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日本の年中行事

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【端午】「端午の節供」から「こどもの日」へ~立身出世の願いを込めて~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

【端午】「端午の節供」から「こどもの日」へ~立身出世の願いを込めて~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「端午の節供」とは旧暦5月5日のことで、江戸時代に「五節供」の1つとして幕府の式日に定められ、武家を中心に男児の立身出世を願う行事として定着する。

「五節供」は明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止されたものの、それぞれ旧暦の日付をそのまま新暦に引き継いで民間行事として残った。

現在5月5日は「こどもの日」とされ、子供の成長を祝う日として親しまれている。

「菖蒲の節供」とも呼ば

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【桜見】“世の中にたえて桜のなかりせば”【歴史にみる年中行事の過ごし方】

【桜見】“世の中にたえて桜のなかりせば”【歴史にみる年中行事の過ごし方】

もともと桜は梅とともに春を代表する自然美の風物で、ただただ純粋に賞美する対象だった。

やがて咲き散る花の姿に、自らを重ね合わせて一喜一憂するようになったものの、散りゆく桜に「潔さ」を見るようになったのは江戸時代中期以降のことで、それ以前はどちらかといえば「惜しむ」といった感情の方が強かった。

令和6年(2024)の桜が散る前に、桜と花見の歴史を振り返りたい。

目次

・『万葉集』の桜は「ヤマ

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【上巳】なぜ3月3日が雛祭り?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

【上巳】なぜ3月3日が雛祭り?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「上巳の節供」は江戸幕府が式日として定めた「五節供」の2番目にあたる。

「五節供」は明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止されたものの、それぞれ旧暦の日付をそのまま新暦に引き継いで民間行事として残った。

現在3月3日は「雛祭り」「桃の節供」とも呼ばれ、「雛人形」を飾り、桃の花や菱餅など供えて祝う日として親しまれているが、今のような形式になったのは江戸時代に入ってからだという。

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【節分】「魔滅」が「豆まき」の由来!?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

【節分】「魔滅」が「豆まき」の由来!?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「節分」は「節」(季節)を「分ける」という意味で、「二十四節気」のうち季節の始まりをあらわす「立春・立夏・立秋・立冬」の前日を指した。

つまり、本来「節分」は1年に4回あるわけだが、平安時代の貴族の日記などに秋の「節分」に関する記事もみられるものの、時代が下るにつれて「太陰太陽暦」、いわゆる「旧暦」の正月に近い「立春」の前日の「節分」が重視されるようになる。

2月3日の「節分」を前に、その歴史

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【梅見】春を告げる花~初春を彩る“梅”を巡るはなし~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

【梅見】春を告げる花~初春を彩る“梅”を巡るはなし~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

旧暦2月の異称は「如月」のほかにもあった。

「梅見月」もその1つ。

冬の終わりと春の始まりを告げる梅は“春告草”とも呼ばれ、その可憐な花と馥郁とした香りは、古くから庭木や盆栽、立花として親しまれてきた。

2月4日の「立春」を前に、梅の歴史を振り返りたい。

目次

・文学のなかの梅
・絵画に描かれた梅
・花の都・江戸
・大名屋敷跡が公園に

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【人日】1月7日に「七草粥」を食べるようになった由来とは?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

【人日】1月7日に「七草粥」を食べるようになった由来とは?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

旧暦1月1日は新暦の 1月下旬から2月中旬にあたり、冬の寒さも和らぎ、野山に若菜が芽吹き始める頃だった。

古代中国から伝来した1月7日に七種の若菜を食べる風習は、奈良時代から平安時代にかけて宮中行事となり、江戸時代に「五節供」の1つ「人日の節供」(七草の節供)として幕府の公式行事となった。

その後、「五節供」は明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止されたものの、それぞれ旧暦の日付

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【正月】「初日の出」「初詣」の由来は?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

【正月】「初日の出」「初詣」の由来は?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

正月元旦の「初日の出」を拝する風習は江戸時代中期頃に江戸庶民の物見遊山から始まったとされ、「初詣」の風習は明治時代以降に東京や京都、大阪など都市部から広まったとされる。

一見、歴史が浅いように見えるものの、それぞれ起源や由来とされる行事はあったようだ。「初日の出」と「初詣」の歴史を中心に“お正月の過ごし方”を振り返りたい。

目次

・旧暦の季節感
・「初日の出」と「四方拝」
・年神の変遷
・「

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【十三夜】2023年は10月27日~「中秋の名月」よりも「後の名月」~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

【十三夜】2023年は10月27日~「中秋の名月」よりも「後の名月」~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

旧暦9月13日の夜を「十三夜」という。

「中秋の名月」、いわゆる「十五夜」の月を愛でる風習は中国・唐より伝わったが、「十三夜」は日本独自のものだ。

昨今忘れられつつある年中行事の歴史を振り返りながら、今宵は夜空を眺めたい。

目次

・文化人たちに愛された「後の名月」
・「片見月」の起源は吉原か?
・江戸時代の娯楽「二十六夜待ち」

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【中秋の名月】2023年は9月29日~見えないなら見えないなりに遊興に耽る~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

【中秋の名月】2023年は9月29日~見えないなら見えないなりに遊興に耽る~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

旧暦8月15日の夜に見える月を「中秋の名月」という。

古代中国から伝わった月を愛でる風習が、どのようにして現在の形になったのか。

その歴史を振り返りたい。

目次

・恋路を照らす道しるべ
・文人たちの遊びが「中秋節」に発展
・杯や池の水面に映った月を楽しむ
・見えないなら見えないなりに

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【重陽】菊の花を楽しんだ9月9日の「重陽の節供」とは?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

【重陽】菊の花を楽しんだ9月9日の「重陽の節供」とは?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「重陽」とは旧暦9月9日のことで、陽数(奇数)の最大値「9」が月と日に重なることから「重九」ともいった。

この「重九」の音が「長久」に通じることから縁起が良い日として喜ばれ、江戸時代には「五節供」の1つとして幕府の式日にも定められる。

「五節供」は明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止されたものの、それぞれ旧暦の日付をそのまま新暦に引き継いで民間行事として残った。

「菊の節供」

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【伝統的七夕】2023年は8月22日【歴史にみる年中行事の過ごし方】

【伝統的七夕】2023年は8月22日【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「伝統的七夕」とは太陰太陽暦、いわゆる旧暦に基づく「七夕」のことで、平成13年(2001)から国立天文台が公表している。

月の朔望を基準としているため、日付は毎年変わるが、2023年は8月22日にあたり、この日は月が夜半前に沈むため「天の川」がよく見えるという。

中国からもたらされた「天の川」にまつわる伝説と行事がどのようにして現在の日本の「七夕」になったのか。その歴史を振り返りながら、夜空を

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【七夕】旧暦7月の異称「文月」は「七夕」に由来する?!【歴史にみる年中行事の過ごし方】

【七夕】旧暦7月の異称「文月」は「七夕」に由来する?!【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「七夕」とは旧暦7月7日の行事のことで、江戸時代には「五節供」の1つとして幕府の式日にも定められ、武家の間に広まるとともに民間の風習とも結びついて庶民の行事として普及した。

「五節供」は明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止されたものの、それぞれ旧暦の日付をそのまま新暦に引き継いで民間行事として残っている。

現在7月7日、あるいは東北地方などでは月遅れの8月7日に行なわれる「七夕

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