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自分なりに「人生の目的・幸せ」とは何か?の答えを出すことが重要だと思っています。

なので、「人生の目的・幸せ」とは何なのかよく考えて、答えを出しました。

人生の目的は、生きること自体です。すなわち、「生きること」とは人が活動することで、活動の中で何らかの感覚を得ていくことなので、この〈活動と感覚〉が人生の目的になるわけです。

例えば、年末に黒豆を作っているとき、その活動をしている中で

〈少し気分がいい〉〈お腹が減った〉〈作るのが楽しい〉〈食べるのが楽しみ〉〈黒豆もう少し柔らかく煮たほうがいいかな〉

などといった感覚を得ているとします。

この黒豆を作っている人の人生の目的は、このときこの瞬間、身体活動の全てとそれに伴って「私」に生じる感覚それ自体になるんです。

ここで、黒豆を作っている活動、そしてその感覚の中で、「幸せな感覚」を得ているとするならば、その人にとっての目的が満たされているということになります。

また、例えば、あるおばあちゃんが、亡き夫と昔旅行に行ったことを思い出して、(その思い出すという活動の中で)懐かしくて幸せな感覚になっているとしたら、その活動と感覚自体が生きている目的、幸せです。

あるアスリートが、試合の中でいわゆる「ゾーン=フロー状態」に入り、何も考えずにプレーをしている活動の中で、本人はそれについて意識していなかったとしても「充実した感覚」を得ているとします。そうすると、その〈活動と感覚〉の時間がその人にとっての幸せですし、生きている目的ということになります。

つまり、あらゆる活動の中で、その活動に伴って感じている感覚がその人にとっての幸せになり得るし、生きている目的にもなりうるということです。


では、例えば「クラスのみんなの前で作文を発表しなければいけなくて、とても緊張している」という気持ちのときの〈活動と感覚〉はどうでしょうか?

自分の席で座って前を見ているという「行動
緊張しているという「感情
うまくいかなかったらどうしようという「思考
今、前で発表している人が堂々と発表していて余計に緊張してきたという「外部環境への知覚
過去に失敗した経験の「記憶

というような様々な〈活動〉を通して、複雑な様相を持つ〈感覚〉を持っていることでしょう。

おそらくこの人は、かなりネガティブな感覚を得ていると思います。

対して、客観的な現在の状況はそのまま固定して、その人自身の経験やマインドセットを異なるものに変えたら〈活動と感覚〉はどうなるでしょうか?

自分の席で座って呼吸を整え、前を見ているという「行動
緊張しているという「感情
なるようになるだろうという「思考
今、前で発表している人が堂々と発表しているが、自分のできるベストを尽くせばうまくいくという「外部環境への知覚
過去に失敗した経験の「記憶」と前にその反省点を振り返ってイメージトレーニングをした「記憶

という人がいたとしたら、幾分か充実した〈活動と感覚〉を得ることができるはずです。

何が言いたいのかというと、第一に、幸せや人生の目的などといったものはどこまでいっても〈主観的〉な概念であり、その人目線の活動と感覚によって規定されるものだということ。

第二に、感覚が生じるプロセスとしては、身体活動にまつわるたくさんの変数〈記憶・行動・思考・感情・外部環境への知覚など〉が複合的に解釈された結果がその時点での感覚であるということ。さらにその感覚が記憶として学習され、その後の〈活動と感覚〉に影響を及ぼすということ。

なので、緊張に押しつぶされそうな人が幸せか不幸かと言ったら、その捉え方や周りの状況、本人の身体活動の有り様によって変わってきます。

このような状況下で私たちにできることと言えば、できるだけ入力される変数が自分の〈活動と感覚〉に好影響なものであるように努力することくらい。

つまり、自分の失敗した経験をその後に練習した時間でポジティブに塗り替えたり、緊張感はパフォーマンスを上げてくれると考えたり、呼吸に集中して緊張をできるだけ和らげたりすることで、その時点での〈活動と感覚〉を好条件に変えていくことが私たちの努力課題だということです。


例えば、おばあちゃんが亡くなってしまって悲しいときはどうでしょうか?

ポジティブに考えるといっても無理があるので、無理に頑張って気持ちを明るくする必要はないと思います。人生は幸せな時間ばかりではないですから。精神的につらい〈活動と感覚〉も、幸せな〈活動と感覚〉も、両方受け入れていく必要があります。


ここまで様々なケーススタディを見てきましたが、このようにして人生の中で無数の〈活動と感覚〉を人は得ていき、その人の人生はその無数の〈活動と感覚〉で全て構成されているということが分かっていただけましたでしょうか。

最後に、100人いたら100人が違う〈幸せな生き方〉を持っているということを感じられる話をひとつ。

ある画家がいました。彼は、絵が売れず、なんとか食べるものを得られるだけの銭はありましたが、なんともひもじい生活を送っていました。

しかし、彼にとっての喜びは、「絵を描くこと」それだけで十分だったのです。

彼は絵を描くとき、日常の中でふと何か気づきを得ては、その抽象的な概念・あるいはささいな街角の風景を、彼なりの表現の仕方で色に乗せていきます。

その際、彼が見るのはキャンバスと被写体・あるいは頭の中のイメージ。

絵筆を取って乾いた絵の具に水を指すとき、彼の目には一筋の光が。彼の心は絵を描くという〈活動と感覚〉で毎日キラキラと輝いていて、お金は足りないけど、充実感と幸せに包まれて生きることができているみたいです。

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