とまお:戸松拳也

言葉と声が好きです。特に、特に特に、形容詞は好きです。形容詞。 Twitter:ht…

とまお:戸松拳也

言葉と声が好きです。特に、特に特に、形容詞は好きです。形容詞。 Twitter:https://twitter.com/tomao_kenya YouTube : https://www.youtube.com/channel/UCr-TWJzcguEFnSGlLmQxGuA

記事一覧

固定された記事

「BUMP」は血液。

 ぼくは音楽との付き合い方を知らなかった。みんなが音楽を聴き始めて、このミュージシャンがいい、このアイドルがいい、このバンドがいい、たくさんのいいが溢れはじめた…

「アウトプット大全」 樺沢紫苑

「アウトプット大全」を読んだ。 【成長】とは何か。それを知るための本。  インプットをアウトプットできるか。 あなたは読んだ本を、説明できるか。説明できないのでは…

英語のできない僕は、NYでホットドック中毒になる。

これは、五年前。 ほぼ旅行すら行ったことのない、 まったく英語もわからない僕が、 突如NewYork行きを決め、 「世界の見え方」を変えるまでの物語だ。(実話) 第1章、…

「moon」は心の置き場。

 思い出は力をくれる。 思い出が価値観になり、ぼくらの選択を支えてくれている。無駄になることはたくさんある。「全て無駄じゃなかった」なんてことはない。マイナスに…

「夜は短し歩け乙女」はホップ・ステップ・ジャンプ。

 文章を読むと、世界が生まれる。 どんな文章でもそうだ。誰かの顔が見え、醸し出す空気を感じ、テンションが伝わり、その人の世界が見える。あなたが書いた文章は、あな…

「MacBook Pro」は紅生姜。

 買い物は、信頼を売り買いしているような気がする。 いつもぼくはものを買う時、「これで最悪な気分になってもしょうがない!エイヤッ!」と谷に飛び込むかのようにして…

「美術館」は目印。

   ぼくは「自分」というものがよく分からなくなってしまうことがある。昨日までここにいたような気がするのに、突然迷子になってしまうのだ。あいつめ。 小学生の頃か…

「野菜」は後頭部パンチ。

 この間ぼくは奇妙な経験をした。 ある朝、とても日差しが心地良い日に、ふと意外なことを思った。「トマトが食べたい」と。 人生でそんなことを思ったことはない!!何…

「明日の神話」は畏怖。

 なんで僕らは絵を見て、泣いてしまいたくなることがあるんだろう。 絵と一目出会った瞬間、水位が上がって溢れ出す。その溢れ出したどれもが訳わかんなくて、でも意外じ…

「ウォレスとグルミット チーズ・ホリデー」は憧れ。

 不気味なものはなぜか惹かれる。顔は違う方向に向けているのに、それでも目だけが追ってしまう、不気味さとはそんな魅力だろう。ぼくは昔から少し不気味なものが好きだ。…

「uni-ball signo DX」は味方。

 昔からペンで何かを書くという行為が好きだった。でも、いつも自分が書く文字に、少しだけ落胆をしていたし、それと同時に上手い文字を書くならパソコンで打てばいいと、…

「くまのプーさん」は希望。

 キャラクター商品にとても疎い。子供の頃はぬいぐるみと暮らしていたが、今やそれもしなくなった。今好きなキャラクターと聞かれるとなかなか難しい。だからぼくはものを…

「SLAM DUNK」は熾火。

 ぼくは最近スポーツをしない。ここ一年はしていない。一年どころじゃないはずだが。中学の頃ぼくはバリバリのスポーツ少年で、全身全霊でバスケに挑んでいた。それがその…

「ファイナルファンタジーⅦ」は夢。

 ぼくはあまり長い時間、何かをするのが得意ではない。全神経で向き合う癖が濃くあり、感覚の摩耗が酷く、すぐにエネルギーが底をついてしまう。いろんなものが色を失って…

「古畑任三郎」はサーカス。

 ぼくは、ドラマを見ない。最後まで見たものは本当に数えるほどしかない。なぜ見ないかと聞かれると答えに困る。特別嫌いな理由が見当たらないのだ。ちゃんと全部見た記憶…

「四畳半神話体系」は瀑布。

 ぼくは本を読むのが遅い。この間は一ヶ月もの間一冊の小説を読んでいた。世には1日に何冊もの本を読む強者もいるという。ぼくも根性と気合いを駆使して、心と体を無視す…

固定された記事

「BUMP」は血液。

 ぼくは音楽との付き合い方を知らなかった。みんなが音楽を聴き始めて、このミュージシャンがいい、このアイドルがいい、このバンドがいい、たくさんのいいが溢れはじめた10代の頃。ぼくには音楽の良さが分からなかった。なんとなくこんな風かなと思って、カッコよさそうなもの、流行りのアイドル、友達が勧めてくれたものを聴いていた。ぼくはみんなほど熱狂できなかったし、「ああ、なんかいいね。」って返していたと思う。その10代の光景は、羨ましかった、あんな風に好きって言えるのっていいよなって漠然と

