見出し画像

うつわの話

1.青山で見た「マテ壺」

7月18日の昼3時。私は、東京青山の表通りから少しだけ脇に入った道を歩いていた。「うつわ」を買いに来たのである。店の名前を「うつわ大福」と云う。まるで、これから「うつわ」を買う喜びや目出度さを表しているかのようだ。

ねらいはすでに汁椀に絞られている。国産の天然木を贅沢に使った「うつわ大福」の汁椀は、そんじょそこいらの商店やスーパーマーケットで見られる木肌の汁椀とは、重厚感も高級感も歴然と違うのである。価格も歴然と違う。4千円超の出費。裕福でもない私が、こんな真夏のうだるような日中に、熱々の味噌汁を注ぐ高価な「うつわ」を買いに行くなんて、冷静に考えれば正気の沙汰ではないと思う。

そう、「うつわ」は人を正気で居られなくさせる魔力を秘めている。すでに「桜」と「欅(けやき)」を入手していた私は、全部で3種類あるうちの最後になる「橅(ぶな)」を、とうとう買ってしまった。

左から桜、橅(ぶな)、欅(けやき)。

さて、満足と後悔が入り混じりながら、引きつづき青山を散策していると、強い「引力」を感じる看板が目に付いた。

≪フェデリコマテ マーケット&カフェ≫

なんだ、マテ茶か。最近はペットボトルでも見かけるほど一般に周知される存在になったから、マテ茶の喫茶店が出てきても不思議はあるまい。と、素通りしようとも思ったのだが、入り口の陳列棚に飾られていた愛くるしい「うつわ」を無視することは、さすがに出来なかった。

マテ壺。公式HPより拝借。

これを東京のど真ん中で見せられて、素通りしろと言うほうが無理な話だ。私は飲むことにした。店長は日本人だったが、髪型から服装に至るまで中南米に染まりきっており、「ああ、エスニックに傾倒する人に、いかにもありがちだな」と思いながら眺めていた。マテ壺で飲む「グリーンマテ茶」はすこぶる美味かった。ただ、その1杯目を一気にあおろうとした瞬間に、「1発、キメちゃってください!」と陽気な声で言われて、噴き出しそうになったのには困った。

帰り際、会計を済ませてから、改めて陳列棚を見ると、マテ壺に値札が付いている。4千円。あの「うつわ大福」の汁椀と同じ、4千円。私は買わなかった。なぜなのかと自問しながら。その時、私は「千利休」のことを考えていたのである。

2.千利休、価値の創造者

千利休(1522-1591)は、「茶道」とか「茶の湯」とか呼ばれる文化の創始者とみなされている。それで間違いとは言えないが、この理解は利休の本当の姿を取り逃がしている気がしてならない。利休は何を為した人か?彼の「茶の湯」とは何だったのか?茶道の現代の姿形からの類推を離れて、改めて問う必要を感じる。

利休の最期は、主君の豊臣秀吉によって切腹を命じられるという、たいへん劇的な幕切れであった。この事実ひとつを取っても、現代の茶道の形式を純粋に延長すれば、千利休の「茶の湯」にさかのぼれるかのごとき、安直な発想は慎むべきだと分かる。現代に行われる茶道に、命を落とすほどの反権力的な要素は、何処を探したって見当たらない。

古くから「なぜ千利休は殺されたのか」は、学者・好事家を問わず、万人が関心を寄せてきた謎だったが、たとえば映画監督・勅使河原宏が「利休」(1989年)で示した答えは、かなり説得力があった。

映画が伝えるのは、利休が美についての価値を創造できる唯一の人間となってゆく過程である。天下人・豊臣秀吉の眼は、利休による「美の独占」を許しがたいものと映じた。価値を創造できるものは、この天下人をおいてほかにないはずだと。しかし、秀吉は同時に、利休の美を最も崇敬し、戦慄する理解者でもあった。憧れと嫉妬が共に極限に達した時、秀吉は、利休の存在を消す以外に、美の魔力を遠ざける方法はない、という結論に達した。

