D2Cで語れる自治体や国の世界観

<D2Cで語れる自治体や国の世界観>

D2C:世界観とテクノロジーで勝つブランド戦略、という本を読んだ。D2CとはDirect to Consumerのことである。直訳すれば消費者に直接という意味であろうか。これだけでは意味が通じない。詰まるところこの本でのD2Cの定義は次のようなものである。

新しい消費の価値観を持つミレニアル世代以下のターゲットに対し、ユニークな世界観を下敷きにしたプロダクトとカスタマエクスペリエンス、SNSや店舗を通じた顧客とのダイレクトな対話、垂直統合したサプライチェーンを武器に、VCから資金調達を行い、短期間に急成長を目指すデジタル&データドリブンなライフスタイルブランドのこと。

砕いて言おうか。いわゆるミレニアル世代の若者がいる。そのミレニアル世代の若者をターゲットにした商売を考えていくことにしよう。彼等は単なる物売り・単なるサービス提供ではもはや触手に手を染めてくれない。単なる物売り・単なるサービス提供では売れなくなっているのだ。

彼等ミレニアル世代はまずその企業なりが提供してくれる世界観を大切にするらしいのだ。その企業の提供する世界観を下敷きにして企業の提供するプロダクトである製品を手にするようになる。それから彼等はその製品を手にすることによってとても気持ちの良い経験を得たり、とても気持ちの良いイメージを取得したりするようになるのだ。企業の提供する世界観がミレニアル世代のその人にフィットした時に初めて彼等は製品に手を出すという事をする。

企業が提供する世界観はどう形づくられるのか。デジタルなテクノロジーを駆使したSNSやHPである。それらSNSやHPは企業とミレニアル世代との間をダイレクトに結びつける。結びつけた上で彼等は対話するようになるのだ。対話とはいっても、裏ではデータが自然と企業の側に取得されていて、それがまたSNSやHPにフィードバックされて、重厚にミレニアル世代の若者達に降り注ぐようになっている。

ミレニアル世代は企業の提供する世界観に浸っていく。その中に十二分に浸ってから実際にお金を払うという決済行為に至るのだ。何もプロダクトだけに支払いが生じるわけではない。彼等の経験するエクスペリエンスに対しても支払いが生じるようになる。一回きりでもない。生涯に渡ってその世界観に対して共感を持って支払いが生じるようになるのだ。

伝統的なメディア企業や高級ブランドには、上記に掲げた世界観を構築できるだけのブランディング力やカルチャー創出力が備わっていると言われる。また一方、ICT関連のテクノロジー企業には、そういった世界観を構築する部材としての成熟した技術が備わりつつあると言われている。これら2つの系統が混ざり合って生まれる新しい業態のことをD2Cというのだそうだ。それに付随してベンチャー投資という巨額のお金を持ったファンド等が纏わり付くようになっていく。

このD2Cが、特に小売という大規模市場のディスラプトを牽引しているのだそうだ。テクノロジーと程遠い場所にあった商材を扱う新興企業が、AIやデータ分析などの高い技術力を武器にSNSを使ったマーケティングを行い、世界観の作り込みと巧みなストーリーテリングによって、シェアを伸ばしているのだそうだ。

このD2C。新手のベンチャーという見方もできよう。ベンチャー企業が大規模市場を席巻して既存企業を淘汰していく。この手の企業の話は、そんな流行の話にも昇華できよう。しかし、この手の話はもっと規模の大きな話に持っていきたい。ベンチャービジネスの発展といったストーリに収めておくにはもったいない。例えば自治体とか国とかのレベルの話に持っていきたい。こう思うのは筆者だけであろうか。

例えばこうである。D2Cの話における企業を自治体や国に置き換える。ミレニアル世代の若者は自治体に属する市民、あるいは国に属する国民に置き換える。一体何が出てくるのだろうか。

こんな風な話が出てこよう。自治体や国が提供するサービスや施策はもはやサービス単体・施策単体としては市民や国民が手を出すには古めかしすぎる。市民や国民は自治体や国が提供するサービス単体・施策単体にはどこか手を出しにくい状況にあるのは言うに容易い。そんな話が出てくるような気がする。

そして、自治体や国が提供するサービスや施策に市民や国民が寄り添っていくためには、上記に示したような、いわゆる世界観と言うものが必要になってくるのではないか、そんな話が出てくると思うのである。

自治体や国の新しい世界観。今までもよく見かけてきたようなキャッチフレーズで片付けられるような単純な世界観ではない。根源的に作り直された深い世界観である。洗練されたストーリーテリングで語り続けられるキャッチーな世界観である。

その世界観はテクノロジーやデータにも裏打ちされている。SNSやHPといったメディアが駆使された世界観では、国や自治体が裏で巧みにデータを取得している。データを取得しつつ、そのデータを再びSNSやHPが駆使された世界観にフィードバックしている。そんな風なテクノロジーやデータが駆使された重厚な世界観である。

自治体同士は連携し、また国とも連携していくようになる。観光産業で言うところのDMO(明確なコンセプトに基づいた観光地域づくりを実現するための戦略を策定するための法人)のようなものが跋扈しつつ、自治体や国の新たな世界観がテクノロジーやデータを混じえて創出されるのである。

その重厚な世界観に市民や国民は深く魅了されるようになる。自治体や国の敷くサービスや施策は重厚な世界観に包まれている。市民や国民はその世界観の中で気持ちの良いエクスペリエンスに浸る事が出来るようになる。自身がそのサービスや施策を享受した時に得られる充実感を体感できるようになるのだ。最初は幻影かもしれない。でもその体感した幻影を誠の現実として引き寄せるようになっていくのだ。

そう、自治体や国が敷いてくるサービスや施策に対して自然と協力するようになるのだ。誇りを持って協力するようになるのだ。シビックプライド、すなわち市民や国民の矜恃とでも言うだろうか。そのシビックプライドを携行して自治体や国のサービスや施策に寄り添うようになるのだ。

しかも気まぐれに単発的に寄り添うのではない。継続的に寄り添うようになるのだ。自身が所属する自治体や国の仕掛ける重厚な世界観に浸り続けて、継続的にシビックプライドの念をもって、自治体や国との協力関係を築き続けるようになるのだ。

D2Cでの便益を、小さなベンチャー企業の出世物語に収めるには勿体ない。自治体や国の再出発のようなもっと大きなスケールの話に置き換えていく。そんな風にこのD2Cの話を変革していったら、きっと大きなムーブメントが起こせるのではないか。そう思った次第である。

以上。


おちゃ11