「アウトプット大全」 樺沢紫苑

「アウトプット大全」を読んだ。 【成長】とは何か。それを知るための本。  インプットをアウトプットできるか。 あなたは読んだ本を、説明できるか。説明できないのでは自己満足に過ぎず、「読んだ」ということに満足して楽しんだだけだ。何も悪いことじゃない。だが、成長したいと思って本を読むということは多いはずだ。僕もけっこうそうだ。いや、「あわよくば成長してえな。」と思って読んでいる。「成長してやる!!」とは思ってない。そんな僕に「今読んだ本、説明できるか?」と自問自答する。できるが

英語のできない僕は、NYでホットドック中毒になる。

これは、五年前。 ほぼ旅行すら行ったことのない、 まったく英語もわからない僕が、 突如NewYork行きを決め、 「世界の見え方」を変えるまでの物語だ。(実話) 第1章、15秒で決まるNY行き 僕は、青二プロダクションの声優養成所に通っていた。(現在は養成所の体制が変わっているので、これから話すのは昔のことです!) 他に類を見ないほど、厳しいことで有名な養成所で、毎日がとても忙しかったのです。 演技、発声(歌)、日本舞踊に、洋舞、特別授業、を曜日ごとに割り振られ週5or

「moon」は心の置き場。

 思い出は力をくれる。 思い出が価値観になり、ぼくらの選択を支えてくれている。無駄になることはたくさんある。「全て無駄じゃなかった」なんてことはない。マイナスにだってプラスにだって思い出は力を貸し続ける。そこから一歩踏み出し、望んだ方へ歩いたその人がすごいのであって、今までのことはプラスにもマイナスにも力強く引っ張るだけだ。今の自分がすごいことを忘れてはいけない。自惚れることが怖くて仕方ないから、謙遜する。自分がやってきたことをちゃんと見て、判断するべきだ。すごいかどうか、

「夜は短し歩け乙女」はホップ・ステップ・ジャンプ。

 文章を読むと、世界が生まれる。 どんな文章でもそうだ。誰かの顔が見え、醸し出す空気を感じ、テンションが伝わり、その人の世界が見える。あなたが書いた文章は、あなたそのものだ。気の使い方、自分に酔うのかどのくらい酔うのか酔わないのか、誰かのために書くのか、自分を助けるために書くのか、どんな性格かも手に取るように分かる。そしてその人が作り上げる世界が見える。その中にダイブすることを「文章を読む」という。ぼくはいつもそう思っている。ぼくが書いた文章もぼくそのもので、だからこそ怖く

「MacBook Pro」は紅生姜。

 買い物は、信頼を売り買いしているような気がする。 いつもぼくはものを買う時、「これで最悪な気分になってもしょうがない!エイヤッ!」と谷に飛び込むかのようにして買い物をする。いつも不安は付き纏うものだし、コレでいいのかという疑問は、買って手に馴染むまで晴れない。博打気分ですね。例えば、新作のゲームが出たとして、ぼくは楽しめるのか、粗ばかり探してしまわないか、つまんなくてお金をドブに捨てたみたいに思ってしまわないかと考えてしまう。事ゲームに関しては、未知のワクワクをくれるもの

「美術館」は目印。

   ぼくは「自分」というものがよく分からなくなってしまうことがある。昨日までここにいたような気がするのに、突然迷子になってしまうのだ。あいつめ。 小学生の頃か中学生の頃、自分はどんな人?という質問の紙が配られて困った記憶がある。自分って言われてもなあって思った。 だが、「自分って言われてもなあ。と反応をしてしまう人」というのが逆説的に本当の自分であると思う。たとえ上手に答えられたとしても、ぼくの場合きっと、そういたいと望む自分の姿を口にしてしまうと思う。そんな気がする

「野菜」は後頭部パンチ。

 この間ぼくは奇妙な経験をした。 ある朝、とても日差しが心地良い日に、ふと意外なことを思った。「トマトが食べたい」と。 人生でそんなことを思ったことはない!!何故ならば、ぼくは生粋の生まれながらの生来の野菜嫌いだからだ。ぼくの記憶にはないが、子供の頃は野菜を食べられていたらしい。無垢であったはずの子供が自我を持ち、小学校に行く頃にはもう食べる気なんて、目薬の一滴ほどもなかった。野菜は美味しくない。とんでもない速度で口の中を青緑色の味が駆け巡り、口の端っこまで息の端まで、青