なるほど、美とは恐ろしいものだ。古今東西を問わず、美を創造する人間は珍しくない。利休のように独占的に創造できてしまった場合が問題である。その場合、彼は神にも近い巨大な権力をふるうことになる。

ここで「うつわ」の話に戻りたいのだが、千利休の時代から、「一楽、ニ萩、三唐津」と言って、茶の湯むきの「うつわ」の順位を表してきた。この価値の序列自体が、千利休の発明である。そして、価値の筆頭に挙げられた「楽茶碗」に至っては、企画の立案、職人の選定、商品化まで携わった、彼のセルフ・プロデュース作品であり、プライベート・ブランドであった。

すでに流通した焼物の中から「萩焼が良い」とか、「唐津焼が良い」とか言うのは、単に美の鑑定である。楽茶碗という新しいブランドを創造して、それを価値の最上位に位置するものとして鑑定するとなると、これは鑑定の域を越えている。今ある安定した美の秩序を否定し、混乱させ、思うがままに再編することにひとしい。

美の創造者は経済の支配者でもある。千利休を美の最高の鑑定人と認めていた同時代人は必然的に、彼が最高の茶碗とした楽茶碗を最高の値段で買うことをも、認めなければならなかった。

これに類する別のエピソードもある。千利休は現在の大阪府堺市の生まれで、当時の堺は日本有数の貿易港であった。つまり、利休は外来の物に触れる機会に恵まれていた。彼は朝鮮からやって来た通称「井戸の茶碗」に目を付ける。きわめて茶の湯向きであると宣伝して高値を付けたが、彼の信奉者は無理をしてでもこれを求めた。しかし実際のところ、「井戸の茶碗」は朝鮮ではありふれた低級品の飯茶碗に過ぎなかったのである。

3.君子は器ならず

利休のことに紙数を費やしすぎたようだが、私は利休その人を語るというより、彼を起点にして「美の経済」について語っていたつもりだ。

価格(商品の価値)は、需要と供給の均衡点(求める者と差し出す者の妥協点)において定まると、経済学は主張している。この主張が真実ならば、物の値打ちは「万人による万人の交換」が無数に繰り返されてはじめて明らかにされる。物の値打ちとは、万人の趣味嗜好の平均を意味することになる。果たしてそうだろうか?

価値を創造する者がいて、それを承認する者がいれば、その空間における価格決定者は、価値の創造者である。需要と供給の均衡点ではない。事実、現代の商品の多くは、この「美の経済」によって価格を決定している。シャネルのバッグにせよ、アップルのiPhoneにせよ、そうである。私はそれで良いと思っている。

需要供給の均衡点で価格が定まるという考え方においては、個人が物を買う行為自体に、何の意味も見出だせない。万人の行為の集積が、商品の価値(価格)を決めてゆくとされているだけである。反対に、「美の経済」の考え方によれば、個人が物を買う行為自体に「価値」がある。手に取った「うつわ」に価値があるかどうかを決めることが、買うという行為だからだ。物を買う人は、物を創る人と共同で価値を創造している。

これだけ書くと、「美の経済」の考え方は個人の自由を朗らかに肯定しているような感じを受けるが、そんな単純な話でもない。この「うつわ」に価値を見出だしたのは私の自由な意志であったはずなのに、気が付けばその価値に取り憑かれて身動きが取れなくなっている。その卑近な例として、「うつわ大福」の汁椀の話を冒頭にしたのである。やはり、美とは恐ろしいものなのだ。

飯茶碗は砥部焼の分厚さに限る

中国の古典「論語」に、「君子は器ならず」とあるのは本当のことだろう。立派な人間は用途や容積が限定される「うつわ」のように己を限定することはないと、孔子は言ったのだが、「うつわ」の価値を美の尺度によって限定しているつもりが、実際にはその魔力によって行為を限定されてしまっている私は、なるほど、「君子」からほど遠いと言われても致し方あるまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?