SOICHI SATO(空風瞑想)

真我探求の瞑想伝道者|悟りへの道|本当の自分を知る|空風瞑想|瞑想説明会|瞑想法の伝授…

SOICHI SATO(空風瞑想)

真我探求の瞑想伝道者|悟りへの道|本当の自分を知る|空風瞑想|瞑想説明会|瞑想法の伝授|瞑想個人セッション| 小説|詩|エッセイ|電子書籍|オンデマンド出版|ジャプーヒーリング|タイ古式マッサージ|ルーン|お問合せ|https://www.sorakaze.com

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    この世界における真我の証について

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    真我を探究する瞑想において、自らの内に真我を実証していく。それは知識と瞑想が重なり合って深遠なる真我を理解する道。

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    真実を求めてこの世界を旅する魂の物語。

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    登山記録。公共交通機関を利用して山に出かけています。基本的にソロ。山行で撮影した写真を掲載しています。ヤマレコ会員(nainoa)

記事一覧

真我の軌跡(13)知性

真我は自我を超えたところから世界を見ている。 それは認識と呼べるものだが、決して自我ではない。 そこには自我の要素がまったくないからだ。 本来、「私」とはこの真我…

瞑想の道〚12〛自我の成熟

 悟りという言葉を知っていても、それが何を意味するのか知っている人は少ない。悟りとは真理のことであり、その真理とは自分が真我であるということだ。そう言われても、…

真我の軌跡(12)有性

真我は目に見えないからといって無ではない。 それは決して消えたり、失ったりするものではないのだ。 そこに有ることが真我であり、それは誰にでも認められる。 無を観察…

瞑想の道〚11〛真我の真実

 真我は特別なエネルギーの類ではない。もし何がのエネルギーであれば、それは真我ではないということだ。真我にはエネルギーがない。それは完全に静止していて、一切のエ…

真我の軌跡(11)瞬間

真我は静止しているため時がない。 それは世界の時の中心に留まり、同時にすべての時を網羅している。 そもそも真我には過去や未来、現在といった時間の概念がない。 時の…

うつしおみ 第60話 暗闇と光

魂は暗く冷たい土の中で眠っていたが、 ある日暖かい光を感じて目を覚ました。 その光の方へと手を伸ばしていくと、 暗闇から光の世界へと抜け出ることができた。 さらに…

瞑想の道〚10〛真我と世界

 世界の動きは予測できず、制御することもできない。そのため、自我は世界に苦しめられることになる。世界は自我の願いを叶えることなく、思い通りに事を運ぶことに障害を…

真我の軌跡(10)無垢

真我を貶めることも汚すこともできない。 汚物や悪意を投げつけられても、真我には曇りひとつ付かない。 世界の変動に影響されることもなく、ただ無垢のままでいる。 そう…

うつしおみ 第59話 青空と呪い

魂は生きる辛さや苦しんで死ぬこと、 失敗したり不幸になることを恐れていた。 いつでも何かに恐れていたため、 それは魂にかけられた赤黒い呪いとなった。 魂はその呪い…

瞑想の道〚09〛真我への道

 真我実現には二つの道があるといわれている。ひとつは探求の道であり、ひたすら自らが真我であることを目指す道だ。もうひとつは、すべてを真我に明け渡す道であり、熱烈…

真我の軌跡(09)巨大

真我はこの世界よりも巨大だ。 世界の始まりの前には真我だけがあった。 その真我の海に発生した小さな泡がこの世界なのだ。 そのことを世界は知らないかもしれない。 それ…

うつしおみ 第58話 小さな光

魂は春の浅い眠りの中で、 心の奥で光る小さな金色の光を見つけた。 それは魅せられるほどに美しく、 見つめているだけで幸せな気持ちになった。 さらに近づき触れてみる…

瞑想の道〚08〛思考の意味

 瞑想中の思考を問題視する人は多い。多くの場合、瞑想者は思考を邪魔な存在だと思っている、瞑想中に思考がなくなれば、いい瞑想になると思うのだ。そう分かっていても、…

真我の軌跡(08)純粋

真我は何も付加されていないため純粋だ。 混じり気が一切なく、わずかな曇りさえない。 無色透明で何の性質もなく、特色というものもない。 それをこの世界では純粋性とい…

