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「死にたいと思う=不健康」ではないという考え

死にたいと思うことで得られる満足感がある

私は「死にたい(消えたい)」と思うことがある。
しかし、その思いを他人に話すことはほぼない。
理由はいくつかあって、例えば「話したところでその気持ちは変わらないし、変えたいわけでもない」「”病んでいる奴”や”かまってちゃん”というレッテルを貼られ、その後の社会生活に悪影響を及ぼしそう」「過剰に心配されるため、こちらも気を遣うことになる」などである。

こういう理由で、死にたいと思っても気軽く周囲には漏らさないわけだが、この本質は「死にたい」と思うだけで得られる満足感があるということだ。

隠れているだけで、同じように「死にたいと思うことがある人」は世の中にたくさんいるように思う。なぜなら、機会があってこういう話をした際に激しく同意されることが多いからだ(私の周囲だけだろうか)。

死にたいと思うことは不健康ではない

「死にたい」というワードについて日々アンテナを向けていると、たまに「死にたいと思うのは暇な人生を過ごしている証拠だ。忙しくしていたら死にたいなんて思うことはない」という言葉を目にするが、私にとってこの言葉は非常に空虚なものである。そう感じられる理由は明確で、「死にたいと思う=不健康である⇒それを避けなければならない」という式がニュアンスに含まれているからだ。

私は、死について考えるタイプの人は、死について考えないよう気を紛らわすよりも、いっそのこと、いつか訪れる死という出来事と真正面から向き合ったほうが健康的な人生を送れると信じている。一方「どうせいつか死ぬんだから、生きてる間は死ぬことなんて考えない」という人もいるが、私は正直羨ましい。そのほうが、より本能的・動物的で本質的に見えるからだ。

しかし、一度死という命題にとらわれた私は、もう抜け出せそうにない。だから逆に真正面から向き合い、生きていることを感じながら生活している。眠気を感じれば生を感じ、疲労を感じれば生を感じ、涙が出れば生を感じ、怒りが湧けば生を感じる。
生を感じるということは死を感じるということだが、毎日が深みのあるものになる(ということにしている)。一日はもともと真っ白なキャンバスで、自分で自由に色を塗っていいものなのだ。

死ぬ瞬間の後悔に備えるという考え方

『死ぬ瞬間の5つの後悔』(新潮社、ブロニー・ウェア著)によれば、死ぬ瞬間の5つの後悔は、「自分に正直な人生を生きればよかった」「働きすぎなければよかった」「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」「友人と連絡を取り続ければよかった」「幸せをあきらめなければよかった」だそうだ。
しかし、死の間際になって自分の人生を後悔したとしても、ありのままの自分を受け入れ、許すことで、心の平安を手に入れられる、と。

私は死ぬ瞬間に降りかかってくる後悔の波が怖い。だから、積極的に死について考え、予防線を張っている。毎日毎日、瞬間瞬間に「この選択は死ぬときに後悔しない選択だろうか」と自問自答し、発言・行動に移している。すべては、自分が気持ちよく死んでいくため。

過去に死生学に関する記事をいくつか書いた。死生学とは、死と死生観をテーマに取り扱う学問で、1970年代に確立した比較的新しい分野だ。私はこの学問にかなりの可能性を感じている。現状としては尊厳死問題や緩和医療、宗教学的な死生観など、医療分野と宗教分野に大きく偏っているが、今後は教育分野をはじめとして、裾野を広げていくことが期待されるからだ。個人的には、将来的に、その活動の一助となりたいと考えている。

自殺の原因

厚生労働省自殺対策推進室によれば、先進国(G7)で15~39歳の死因1位が自殺なのは日本だけで、諸外国と比較しても日本の自殺死亡率は世界9位(先進国ではトップ)である。

またこの問題について、次のような記事もある。

悩み解消の知識が足りない
「さらに分析しないといけない課題。はっきりしたことは言えない」。若年層の自殺者数が減らない要因を問われ、厚労省の担当者はこう言葉を濁した。
昨年の10~19歳の自殺者は659人で、前年より60人増加。人口10万人当たりの自殺者数を示す自殺率も前年比0・3ポイント増の3・1で過去最悪を更新した。
15~39歳の各年代の死因は自殺が最多で、がんなどの病気や不慮の事故を上回る。15~34歳で比較した世界保健機関(WHO)の資料によると、先進国で死因1位が自殺なのは日本だけで、韓国と並んで若年層の自殺が深刻化している。
筑波大の太刀川(たちかわ)弘和教授(精神医学)は「メンタルヘルスのリテラシーに関する教育が不十分で、日ごろの悩みをどう解消するかなど自殺予防のための知識が足りない」と指摘する。

産経ニュース(2020/10/28)
https://www.sankei.com/article/20201028-HGRVRFS5KJLH7DFF7H45PAOWOQ/

私は、自殺の原因はシンプルだと思っている。

「生きたい」と「死にたい」を天秤にかけ、「死にたい」のほうが沈んだときに人は自殺に至ると仮定する。もし、この国に自殺者(もしくは自殺率)を減らすという目標があるならば、「生きたい」を重たくするための働きかけ、もしくは、「死にたい」を軽くするための働きかけ、または、それら両方が必要であろう。ほかにも、天秤自体がもともとバグっているという可能性も無視できない。

わざわざ細かい分析をしなくても、それっぽいことを言おうとして結局何もしないよりも、こうした自殺に至るまでの仕組みについて考えさせたり、個々人が内省する時間を確保するだけで、亡くならずに済む命はあるのではないかと思う。

おわりに

気分で書き始めたが気づけば3時間ほど経っている。起承転結がない稚拙な文章だが、いまの自分の素直な思いをつらつらと書いた。普段人と話す機会が少ない内容だからこそ、今回の記事を読者がどう感じるのか知りたいと思う。

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