頑張れば頑張るほど広がる傷
自分の人生を生きるために、自分の人生を歩くためには、頑張り続けないといけない。
頑張らない選択肢もあるかもしれない。
でも頑張らない選択をすれば、頑張らないなりの世界なってしまう。
僕の場合、頑張っても頑張っても最悪の結果になるわけで
どちらの選択をしても変わらない世界になってしまう。
頑張っても頑張っても、孤独であることは消えないし、助けてもらえることもない。
僕にとっての助けてもらえるの意味は
誘ってくれて否定せずに話を聞いてくれる
ちゃんと存在を認識して協力してくれる
ちゃんと愛してくれる、仲間に入れてくれる
そう当たり前すぎることでしかない。
でもそれが僕にってはありえないことばかりなのだ。
常に誰かのために行動し、できることを探している。
だから自分自身のことが疎かになってしまうこともある。
そして、周囲と僕の心の差異が、自分の心のありようが分からなくなってしまう。
僕の心の傷を癒すために必要なことは、周囲にとっては「不必要」だと思われてしまう。
僕にとって、「誘われる、愛される、守られる」というのことが必要不可欠であり経験したことがないことである。
頑張れば頑張るほど、心の弱点=傷を広げながら歩いていかなくてはならない。
誰しもが周囲によって癒し解決してこれたものを、僕は年齢や容姿、不遇なことで力を貸してもらえなかった。また、自分の大切なものや好きなことは時代錯誤だと言われて「同質性」がないと気持ちが悪いとされた。
だから、自分は相手に合わせていく、自分の大切なものや好きなものは封印していくことを選んでいる。
そして、自分を噓偽りで塗り固めていく。
それが余計傷を広げていくことはある。けれど、自分を守るためには仕方がない。
しかしながら、人生を生きていくうえで、圧倒的にうまくいる人々で大多数を占めてしまう。僕の場合、物凄く大変な人生でも、友達や恋人がいるなら帳消しだと個人的に思っているためであるが。
自分を大切にするための方法を考えていく必要も出てくるが
大切にするために他者の力が必要で頑張り続けないといけない、など自分自身ではどうすればいいのかわからないことが多い。
年を追うごとに、余計なものや新しい出来事に遭遇することが多くなっているように感じてしまう。
一人でいることが恐怖である僕に、いつになれば安息が訪れるのだろうか。
一人でいるときは、僕は頑張れるときだけでいいのに
夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。