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流れをつかむ日本史「室町時代」

トモーロです。

今回から、流れをつかむ日本史は室町時代に入っていきます。

前回、足利尊氏、新田義貞の裏切りによって150年の幕を閉じた鎌倉幕府。

後醍醐天皇による政治が行われるのですがどのようなものなのでしょうか?

さっそくいきましょう!


<武士をガン無視の建武の新政>

足利尊氏と新田義貞の裏切りによって討幕の目標を見事達成した後醍醐天皇は、政治の実権を握りました。

後醍醐天皇は、これまでの武士中心の政治ではなく、全く新しい天皇を頂点においた天皇中心の政治を行いました。

それが「建武の新政」です。建武の新政では、これまでの伝統や慣例を全く無視した新しい政治を行うという方針を立てた。

そもそも後醍醐天皇が天皇になれたのは、足利尊氏、新田義貞をはじめとする有力な武士のおかげ。

にもかかわらず後醍醐天皇は、公家に対しての恩賞は非常に手厚く、武士に対しての恩賞はとても薄いものだったという。

武士は当然不満が溢れます。「結局、後醍醐天皇は公家の味方なんだよ!俺ら武士のことはどうせほったらかしなんだよ。」と半分拗ねた状態。

徐々に各地で武士が反乱を起こしていきました。そして次第に「尊氏なら新たな武士中心の政権を打ち立ててくれる!」と武士たちが尊氏のもとに集まります。

こうして尊氏のもとに武士が集まり力を伸ばす足利軍。後醍醐天皇に勝利をし、政権を奪取し、室町幕府を開設します。


<60年続いた南北朝時代>

こうして尊氏は、京都を奪うことに成功。尊氏は光明(こうみょう)天皇を立てて北朝と呼ばれる朝廷を起こします。

一方、尊氏に負けた後醍醐天皇は、吉野に逃げて南朝と呼ばれる朝廷を立てます。

こうして日本に朝廷が2つ存在してしまう前代未聞の南北朝時代が始まっていきます。なんとこの争いは60年間も続いてしまいます。

「マジで俺らの抗争止まんねえよ!」って言ってたらマジで止まらなかったという感じですかね!

そして、この争いを収めたのが3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)であった。この60年間続いた争いをどのように止めたのでしょうか?

それは、天皇を交代ずつ行うというやり方でした。最初は、北朝の御亀山天皇が天皇となり次の天皇は南朝から出すというやり方でした。

この方法がうまくいき、南北朝の争いは収束していきました。

義満が行ったこととしてもう一つ大きなことが日明貿易でした。

当時日本には倭寇と呼ばれる日本人海賊が朝鮮や中国の沿岸部で略奪を行なっていました。これに対し明国は対策を講じるがうまく行かず。

そこで、明国は足利義満にこの倭寇を取り締まるように依頼した。ここで、義満の交渉のうまさが光ります。

倭寇を取り締まる代わりに、貿易をさせてくれないかどうかを交渉し、明国からの許可を得ます。その利益は、膨大であり倭寇をより厳しく取り締まるようになっていきました。

どんどん文化が開花していき、その象徴として建設されたのが金閣寺です。ここが北山文化の発信地となり、まさに公家と武家の融合文化であった。


<母の愛が国を乱す>

義満の南北朝統一、日明貿易による文化の開花によって安定すると思っていました。

ところが、8代将軍足利義政(あしかがよしまさ)と妻の日野富子(ひのとみこ)が再び混乱を起こします。

あの、銀じゃない銀閣寺を建てたことで有名な足利義政は、全く政治に無関心で自分の趣味である芸術ばかりに没頭していました。

国の決めごと、財政政策などは全て人任せ。「ああ、なんか俺趣味してるからさ、なんか上手い感じにやっといてよ!」的な感じですね。

そんな足利義政と妻の日野富子の間には、男の子が生まれなかった。

そのため、義政は次の将軍を弟の足利義視(あしかがよしみ)に譲ることを約束していた。

しかし、そんなある日。突然、日野富子が男の子を産みます。そこで状況が一気に変わります。

富子が「次の将軍は弟の義視は嫌だ!私はぜったい自分の息子に将軍をやらせたい。」という強い愛情が争いに発展してしまいます。

そして、妻の富子は幕府の実力者の山名家に接近。対する弟は細川家に接近して、後継者争いが起きます。

これが応仁の乱です。なんと応仁の乱とは、母の強すぎる愛から発展した争いだということみなさんご存知でしたか?

そんな中でも、ひたすら趣味に没頭している足利義政。いや、呑気か!とツッコミたくなりますね。笑

そして、この応仁の乱から日本はいよいよ戦国時代へと向かっていきます。

果たしてどのようになっていくのか。次回もお楽しみに!


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