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ご縁の意味 学びに気づく事①~義父母との関係~


仕事後、携帯を見ると、義母が入院して今から手術との連絡が入っていました。
義父母の子供である主人も、義妹も、現在遠方に居るため、今1番義父母の近くに居てすぐに動けるのは私1人でした。状況を確認して、職場を出てすぐに向かい、義父と合流し対応しました。
義母は腹腔鏡手術を受け、術後の経過は良好、5日間の入院で退院となりました。その後の回復も順調でした。


私と義父母の関係は1度破綻していました。
自分との向き合いを始めてから後に、義父母と私の関係が、私が繰り返してきた人間関係のパターン(無意識に無理をして頑張り過ぎて関わり、結果気持ちも体力も枯渇して自滅する。関係が続かずにリセットする。罪悪感を抱く。)そのものだったとわかりました。渦中に居る時は本当に全く気づきませんでした。

結婚当初から約18年間同居し、様々な理由が蓄積して別居しましたが、義父母の事を考えると、私は同居を解消した罪悪感と自責感情の為に苦しみました。
実家の両親との(関係性の悩み)事に、義父母との事が加わり、その後更にその上に、退職した職場の人達、関わっていたご利用者様への罪悪感が加わりました。
頑張ったのにやっぱり私はダメだった、いつも人間関係は壊れてしまう、私はおかしいと感じ、行き詰まりました。



その後、現在の仕事に就いた事で、自然の力に触れて、少しずつ心が癒されました。
自然を相手にする仕事は、天候に左右され、人間の思うようにはならない事も多く、自然の大きな力を前にした時、人間の力は微力なんだと思い知りました。
私が成長過程で無意識に身に着けていた完璧主義な部分や、極端になりやすい思考の癖はいい塩梅に弛ませられました。
空の雲の動きのように、川の水の流れのように、自然の流れに任せて、人間も肩の力を抜いて自然体のままで生きていい事。
過ぎたるは及ばざるが如しという事。
何事にも無理をしない事がほどよいという事を学びました。今までの私の人間関係は、無意識に頑張り過ぎた事が悪循環を生み、長く続かなかったんだ...と学びました。
そうわかっていく期間を経てからの今年、幼少期からの事と向き合い自分の心を癒していくうちに、実の両親との事を自分なりに整理出来ていくうちに、不思議でしたが、義父母と私の関係も修復されていきました。静かな驚きでした。

義父母との生活の中でも私は幾つもの思い込みをし、私の物事の受け取り方の癖で、私の解釈の仕方で物事を受け取っていた、という事に気づきました。
その事に気づいていく度に、心の捻れがとれて、気持ちが和らぎ、義父母と再び会って関わる事が出来るようになりました。
心の専門的な知識は私は持っていませんが、でもあんなに苦しかった数年前を経験した後だったので、本気で自分の心と向き合い、取り組み続けている事が、自分には合っていて、自分の心を柔らかく変化させていっていると実感しました。
自分の内面に起こっている変化は事実で、心が本当に徐々に楽になっているという手応えが、自分の内面との向き合いを継続する支えになりました。
心を解きほぐし、自己理解が進むにつれて、義父母と、そして義妹とも、無理をしない範囲で会い関わる事が出来るようになりました。
感じていた罪悪感は、悪い事をしてしまった...と、その人や物事を本当は大切にしたかったけれどそう出来なかったから感じる気持ちでした。
つまり本当は愛したかった、大事にしたかった、そういう優しい気持ちが心の奥底にあるという事だと気づき、だから罪悪感はこれ以上感じなくてもいいと。罪悪感は、適正に理解して、関係を改善してより良い物にしていく為に活用したらいいと思いました。
無理をしてそう変化しようとした訳ではありませんでした。
まず1番に自分を大切に思い、無条件に自分に優しくしました。
無理をしない事、頑張らない事を敢えて意識しました。そんな自分も許して、自分の心を癒し続ける事で自然に起きた、自然な変化でした。


自分を俯瞰して見る事が出来るようになり、
自分の人間関係のパターンに気づき、そしてそれには理由があって、
私の場合は、自分の(持って生まれた物か、生育環境からか、そのどちらもからの影響の)HSP気質と、生育環境、幼少期の体験で身に着けたアダルトチルドレンの特性が影響している事。成長過程で身に着けてしまった自分の物事の受け取り方の癖、思い込みがあった為だったと理解しました。
そして、「そういう私が、私だったんだ」と腑に落ちました。自分を知っていく事は、大切な事だと思いました。



10月に自分の両親との再会が叶い、心、気持ちが和らぎ、義父母とも無理をしない距離感で関われるようになってきていたタイミングでの、今回の義母の入院と手術でした。
たまたま、偶然かもしれませんが、向き合いを継続していくうちに、自分の中で未完了にしてきた感情を自分なりに消化すると、不思議とその後自然と何か物事が展開していっているというような実感がありました。
職場から病院へ向かいながら、ふと、この起こった現実は、もしかしたら変容のお試しなのかもしれない、私が何かを学ぶ為に起こってるのかもしれない、一瞬そういう視点を持ちました。
色々な事があったにせよ同居していた頃、帰省する実家がなかった私は、義父母には確かにお世話になっていました。
1度離れた関係性でしたが回復し、感謝する気持ちを素直に感じられる位に私の心は治っていました。今は私が行かなくては、と思いました。
目の前の事に精一杯取り組むんだった。そう思って、素直な心持ちで動きました。




②に続きます。
お読み頂き、ありがとうございました。





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