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市役所福祉課と医療機関を利用する際、利用者が用意しておくべきアレコレ➀
まえがき
前回の記事である「地方自治体の福祉制度事情➀」では、私と知人の手によって私立病院から大学病院へと転院するにあたり、市役所・私立病院・大学病院のあいだで法的な取引・交渉らしき行動を取った時の体験談について、大雑把に書いた。
今回の記事では前回のケースを例として、あらかじめ利用者の側が用意しておく必要のある法制度にかんする情報、それに交渉にあたって必要な方法について書いていきたい。
心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』 番外編を含む注釈一覧
(※1)小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年 p147~p162
(※2)小中千昭『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』、岩波アクティブ新書 2003年 p139
(※3)小池壮彦『心霊ドキュメンタリー読本』、洋泉社 2016年 p177。
ただしオウム事件の余波は、なぜか児童向けの映像分野には及んでいない。同年7月8日
心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』番外編 『ほんとにあった!呪いのビデオ』と心霊番組~個人的な印象論を交えつつ
『ほんとにあった!呪いのビデオ』の成立と心霊番組
あからさまに『リング』のヒットにあやかったタイトルの『ほんとにあった!呪いのビデオ』(演出:構成 中村義洋)第一作だが、本作の演出スタイルはまた、テレビの心霊番組の構成を引き継いだものであった。
遡ること1991年3月28日、日本テレビは夜7時から8時54分の「木曜スペシャル」枠にて、単発バラエティ番組『緊急リポート!!これが世界の怪奇
『霊のうごめく家』その後の展開
『霊のうごめく家』とその後のJホラー
オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』以降のJホラーの動きを、筆者個人の視点から大まかに振り返っていきたい。
オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』がレンタルビデオ店に並び、黒沢清は『地獄の警備員』を公開した1992年。それに『地獄の警備員』にスタッフとして参加した篠崎誠や青山真治たち『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』の人脈は、ホラー映画
心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』11
オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話 第二夜』の他のエピソードと『霊のうごめく家』
後半になるにつれ、本稿は思考が混乱しだす。忌憚のない批判を期待したい。
オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話 第二夜』のなかにあって、『霊のうごめく家』は「実話性」「実話怪談」といった言葉に象徴される、ある種のリアリズムから逸脱する演出が顔を出す。
小津安二郎を参照した日本家屋の間取りを活
心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』9
除霊
ショット61
約14秒のショット。オレンジ色のフィルターが掛けられた望遠レンズとその圧縮効果によって、住宅地を並んで歩く父親と霊能者の女性を撮影したショットである。
ショット62
約6秒のショット。黒バックに字幕が表示される。
「父は親戚の紹介で、萩市に
居る霊能者を家に連れてきた」
ショット63
約33秒のショット。玄関に並んで立つ父親と霊能者の女性を捉えたカ
心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』8
居住と心霊現象
ショット17
約20秒のショット。はじめに児童向けの書籍が並んだ本棚と、その上にぬいぐるみが置かれているショットだけで、陽子の部屋であると理解できる。
やがてカメラは左にパン、机にむかって何かを書いている陽子の後ろ姿へ。サウンドトラックはペンを動かす効果音を微妙に強調しているが、小中千昭と鶴田法男がともに意識したジャック・クレイトンの『回転』(1960)のシーンを、巧み
心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』7
『霊のうごめく家』の演出
プロローグ・入居
『霊のうごめく家』はビデオで撮影された約17分の短編である。鶴田法男によって書かれた初稿では8人であった登場人物は、幽霊を除けば親子3人と霊能者の4人にまで削られた。舞台はほぼ平屋建ての日本家屋のロケ撮影に限定されている。
反面、演出面ではハリウッド大作のアクションシーンのような、数秒ほどのショットと編集など精密な作業が、重要な効果を上
心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』6
『霊のうごめく家』と小津安二郎
「小津安二郎がホラー映画を撮るならば、どんな作品となるか」。これが鶴田法男にとって『霊のうごめく家』の演出方針であった(※37)。
小津安二郎はホラーを撮っていないが、視聴していると恐怖を感じるという証言は少なくない。なにかとホラー映画の要素を見いだしてしまう黒沢清だけではない(※38)。中村秀之の論考『「紀子」の首—『晩春』の無気味さについて』では、
心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』5
「小中理論」の共作者・鶴田法男
オリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』シリーズの製作と販売元であるジャパンホームビデオは、日活撮影所のスタッフであった升水惟雄が1984年に設立(※32)、黒沢清が所属していたディレクターズ・カンパニーとの縁もあった(※33)。GAGAの社員としてビデオセールスを担当していた鶴田法男が、取引先であったジャパンホームビデオに映像化の企画書を売り込んだのが、
心霊現象再現ドラマ・『霊のうごめく家』4
『霊のうごめく家』の作劇と演出~「小中理論」の生成とビデオ撮影
『ホラー映画の魅力』や複数のインタビュー(※21)を読むと、『邪願霊』から始まる「小中理論」の成立が、あまり小中自身の意にそぐわない苦肉の策の結果であったことが伺える。
バンドマンでありつつ特殊メイクの実作を試行錯誤していた小中千昭(※22)が大学卒業後に仕事としたのは、映画業界ではなくテレビ業界であった。1986年にテレ