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精神疾患があっても「できる」ということに気づいた

ツライ。私がここで文章を書くときは、決まってこの気持ちでいっぱいだ。

ときどきは心が穏やかになることもあるが、ほとんどの時間は後悔や罪悪感の渦の中にいる。最近は特に、夕方から夜になるにつれて気持ちがどんどん暗くなってしまう。

今日が終わってしまう。こうして時間だけは過ぎていくのに、私は一体何をしているんだろう。何もしていない。前の記事でも述べたように、何も手につかない状態なのだ。
過去を思い返しても、どんな未来を想像しても、結局何もしていない私には、また同じように「どうすればよかったのか」と答えのない事柄を自分に問い続ける明日が待っているのだろう。

そんな、まるで意味のないような日々を繰り返す中で、ピアノを眺めながらふと、ロベルト・シューマンが自分を精神病院へ入れるよう頼んだ翌日にライン川へ投身自殺を図った話を思い出した。偉大な芸術家は、精神的な障害を抱えていることが多い。

精神疾患を抱えている人でも、ピアノを弾いたり、絵を描いたり、文を書いたりすることは、できるということなのかもしれない。安易だが、そう考えることで自分を動かそうと思いついたのだ。

実際には、幻聴に悩まされていたシューマンにとって音楽はもはや自分を生かすための存在ではなくなっていたとも考えられる。

「かわいそうなローベルト、ひどく辛いらしい。彼にはどんな音も音楽に聞こえてしまうのだ。……これが止まらなければ気が狂ってしまうと何度も訴えている。巨大な管弦楽のようなものが聞こえ、それが終わるかと思えば、また次の音楽が彼の幻想の中に聞こえてくるという具合で、幻聴はひどい状態に達している」
— 1854年2月、クララ・シューマンによる日記


でも、私はツライという気持ちに飲み込まれそうになったら、弾いたり、書いたりすることにしようと決めた。だから今日も、この時間まで手を動かしている。

もうすぐ、朝が来る。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。