僕の過去について②〜自意識過剰が病気を作る〜

今のところ、人生の暗黒時代だったのは、2018年〜2020年の天中殺のときと高校時代くらいだったかと思う。

高校は地元の学校に通ってた。そこは実家から徒歩20分の距離にあるところだったんだけど、いつもチャイムが鳴るか鳴らないかとか、鳴り終わる遅刻ギリギリのタイミングで教室にそーっと入ってた記憶がある。

自分で言うのも何だけど、僕は、自他ともに認めるプライドが異常に高い本格派の陰キャだと思う。

僕が通ってた高校には入学試験を受けて入ったのだけど、実は高校から卒業した中学校もとても近い場所にありました。

僕の行ってた高校は、周辺の中学校+一部校区外からも入学する生徒がいて、一学年400名ほどいるマンモス校でした。

文武両道を掲げて歴史も長く、実は多くの有名人を輩出していたりもします。

そんな名実共に名のある高校での陰キャデビューで僕が地味に神経をすり減らしたのが、同じ中学を卒業した同級生に僕の陰キャ具合がバレるんじゃないかということでした。

地元の中学→高校が一緒の人たちに本当の自分の姿を見られたくなくて、こんな惨めな自分は幻滅されるんじゃないか、本気でそう思ってました。結局、その考えが本当かどうか確かめることもなく高校も卒業してしまいましたが……。

同じ中学出身&同じ高校に入学した人で高校デビューして陽キャになってる人たちもチラホラいたのに、僕は逆に本格派の陰キャデビューしてしまったなぁ。あぁ、案外心に染みる。今でもその恥ずかしさが抜けないよぉ。

特に中学のときにちょくちょく話したことある人に見られるのは苦痛だった。なので高校ではそんな彼らとは自分から距離をおくようにしていた記憶がある。

ここまで書くと、やっぱりかなりのプライドの高さを兼ね備えている陰キャラということで結構キャラも立つのではないでしょうか?(立たない)

僕の場合

「周りのみんなと仲良くなりたい!」とか
「このままじゃダメだからもっと頑張ろう!」

という気持ちよりも

「うまく喋れない自分は惨めだ」とか
「こんな自分はどうせ周りに馴染めないよ」

と言った諦めの感情の方が強かった。
それはそれは強固なものだったに違いない。

頭ではわかってるけど、心がついていかない。
コミュ障という意味ではコミュニケーションのスキルも乏しい。

僕のいた高校では毎月月末になるとA4ペライチサイズの大きさで翌月分のスケジュール表が配られてたんだけど、毎回それをもらった瞬間祝日はあるかとか翌月は何日学校に行かないといけないのかとかそういうことばかり考えてた。

で、翌月になると毎日毎日その日が終わるたびにその日のところに斜線を引きながら週末に目が行ってたし、日曜日の夕方は毎週サザエさん症候群がひどかった。3年間よくぞ頑張ったと思うよ。

そんで高校時代は便所飯ていうのも結構やってたんだけど、それは、ご飯時間に周りがわちゃわちゃ友達とお話しながらご飯食べてる中で、誰ともつるめない自分が一人寂しくお母さんの作った弁当を食べてる姿は見られたくないという恥ずかしさや惨めさの心理が働いてた。

まあ、合理的に考えてみると、便所飯の方が惨めだと思うのだが、やはり他者からの視線や人の声や圧に敏感でそれを避けたかったのだろう。

自分以外の同級生とは合わない、みんなのことが怖いと心底思い始めたのが高校時代だということはこれからも変わらない事実。

ちなみに、同級生から苦手に思われたり避けられたりしていたときもあった気がするけど、イジメらしいことは一度も受けたことはなかった。そりゃそうさ。高校3年間はただ教科書開くためだけに学校に通ってたようなもんだから。誰ともあんまり絡めなかったし。

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