれる親密な人がいない
つまり安心できる親、パートナーがいない。

だから安心できる仲間を求めていた
たくさんの人の中にきっといるはず
当てもなく彷徨い、今まで暴走していた
と、今書きながら気がつきました。

今のわたし、提案書を作るまでは
新しいことやる気満々でしたが

ツインとゆっくりやり直そうと決意してから
仲間を増やそう
新しいことを始めよう
という気もちがなくなりました。
新しいことはを始めるのは土台ができてから
そのあとでもいいです。

だから、逆に考えると
自分が信頼でき落ちつける親やパートナーという
存在が存在すると
仲間を増やそう
という気もちがさほど強くないのではないでしょうか。

信じて待つ

採用が決まり、ツインもとりあえずおめでとう
と笑っていました。

君の性格からして大丈夫かなあ
と言いながら。

とりあえず1年は頑張ります
分からないけれど笑
大阪に戻って
短い期間何園かまわってもいいし
幼稚園免許も取りたいんです。

勤続年数3年以上などの特例で保育士が幼稚園免許を
短期間でとることができる制度があるのです。

3年かあ・・・勤続3年という縛りは
もしかしたら短くなるかもしれないよ
普通免許から大型免許を取る資格も
なり手が少なくて3年から1年になったらしいから
と教えてくれました。

そうなるといいな。
ずっと先には
資格がなくてもできるようになるような気もするので
あまり資格にこだわり過ぎずに仕事を楽しもう。

とりあえず仕事のこともツインのことも
結果を急ぐなあわてるな
ということかなと思っています。

そして、
これまで勢いで生きてきてしまったパワフルな自分を
表に出さない修行だなとも感じています。
突然競走馬にならないようにがんばります笑


本当の幸せを探し彷徨う旅人からの卒業
13:13新月金環日食
見つけた自分の幸せに愛を誓いました。

月は牡羊座から牡牛座へ
気もちはゆっくり穏やかに着実に
幸せに満ちていきます

明日からは水星逆行がはじまります。
学び直しや以前のことを思い出し
成長していく期間となります。
電気機器、電信の障害、交通の乱れを通じて
たいせつな人たちとのつながりを深めていく
時期となるでしょう。

つらいことは
最高に転じる合図です
毒母、病気、ツインレイ、記憶を失うほどつらい人生でした。だけど有り得ないほどの幸福感に包まれています。
自分と向き合い成長し太古から受け継がれるカルマを克服するための修行の時期だったと感謝しています。

相手の幸せ、自分の幸せ
最高のえがおを思いえがき願っていると
いつのまにか最高にたどりついています。

何でも答えをむずかしく考えすぎない
結果を急がないことが結果を生むように感じています。

思うがままにありのまま
それを無理をせずゆるしあえる生き方
お金でもモノでも体でもなく
こころでつながる愛は最幸です。

失明だって怖くない
だけど、失明する気もない
時間はかかるけれど
あきらめずに
ゆっくり焦らず生きたいと思います

自分らしく生きる最高な暮らしを手に入れる
ビジョンが着実に近づいている感じがしてワクワクします。
どうかお読みくださった皆さまにも
このワクワクが感染しますように✨

あなたもわたしも good luck👍✨

数多くあるブログの中
このブログに辿り着き
最後までお読み下さり
ありがとうございました。

あなたが幸せになるために
必ず意味のあること。
存在のはからいです。

どうかあなたが笑顔で
今もこれからも輝いて
自分らしく心和やかに
日々過ごされることを
心から願っています。

このブログが
あなたの希望の光となり
未来が明るく照らされますように

ありがとう
ありがとう
感謝

存在と共に生きる
スピリチュアルライフヒーラー佐和子

こころ癒される長野の美しい田舎の風景写真など#photoAC に出品しております。無料でダウンロードできます。よろしければご利用ください。lucia369385

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