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素直

うれしいときはうれしいと、悲しいときは悲しいと、
声にだして言えたのならいいのですが、
小さい頃は周りの目を気にして言えないときがありました。
誰かを傷つけないのなら、誰かに迷惑をかけないのなら、
うれしいときはうれしいと、悲しいときは悲しいと、
言うことができたらいいと思い、言うようにしています。
誰かを認めない気持ちから、
素直に、はい、とか、そうだね、とか、
言えないものなのかもしれませんが、
僕の場合は、相手のお話を聞いて、
よほどのことがない限り相手のお話を聞くことが好きなので、
仲良くなりたいと思っているから、
相手を肯定して、はい、とか、そうだねとか、目の前の人へ伝えます。
ときどき、本人は相手を傷つけているつもりはないのに、
相手へ傷つけてくる人がいるので、
そのような人からは、
その人がもっと勉強してからまた会いたいので、
いったんその人から離れるようにしています。
そのような人は噂話や愚痴を聞いてくれる人が目の前にいるから、
ずっと相手が傷つくようなことをしゃべっているので、
離れます。
この人は大切にしたいという人や、
尊敬する人、友だちになりたい人とは、
お話を聞いて、うなずいて、共感したい。
この、仲良くなりたいという気持ちから、
たぶん、素直だねと言われるのだと思います。
社会のルールを守っているのなら、
誰かを傷つけているのではないのなら、
やりたいことをやったほうがいいし、
やりたいことをやったほうが楽しい。
小さい頃は、お盆やお彼岸のとき、
親戚のおじいちゃんおばあちゃんの家へ行くと、
お菓子を食べなさいとよく声をかけてくれて、
その頃から、何かしてもらったら、
ありがとうと言う習慣が付いたのだと思います。
おじいちゃんとおばあちゃんが生きていた頃は、
本当にかわいがってもらい、うれしかった。
名前を呼んでくれることがこんなにもうれしいなんて、
あの頃は知りませんでした。
名前を呼んでくれるのは、その人に好意を持っているからなのだと、
だいぶ経ち、知ることになりました。
ありがとうを言う習慣が付いたことは、
自分のなかで大きいものになりました。
そして、ごめんなさいも言えるようになりました。
あたりまえなことのように聞こえるかもしれませんが、
ありがとうと、ごめんなさいを言うことができる人は、
いったいどのくらいの人がいるのだろうと思いました。
小さい頃はあいさつ運動という習慣がありまして、
あさ小学校へ登校したらおはようと言うものでした。
大人になってからも、挨拶ができる人はどのくらいいるのだろう、
何かをしてもらわなくても、ありがとうと言うことができる人は、
どのくらいいるのだろう。
間違ったり失敗したら、ごめんなさいと言うことができる大人は、
どのくらいいるのだろうと思いました。
ありがとうと、ごめんねは、大切だと思いました。

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