うつしおみ 第57話 自由と運命

魂はこの世界を自らの意志で生きていて、 その運命を変えられると信じていた。 自由意志は眩い希望であり、 人生模様を紡いでいく原動力となっている。 ときには絶望し生…

瞑想の道〚07〛私と真我

「私は誰か」の探求の結果として、「私は誰でもない」という答えに行き着くことがあるが、これは半分正解で半分間違っている。「誰でもない」という言葉の意味が、どんな自…

真我の軌跡(13)知性

真我は自我を超えたところから世界を見ている。 それは認識と呼べるものだが、決して自我ではない。 そこには自我の要素がまったくないからだ。 本来、「私」とはこの真我のことであり、 ここに存在していると気づいている知性のことだ。

瞑想の道〚12〛自我の成熟

 悟りという言葉を知っていても、それが何を意味するのか知っている人は少ない。悟りとは真理のことであり、その真理とは自分が真我であるということだ。そう言われても、ほとんどの人はピンとこないだろう。自分には縁のないことであり、他人事のように話を聞いて終わりになる。それよりも、この世界で何を楽しみとして、どのような人生を送るのかが最大の関心事だ。多くの人はできる限り楽しく、充実した人生を送るために、人間関係や財力を高めることに注目し、個人として評価され、健康な肉体を持ち、誇り高く生

真我の軌跡(12)有性

真我は目に見えないからといって無ではない。 それは決して消えたり、失ったりするものではないのだ。 そこに有ることが真我であり、それは誰にでも認められる。 無を観察するのではなく、有ると同化することだ。 無に紛れるのではなく、有るを明晰にすることだ。

瞑想の道〚11〛真我の真実

 真我は特別なエネルギーの類ではない。もし何がのエネルギーであれば、それは真我ではないということだ。真我にはエネルギーがない。それは完全に静止していて、一切のエネルギー活動が行われていない。その状態を確認することができれば、それが真我だ。真我はエネルギーがない必要がある。もしそれがあるのであれば、真我によってつくられている世界は根底から歪んだものになってしまうだろう。世界の基盤としての真我は、静止していてエネルギーがなく、つまり何の性質もなく、姿かたちさえない必要があるのだ。

真我の軌跡(11)瞬間

真我は静止しているため時がない。 それは世界の時の中心に留まり、同時にすべての時を網羅している。 そもそも真我には過去や未来、現在といった時間の概念がない。 時のない真我を源流として、世界には時の移動が起こっている。 人の過去生や転生も、真我にとっては重なった瞬間の出来事なのだ。

うつしおみ 第60話 暗闇と光

魂は暗く冷たい土の中で眠っていたが、 ある日暖かい光を感じて目を覚ました。 その光の方へと手を伸ばしていくと、 暗闇から光の世界へと抜け出ることができた。 さらに上には眩しいほどの青が広がっていて、 その勢いで空へも手を伸ばしてみた。 魂は光を浴びるほどに瑞々しい生命を感じ、 地上は薄緑色のその手で覆われていった。 世界では小鳥たちが楽しげにさえずり、 それに合わせて魂はそよ風と笑いながら踊った。 だが、時とともに魂の生命は瑞々しさを失い、 ついに力尽きて乾いた土の

瞑想の道〚10〛真我と世界

 世界の動きは予測できず、制御することもできない。そのため、自我は世界に苦しめられることになる。世界は自我の願いを叶えることなく、思い通りに事を運ぶことに障害をもたらす。自我には様々な問題が降りかかり、その対応で心身は消耗していく。自我は何度も希望を失い、自分の存在に虚しさを感じる。そんな自我にとって、真我を悟ることなど何の意味もないと思うだろう。自我にとっては、この世界で願いが叶い、物事が問題なく円滑に進んでいくことが大切なのだ。そうなれば、自我は幸せであり、人生は希望に満

真我の軌跡(10)無垢

真我を貶めることも汚すこともできない。 汚物や悪意を投げつけられても、真我には曇りひとつ付かない。 世界の変動に影響されることもなく、ただ無垢のままでいる。 そうして世界を拒絶したり無視したりしているわけではない。 そう在ることが世界の本質たる所以なのだ。

