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創作大賞2023応募作品

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工業哀歌 ギザギザハートの陸上部 [全8話 7400文字]

工業哀歌 ギザギザハートの陸上部 [全8話 7400文字]



高校時代の話を書きたい。かつて田舎の工業高校の卒業生は「金の卵」と言われていた。

しかし、僕らはバブル崩壊後の入学で、就職氷河期が始まろうとしていた。進学する生徒が就職する者を上回ったのも自分達の代からである。

もちろん自分は就職組に入っていた。高校2年にもなると、大体めぼしい会社が決まっており、授業はろくに受けなくてよかった。

ただ部活だけは真剣に取り組んだ。陸上の名門校で全員が長距

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[長編] 祖谷の山師 (全8話 7700文字)

[長編] 祖谷の山師 (全8話 7700文字)

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徳島の山奥。大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)という駅があり、そこから山を越えた祖谷(いや)の村に住んでいた頃の話を書こうと思う。

ラフティングの仕事で山奥に住み始めたのだが、週末の2日間しか、お客さんが来ない日々が続いていた。

最初の頃は、仲間とゴムボートで川を下ったり、1人でカヤックの練習をしてスキルアップに努めていた。しかし、客を乗せないとお金にならないので、山菜を採ったり、畑で

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マッカーサーとシベリア[全2900文字]

マッカーサーとシベリア[全2900文字]

自分のルーツとされる父方の祖父と母方の祖父との思い出を、脳を振り絞って書くことにしよう。

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まずは母方のお爺さんの話を書きたい。

「わしはマッカーサーに警察官を辞めさせられたんやー」

というのが母の父親、通称"高川原のお爺さん"である。私が子供の頃、近くの警察署へ祖父に連れられ行った思い出がある。

署長室まで通され、かなりのおもてなしを受けたように感じた。

「ご無沙汰です。お元気でし

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スナフキンのサンダルを捧げる[全16話 8200文字]

スナフキンのサンダルを捧げる[全16話 8200文字]

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川崎市で働いていた会社の陸上部が

「明日から廃部になります」

と突然、上司に告げられた。

そして会社は、早期退職制度なるものを用意して、まだ3年目の僕に200万円の退職金を提示してきた。さらに辞めても1年間は、会社の寮に残っていいという。

まだ20歳だった僕は迷わずその条件に飛びついた。当時は、お金をあまり使うことがなく、世間知らずで、200万円もあれば、一生暮らせるのではと、勘違い

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パンチの不祥事[中学時代 2000文字]

パンチの不祥事[中学時代 2000文字]

人生の大きな転機となった、中学校の部活について書こうと思う。

中学に入り僕はサッカー部にするか、はたまた陸上部に入るかで悩んでいた。
少年サッカーの友達は、ほぼ全員がサッカー部へ入部した。

1992年。Jリーグ元年のこの春は、サッカー経験のない子や、ボールを触ったことがない者までが、サッカー部へ入るという人気ぶりであった。

さらにサッカー部には、仲のいい先輩がたくさんいた。それに比べて、陸上

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ユニオンジャックの窓[全11話 6300文字]

ユニオンジャックの窓[全11話 6300文字]

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夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、親父が癇癪をおこして一方的にオカンへ怒りつけ、それをオカンは

「ハイ、ハイ」

と聞き流す。そんな感じの喧嘩というか、かなり激しめの癇癪は、日課のように起こっていた。

瞬間湯沸かし器のごとく、癇癪を繰り返す親父はご近所の名物でもあった。

子供の教育はビンタが基本。悪い事をしたら怒るよりも平手が顔や頭に飛んできた。

小学生の頃はそれが当たり前だと思ってい

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東吉野村移住滞在記[全8400文字]

東吉野村移住滞在記[全8400文字]

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奈良県東吉野村に移住して早5ヶ月。

当初の目的であったサウナ小屋作りをようやくスタート出来た。ここに至るまでかなりの日時を費やした。それを言い訳がましく綴りたいと思う。

そもそも見ず知らずの土地にやって来た人間に

「どうぞ空いてる所に小屋を作ってください」

なんて言う変わり者は何処にもいない。

まず遠回りを覚悟して、道を作ることから始めた。小川という地区にはいくつかの集落があり上出

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華麗なるキャリアウーマン達

華麗なるキャリアウーマン達

今回はオカンの姉である伯母についてまずは書きたい。神奈川県相模原市に伯母は住んでいる。

僕が高校を卒業して川崎市にいた頃に何度も泊まらせてもらい大変お世話になった。

オカンが緊急入院した時、僕が真っ先に連絡した伯母さんである。

僕が小学6年の頃、姉貴と夜行バスに乗り徳島から東京へ旅行をしたことがある。

朝、品川駅に着いた僕らを迎えに来てくれたのが伯母さんであったと薄覚えながら書いている。

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日和佐の町長

日和佐の町長

今から30年も前の話である。平成の天皇陛下が徳島県の南に位置する日和佐町へ行幸に来られた。

当時の日和佐町では町をあげてお祭り騒ぎであった。(日和佐町は現在、由岐町と合併して美浜町)

「こんな片田舎の漁師町に天皇陛下が来てくださる」

と誰もが胸を躍らせ、一生の思い出にひと目会いたいと大浜海岸へ集まった。

この海岸にはウミガメが産卵にやって来ることが有名で「ウミガメの町」をアピールしている。

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