「明日の神話」は畏怖。

 なんで僕らは絵を見て、泣いてしまいたくなることがあるんだろう。 絵と一目出会った瞬間、水位が上がって溢れ出す。その溢れ出したどれもが訳わかんなくて、でも意外じゃなくて、ずっとあったもので、親しんできた感情で、それにまた驚くような不思議な感触。言葉になる前の何か。きっと一番大切な何か。それに出会うために絵を見るんだと思います。 岡本太郎作「明日の神話」 とても好きです。そしてとても怖いです。 渋谷の井之頭線の入り口あたりにある壁画です。通る度怖くて見上げられないことがあ

「ウォレスとグルミット チーズ・ホリデー」は憧れ。

 不気味なものはなぜか惹かれる。顔は違う方向に向けているのに、それでも目だけが追ってしまう、不気味さとはそんな魅力だろう。ぼくは昔から少し不気味なものが好きだ。でも、一つ言っておきたい。度が過ぎる不気味はとても嫌いだ。度が過ぎる不気味は、「なんか変ですよね?わかりますよね!?」って話しかけてきてるみたいで、冷める。不気味ですよってやって不気味とか!ネタバレもいいとこだ。つまらん!!!ぼくは提唱する。どことなく不気味が最高だと!何がどうなるかわからないワクワクが同居できるのだ。

「uni-ball signo DX」は味方。

 昔からペンで何かを書くという行為が好きだった。でも、いつも自分が書く文字に、少しだけ落胆をしていたし、それと同時に上手い文字を書くならパソコンで打てばいいと、どこかで拗ねてもいた。そんなぼくだが、書くという行為によって救われてきたことは間違いない。文字を書くとき、脳から直結して、言葉が手を伝って、ぞわぞわとペン先から紙に移っていく。そんな感覚を持っていたぼくは、どうせなら文章のみならず、文字ごと書きたいように書くようにしようと思った。世間一般的な上手いとか知らん!!ぼくが良

「くまのプーさん」は希望。

 キャラクター商品にとても疎い。子供の頃はぬいぐるみと暮らしていたが、今やそれもしなくなった。今好きなキャラクターと聞かれるとなかなか難しい。だからぼくはものを選ぶのが難しい。スマホケースに始まり、ちょっとした小物、誰かからもらうもの。好きなキャラクターのやつと言えれば簡単なのだろう。でもそのキャラクターを好きと誰かに伝える場合、自分の趣味すべてを高々と宣言するような気分になる、そうなると全面的に好きになれるキャラを探してしまうのだが、それは見つかった試しがない。微妙に見た目

「SLAM DUNK」は熾火。

 ぼくは最近スポーツをしない。ここ一年はしていない。一年どころじゃないはずだが。中学の頃ぼくはバリバリのスポーツ少年で、全身全霊でバスケに挑んでいた。それがその頃のやらなきゃいけないことだと思っていたし、その部活という行為によって自分は中学というものに通っているのだと実感していたような気がする。あまり中学の記憶がない。実感を頼っていたくせに、部活の記憶もほぼない。なんだか昔のことがどんどん結晶化して、スクラップブックにまとめた写真みたいになっていく。昔の自分と今の自分は地続き

「ファイナルファンタジーⅦ」は夢。

 ぼくはあまり長い時間、何かをするのが得意ではない。全神経で向き合う癖が濃くあり、感覚の摩耗が酷く、すぐにエネルギーが底をついてしまう。いろんなものが色を失ってきて、豊かに感じ取れなくなるというイメージだ。1日で何かに向き合える時間は、限られており、明日にならないと回復しない。ゲームかっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!とぼくは正直思う。だけれどこういう意識を持って自分をコントロールしておかないととんでもないことになる。皆さんも経験があるのではないだろうか、集中するこ

「古畑任三郎」はサーカス。

 ぼくは、ドラマを見ない。最後まで見たものは本当に数えるほどしかない。なぜ見ないかと聞かれると答えに困る。特別嫌いな理由が見当たらないのだ。ちゃんと全部見た記憶があるのは、ランチの女王、アンティーク、オレンジデイズ、くらいだろうか。  この世界にはぼくの知らない面白いことが、熱狂できることがどこかに隠れていて、それをとても楽しんでいる人たちがいるような気がしてならない。羨ましい。ぼくは退屈ならそれを見つけに行かなければならない気がするし、今目に入るすべてのものに偏見なくフラ

「四畳半神話体系」は瀑布。

 ぼくは本を読むのが遅い。この間は一ヶ月もの間一冊の小説を読んでいた。世には1日に何冊もの本を読む強者もいるという。ぼくも根性と気合いを駆使して、心と体を無視すれば、脳の働きで、一日に一冊くらいならいけるだろう。昔はそんな風に読んでいたし、本はそうやって読みたいと思って読んでいた。だが、今は違う。味わって読みたい。味わいきりたいのだ。時間が掛かっても1日に2ページも読めなくてもいいと思っている。その世界をいかに潤沢に想像し、丁寧に体の底から感じ取り、満たされるか。そして、しん