うつしおみ 第59話 青空と呪い

魂は生きる辛さや苦しんで死ぬこと、 失敗したり不幸になることを恐れていた。 いつでも何かに恐れていたため、 それは魂にかけられた赤黒い呪いとなった。 魂はその呪いに水を掛けて落とそうとしたが、 それを手放すことに躊躇してもいた。 恐れのその痛みによって生が際立ち、 魂に生きている実感が与えられていたからだ。 そのため呪を解きたいという気持ちと 呪われたままでいたいという気持ちが渦巻いていた。 心に深く刻まれた呪の放つ青い閃光が魂を削り、 その痛みを抱きしめて空を仰ぎ

瞑想の道〚09〛真我への道

 真我実現には二つの道があるといわれている。ひとつは探求の道であり、ひたすら自らが真我であることを目指す道だ。もうひとつは、すべてを真我に明け渡す道であり、熱烈な信仰によって真我到達を目指す道だ。結局はどちらの道でも真我実現に至るのだが、はじめに難しくあとで楽になるのは探求であり、はじめに楽であとで難しくなるのが明け渡しだと感じる。明け渡しの道がそう思えるのは、自我の問題をどうやって解決するか曖昧な点にある。修行者はすべてを真我(あるいは神や聖者)に明け渡したと言うかもしれな

真我の軌跡(09)巨大

真我はこの世界よりも巨大だ。 世界の始まりの前には真我だけがあった。 その真我の海に発生した小さな泡がこの世界なのだ。 そのことを世界は知らないかもしれない。 それでも真我はいまも世界をその懐に抱いている。

うつしおみ 第58話 小さな光

魂は春の浅い眠りの中で、 心の奥で光る小さな金色の光を見つけた。 それは魅せられるほどに美しく、 見つめているだけで幸せな気持ちになった。 さらに近づき触れてみると、 その輝きは魂を包み込み、眠りから目覚めさせた。 その目覚めは強烈な印象を刻みつけ、 それで魂は誰とも違った存在になれたと思った。 だが、魂はその光を眺めたり触れたりするだけで、 それが本当は何かを知らずにいた。 金色の光はただ美しく輝いているだけで、 魂に特別な何かを与えることはなかった。 魂は次第

瞑想の道〚08〛思考の意味

 瞑想中の思考を問題視する人は多い。多くの場合、瞑想者は思考を邪魔な存在だと思っている、瞑想中に思考がなくなれば、いい瞑想になると思うのだ。そう分かっていても、思考をなくすことは困難を極める。しかし、瞑想中の思考には重要な役割がある。瞑想中に思考がなくなることは、実はあまり良い状況とはいえない。例外的に、真我自体になっているときには思考は起こらない。真我には活動がないため、そこで思考は起こりようがないのだ。ここでの問題は思考ではなく、焦点ということになる。焦点とは何なのか。瞑

真我の軌跡(08)純粋

真我は何も付加されていないため純粋だ。 混じり気が一切なく、わずかな曇りさえない。 無色透明で何の性質もなく、特色というものもない。 それをこの世界では純粋性という言葉で説明するかもしれない。 だが、純粋な真我が自らの純粋性を主張することはない。

うつしおみ 第57話 自由と運命

魂はこの世界を自らの意志で生きていて、 その運命を変えられると信じていた。 自由意志は眩い希望であり、 人生模様を紡いでいく原動力となっている。 ときには絶望し生きる気力を失うが、 自由意志でそこから立ち上がることもできるのだ。 魂はその自由意志を自分だと思ってたが、 それがどこから来るのか知らなかった。 どこからか心に浮かんでくる意志を、 自分の意志だとして信じて疑わずにいた。 それは緻密に編み上げられた世界の意志であり、 魂の中で掘り起こされる未来の記憶だ。

瞑想の道〚07〛私と真我

「私は誰か」の探求の結果として、「私は誰でもない」という答えに行き着くことがあるが、これは半分正解で半分間違っている。「誰でもない」という言葉の意味が、どんな自我でもないということであれば間違いではない。しかし、自分とはただ自我を失って存在しているだけということであれば、もう少し探求を深めていく必要があるだろう。問題は「私」という言葉の取り扱いだ。「私」という言葉には、どうしても自我の匂いがつきまとう。そのため、あえて「私」という言葉を排除しようとする方向になりがちだ。実際に