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西国と東国を分つ坂 足利峠

西国と東国を分つ坂 足利峠

足柄峠は伊豆半島に位置し、相模国と駿河国とを分ける古代からの重要な関所である。万葉集に見られるように、この峠は古くから日本の東西を区別する境界として認識されていた。ここは「坂東」の名で呼ばれる地域の象徴的な存在であり、東の国と西の国の分かれ目とされている。

地理的特徴においても、足柄峠はフォッサマグナという地質学的な概念における境界の一つである。フォッサマグナは日本列島を西と東に分ける大きな地溝

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眼差され純化する伝統 バリのバリ化

眼差され純化する伝統 バリのバリ化

バリ島は不思議な体験だった。この島の歴史は古く紀元前300年からの人の居住、ヒンドゥー教の伝来、ジャワの支配、オランダ植民地時代を経て、独立に至るまでの変遷がある。

19世紀のオランダ植民地時代には、多くの伝統が失われたかけたが、奇妙な巡り合わせにより、また奇妙な復興を遂げることになった。

1917年の大地震とその後の災難は、バリの文化保護政策に大きな影響を与えた。バリの人々はその災難を儀礼に

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地磁気が逆転しても地球はまわる チバニアン

地磁気が逆転しても地球はまわる チバニアン

千葉県市原市の山間、養老渓谷の河川に削られむき出しになった地層に、一筋の白い線が走っている。

77.4万年前に降った火山灰がその正体だ。
カラブリアンとチバニアンとを分けるその境界は、地球史上最後の地磁気逆転が起きた時期と重なる。

地磁気逆転とは、その名の通り、地球のS極とN極が逆転する現象のこと。
過去360万年の間に11回は逆転していることが分かっている(逆転している途中では至る場所でS極

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関東平野を受け止める地層 銚子

関東平野を受け止める地層 銚子

66kmにもおよぶ九十九里浜の平坦な海岸線を北へ北へと進むと、ゴツゴツとした高低差のある段丘の風景が見えてくる。関東地方を覆う広大な火山灰から成り立つ「関東ローム層」と呼ばれる地層が露出している。

ここには地球のプレートの動きによって押し上げられた白亜紀の地層も見ることができる。これらの地層は、日本最大の平野・関東平野を受け止めるエッジの役割を担った。

これらの特殊な地形の上にあるのが、千葉県

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イワシとサーファーが棲む浜 九十九里浜

イワシとサーファーが棲む浜 九十九里浜

九十九里浜。
江戸期にいわし漁で栄えた漁業のまち。いわしの脂を取り除いた干鰯は藍染の藍を育てる肥料として重宝され、関東への一台供給地となった。
地域を走ると立派な御殿がいくつもみえる。屈強な海の人々が漁業で財を成したが、最近は厳しいという声も聞く。

風はとても強く、多くのサーファーで賑わっていた。

まるで生き物のような 第一牧志公設市場

まるで生き物のような 第一牧志公設市場

国際通りから一歩踏み出すと、奇妙なほど魅力的な迷路のような風景が広がる。沖縄の台所である「第一牧志公設市場」へと続く、ひしめく商店街の入り口だ。この市場は、かつて戦後の混乱から生まれた闇市から始まった歴史を持つ。それ以来この場所はまるで生き物のように四方八方に曲がりくねった形で成長を続けてきた。

市場は2023年リニューアルを果たした。一見すると、新鮮な風を纏った明るい建物が立ちはだかるが、それ

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地形がうみだすもの 名護の海岸と読谷のシムクガマ

地形がうみだすもの 名護の海岸と読谷のシムクガマ

沖縄本島の北部に位置する名護には、美しい海岸線が広がっている。海岸沿いに目を向けると、背の高い島々が点々と浮かんでいる。その一つ一つの島が特異な形状をしており、それぞれ異なる風景を提供している。

泥質片岩が一部が剥き出しになっている。これらの岩石は、太平洋のプレート移動と衝突により隆起したものだ。沖縄本島の北半分は火山やサンゴ礁の島ではないことを物語っている。

名護を南に位置する読谷には、シム

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辺野古とは、どんなところなのだろう

辺野古とは、どんなところなのだろう

名護市久志区辺野古。琉球語の「ヘヌク」(土地の祖神の名前という説あり)からその地名が来ているという。

ここはかつて炭焼きや樟脳づくり、漁労の小さな集落で、15世紀には「国頭方東海道」の宿場でもあった。

1945年6月米軍による沖縄時上陸時に、ここに大きな捕虜収容所が設置され、最大25,000名が収容された。戦後に収容所は消滅したもの再び米軍基地キャンプ・シュワブが作られることとなる。

基地工

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この土地の歴史が溶け込んでいる 《食堂味乃屋》のソーキそば

この土地の歴史が溶け込んでいる 《食堂味乃屋》のソーキそば

本島のほぼ中央、東側の海岸に位置する金武町。
この土地にある《食堂味乃屋》のソーキそばが美味しかった。昆布出汁、かまぼこ、あぐー肉の風味が素朴で味わい深く、泡盛と島唐辛子から作られたコーレーグスが合う。店内では地元の農家さんやお婆がそばをいい音で啜り、濃ゆいウチナーグチで会話をしていた。

建物は戦後建てられたコンクリートの家。どうして沖縄はこんなにもコンクリートの家が多いのか。戦後、深刻な住宅難

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海人たちの技術と歴史 糸満

海人たちの技術と歴史 糸満

糸満。
優れた漁法と道具を生み出した海人たちの歴史を伝える資料館に立ち寄る。
その漁法とは、追込み漁だ。子どもたちが海に入り、魚を大きな囲い網の方へと追いやる。この追込み漁の成果は凄まじく、あっという間に他の漁場を席巻した。本島はもちろん、フィリピンなど南方までその漁場を広げた。貧しい地域から口減らしとして子どもたちが糸満に売られてきたという。追い子はその子どもたちが担った。

その追込み漁の際に

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考古学はいつだって最古で最新だ 湊川フィッシャー遺跡

考古学はいつだって最古で最新だ 湊川フィッシャー遺跡

先日、沖縄へ行った際に、港川フィッシャー遺跡をみた。
約22,000前の旧石器時代の人類の全身骨が見つかった遺跡だ。

フィッシャーとは崖の割れ目のこと。ここの土地は、サンゴなどが形成した石灰岩の地層がある。土地の隆起等によって地面がわれたところに、アルカリ性地質が溶けて流れ込んだ。そのため、この溝に落ちた人の骨は溶けずに残ったのだ。
この港川人を最初に発掘したのは、アマチュア考古学者の大山盛保。

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都市、郊外、田舎、自然、幾つもの東京 檜原村

都市、郊外、田舎、自然、幾つもの東京 檜原村

檜原村。
東京都西奥の山間、山梨県と神奈川県との県境にある町。
アウトドア系の観光地でもありながら、今でも林業が営まれており、古くから残る祭りや習俗もある。武田氏の落武者伝説も、熊や猿もいる。

東京は奥深い山もあるし離島もある。都市、郊外、田舎、自然、幾つもの東京だ。

宮本常一と岡本太郎の写真

宮本常一と岡本太郎の写真

宮本常一の写真

周防の宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)へ行った時に、宮本常一の写真を色々とみたことがある。といっても、10万枚はあると言われる写真を全てみれたわけでは無い。が、つまみ食い乍もみると、大凡の雰囲気みたいなものがみえてくる。
宮本常一の写真は淡々として、日常の、でも彼の目にとまったモノや人や風景が収められている。中には劇的だなと思う一枚はあるけれど、それは膨大な写真群のほん

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