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阪神・淡路大震災を振り返りながらーどう人生を生きるべきなのかー


今から25年前の1995年1月17日5時46分、淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の直下型地震が襲った。

近くの大阪や京都などの地域では「少し強めの地震だな~。」ぐらいな印象を子どもながらに覚えているような人も多かった。

人的被害は総数がおよそ43,792名(そのうち死者6,434名)、建造物は10万棟以上が被害を受けた。多くの地域で断水・停電などの影響が多大なものになる。頻繁に映像でも流れるように、高速道路がひっくり返ったり、潰れたマンションなどの深刻な被害も記憶に残っているだろう。

近年では、より詳細な被災者たちの行動が明らかになってきた。特に、マイノリティたちがどのように行動していたのかなどが見えてきている。


25年もの年月が流れると、人々の記憶が少しづつ遠いものになっていく。

なかには、阪神淡路大震災を知らない者までいるという(それは少し問題がある気がするが)。

どうしても、東日本大震災や熊本地震、北海道胆振東部地震などの陰に隠れてしまうのも100歩譲って理解できなくはない。

災害は、私たちの隣に常に存在している。だからこそ、昔の災害よりも新しい災害に引っ張られてしまう。災害があるたびに、新しい法律(特別法…建築基準法など)やこれまで草の根でやられていたような取り組みが日の目を浴びる。

その一方で、苦しい記憶を対岸の火事のように遠くの出来事としてしまう。もちろん、そうしなければ生きていくことはできないのも真実である。

当事者でなければ、その地域に住んでいなければ、今の生活で精一杯になってしまう。自分の人生の幸せを優先しなければならない。乗り越えられる人、乗り越えられない人、実害を受けた人、たまたま避けられた人などがいることさえも関係がないように生きていく人も多い。

自然災害のような一斉に同じ状況を受けると、単独で深刻な被害を受けるよりもトラウマが比較的軽いような話もある。しかし、一度に全てを失い、孤独な世界で生き、世界は元に戻り、より発展していく姿を見ることで喪失感が強まることが考えられる。

私たちは、強く生き残り、前を向いて生きていきながらも「幸せ」を受け入れられない人々に目を向けられる優しさをより持つべきなのだろうと考える。特に、日常世界を奪ったものは、自然であり八つ当たりすることもできない存在に直面してしまった人々に対して。

自分だけが幸せになってはいけない、という烙印を背負いながら生きなくてはならない苦しみは想像を絶する。ましてや、幸せになれる環境があるのに受け入れられないという状況は、幸せになることができない人々に対する贅沢なようにも受け取られかねない。

そう考えると、何も不自由なく、自分だけ幸せを願い求め与えられた人というのは、本当に愚かであると思ってしまう。

結局、幸福は際限がなく、本当の不幸や不条理というのは「一部」の人間のみに押し付けられるもののような気がしてならない。

一度失敗してしまえば、二度と幸せになれないことや命を懸けて戦わないとならない困難さを知る由もないだろう。それでも、自分は「これもあれも大変だ、努力をしたなど」と御託を並べるのが関の山であるが、それでも幸せになれるのだから、そうした生き方のほうが1億倍楽しい人生だろう。


いつになれば、幸福な人々は地獄の世界に直面するのだろうか。

災害のように幸不幸な人々関係なく訪れるものの時まで経験をしないのだろうか。

多分、そうなのかもしれない。 

それでも幸福な人々は乗り越えてしまうのかもしれない。

だから結局、自分のことだけを精一杯生きることが正解になってしまう。本当は、様々な人のことを思い、そして自分のことも考えることが正しいはずである。自分の幸福を、他者にも分け与えられるようになるのが本来の姿であると信じたい。

人間が生きる世界は本当に難しい。生きている限り戦いなのかもしれない。戦いとは別に、予想もできないイベントが起こってしまう。

常に、自らの幸福だけを願い長いながら後悔のない人生を航海していかなければならない。

でも、その礎となってしまった人や時間などを考えると、途端に何もかも分からなくなってしまう。





夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。