【気まぐれエッセイ】「生涯 勉強」の本当の意味

「生涯、勉強」とよく言う。人は、いくつになっても学び続ける必要があるのだと。また、学ぶことができるのだと。

では学ぶって、どういうこと?とふと思った。
きっと、介護の仕事をしている母と、保育士の妹の話をよく聞いているからかも。

若いうちは、出来るようになることで学ぶことばかり。この場合の「若いうち」とは60代くらいまでを指すのだろうか(人によっては70代、80代までずっとそうかも。分野によっては30代くらいからすでに老いを感じることもあるだろう)。


いつからかきっと人は、出来なくなっていくことが増えていくでしょう?前の自分なら出来たことが出来なくなるってどんな感じなのか、考えると怖くなる。そして、出来なくなることから学ぶことが、増えていくのかなと……。


今の私にはまだ、想像することしかできないけれど。スポーツ選手や格闘家など、体を使うお仕事をされている方々はきっと、他の人より早くこういった想いを乗り越えられるのだろう。

出来るようになっていくことから学ぶこと以上に、出来なくなることで学ぶことのほうが、より深い学びなのではないか、と近頃思うのだ。でも、それを受け入れられる器なんて、今の私にはまだない。今はまだ、今日より明日、今年より来年のほうが、出来ることが増えている自分でありたいと思っていて……。きっと31歳の私にとっての学び、成長とはそういうこと、それでいいのだろう。

「生涯 勉強」という言葉の本当の意味は、物理的、物質的には向上し得なくなったときにはじめて理解できるものなのかも、なんて思う。願わくはそんな日を心穏やかに迎えられるよう、今はただ、目の前のことに心を尽くして、一生懸命生きていこう。


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