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ニューディール政策について

皆さんこんにちは。今回の記事は経済政策の一つである「ニューディール政策」についてです。

ニューディール政策とは

ニューディール(新規まき直し)政策とは、アメリカ元大統領であるフランクリン•ルーズベルト元大統領が実行した経済政策/景気対策です。1929年に起こった世界恐慌で落ち込んだ、アメリカ経済を立て直すことが目的で実施されました。この政策の理論の基になったのは、イギリスの経済学者であるケインズが唱えた理論だと言われています。

ケインズが唱えたケインズ経済学は、有効需要が不足している状況に対して、政府が市場に介入し、公共事業などの財政政策や金融緩和などの金融政策などで、失業者を減らし有効需要を補い、景気を回復させていく理論です。

ニューディール政策はケインズ経済学に基づいて、生み出された政策だと思われがちだが、ケインズの著書である「雇用、利子及び貨幣の一般理論」が発表されたのは1936年で、ニューディール政策が実施された後なんです。ニューディール政策の基になったのは、マルクス経済学の経済政策である「五カ年計画」などの中央主権的計画経済です。

ルーズベルト元大統領は政府の権限を最大化し、市場に規制を設け、雇用や産業に保護政策を実施しました。
金融政策では、1933年にドル(通貨)と金を交換する金本位制を停止。中央政府が通貨を発行する「管理通貨制度」を導入しました。また、銀行預金を保護するための「連邦預金保険公社」の設立や、銀行を証券から分離するための「グラス•スティーガル法」を制定しました。

政府の介入は農林水産業にも及び、1933年に農作物の生産性を中央政府が管理し、補助金の配布や、価格を前の水準に回復することを保証し、「農業調整法」を制定しました。それ以外にも「全国産業復興法」も制定し、中央政府が産業統制権を行使をし、産業の支援や労働時間の短縮や最低賃金を確保を目指しました。また、テネシー川流域開発公社などの公共事業を増加させ、雇用を創出し、失業率の回復を目指しました。

ルーズベルト元大統領は労働者の権利を主張して「全国労働関係法」を制定し、労働者の団結権や、団体交渉権、ストライキ権が認められました。労働者の権利を拡大しました。

ニューディール政策は失敗した

世界恐慌の経済的な影響を克服するために、ニューディール政策を実施しました。何人かは、ニューディール政策によって、経済回復したと思われがちですが、これらの政策は企業から反発が相次ぎ、農業調整法や全国産業復興法といった政策は最高裁判所で「公平競争を阻害する」という理由で違憲判決を出されました。

さらに、財政出動によって、インフレ率の高上昇や政府債務の増大の影響で、アメリカ国民の生活を苦しむ羽目になった。ルーズベルト元大統領はこれらを解消するために、予算のバランスを取り、均衡財政化を目指しました。
結果、公共事業の予算が削減され、失業率が上昇しました。

アメリカ合衆国の失業率

失業率が20%を超えることになりました。 

また、ニューディール政策の期間は世界恐慌前のGDP(国内総生産)の水準を超えることが出来なかった。

アメリカ合衆国の国内総生産(GDP)

これを「ルーズベルト不況」と呼びます。ニューディール政策は雇用や経済成長は一時的なもので、長期的な効果は得られませんでした。また、高インフラや政府債務の増大を招き、政策は失敗に終わりました。

景気回復をしたのは軍需産業の影響

不況を脱却できのはニューディール政策ではなく、第二次世界大戦によって引き起こした「軍需産業」です。やっと低失業率を実現されたのは1942年のことで、徴兵や女性の労働参加によるものです。GDPも軍需産業による需要や生産によって回復しました。その後、景気回復はしたものの、戦争によって多くの命が失われました。

アメリカ合衆国の経済学者であるミルトン•フリードマンは「1929-1933年と1933-1941年の期間は別に考えるべきである。大恐慌ではなく大収縮を終わらせたのは、銀行休日、金本位制からの離脱、金・銀の購入計画などの一連の金融政策であったのは間違いない。大恐慌を終わらせたのは、第二次世界大戦と軍事支出である」と指摘している。

しかし、ニューディール政策は良い面もあり、アメリカ合衆国の経済学者であるロバート・ルーカスは「1934年の預金保険の整備、グラス・スティーガル法による銀行と証券の分離によって、銀行が過度なリスクをとれないようにする金融規制の体系が整った」としており、「この銀行規制は数十年にわたって、大恐慌の再発を防止した」としている。

以上。

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