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「TEXHNOLYZE 」アニメファンにとっての試金石というべき問題作

今回はカルトアニメの最高峰のひとつとされる、「TEXHNOLYZE 」について書いてみたい。
よく、この作品は「見る人を選ぶ」と評される。
確かに、それには同意。
最初の1~2話を見て、「あ、これダメだわ」と挫折する人はきっと多いだろう。
それはそれで構わない。
ただ、自分の嗜好に合わなかったからといって、それを駄作と決めつけるのはよくないと思う。
こういう言い方はあれだが、漫画しか読めない人に純文学の小説を渡せば、その人は最初の1頁だけ読んで、すぐに「これ、つまんねーじゃん」と放るだろう。
ちなみに「TEXHNOLYZE 」は、かなり純文学に近いアニメだ。
世界観的には、中上健次や村上龍の初期の作風に近いんじゃないか?
映画でいえば、青山真治とか。
そういうところを通ってきた人ほど、この作品は刺さると思う。

ただ、この作品の序盤で脱落しちゃう人の気持ちは十分に分かるのよ。
なぜって、全くツカミがないから。
普通、アニメというのは初回放送で視聴者のハートを掴み、「よし、来週も見よう」と思わせるもんでしょ?
ところがこの作品、そういう視聴者への媚びが全くない。
それどころか、初回は主人公のセリフがひとつもなかったからね(笑)。
敢えていいところで終わらせて、視聴継続意欲を煽る「引き」もない。
こいつら、数字をとる気がないのか?
ちなみに、これは2003年の作品で、放送したのはフジテレビだ。
じゃ、「ノイタミナ」枠?
いや、違う。
この当時はまだ、ノイタミナはなかったんだよ。
深夜アニメ黎明期だからね。
特にアニメ枠の名称もなく、ただテレビ東京が「エヴァ」で大成功したことを見て、フジテレビとしても深夜アニメをやらざるを得なかったんじゃないかな。
だから枠そのものにコンセプトなどなく、ほとんど制作会社に丸投げだったのかもしれない。
逆にいえば、制作会社にとっては一番おいしいパターンだ。
変に商業的に媚びず、作家のやりたいようにやらせてもらえるんだから。
だから、ノイタミナ立ち上げ前のフジの深夜アニメって、妙に作家性の強い作品が多いのよ。
・ラーゼフォン(2002年)
・キディグレイド(2002年)
・灰羽連盟(2002年)
・TEXHNOLYZE(2003年)
・GUNSLINGER GIRL(2003年)
・サムライチャンプルー(2004年)

おぉ、秀作揃いじゃないか。
2005年からはノイタミナができて女性層狙いのマーケティングへと移行したんだが、それまではどっちかというと男性狙いの硬派路線だったんだよね。
その中でも、ひと際異彩を放ってたのが「TEXHNOLYZE」だったと思う。

こういう画、絶対女性はヒクわ・・

よく「TEXHNOLYZE」はグロアニメにカテゴライズされるけど、これは私の持論として、アニメには「良いグロ」と「悪いグロ」があるのよ。
「悪いグロ」の一例を挙げれば、たとえば「アカメが斬る」とか。
あれはヒロインのひとりが斬首され、さらし首になったシーンが有名だが、ああいうのは「デビルマン」の模倣でしょ?
私はこういうの、ただインパクト狙いだけのあざとさみたいなものを感じるんだわ。
一方、「TEXHNOLYZE」のグロは許せるのよ。
なぜって、それが作品のテーマそのものに直結してるんだから、むしろグロを描かないとテーマの訴求が弱くなってしまう。
この作品は一応サイバーパンクの亜種とされており、ある意味「攻殻機動隊」に通じるものもある。
全身義体とかね。
でも「攻殻」の全身義体は草薙素子が美人ゆえスタイリッシュにさえ感じてしまうのに、「TEXHNOLYZE」は敢えてそこの残酷さを強調している。

全身義体の施術をすると、肉体はイモ虫のようなものになる
最後にはヒロインまで施術をされてしまった・・

この作品の監督は「STEINS;GATE」の浜崎博嗣。
脚本は「serial experiments lain」の小中千昭。
キャラクター原案は「灰羽連盟」の安倍吉俊。
プロデューサーは「serial experiments lain」の上田耕行。
エグゼクティブプロデューサーは「パプリカ」の丸山正雄。
ぶっちゃけ、凄いメンツが揃ってるのよ。
OP曲はバンド名はよく知らんけど英国のテクノバンド起用してるし、ED曲はGacktだし。
これがどれだけ力が入った作品かは、映像を見ればすぐに理解できると思う。
その妙にザラザラして濁った画の質感は、たとえいまどきのアニメ技術をもってしても簡単に出せるものではない気がする。

物語の舞台は「流9洲」という地下都市で、時代設定は言及されてないけど遠い遠い未来だと思う。
人類が種として限界にきており、作中に子供があまり出てこない。
まぁ実際に人類のY染色体は限界があるらしいし、遠い将来にせよ、我々は必ずや「TEXHNOLYZE」みたいな状況に直面するんだろうね。
で、未来とはいえ街の雰囲気は1950年代の日本っぽい感じで、そこには行政も法律もなく、暴力団、宗教団体、暴走族の3勢力がギリギリの均衡を保ち、各々に暴力で街を仕切ってるイメージ。
いわゆる無政府状態?
興味深いのは、それらの勢力と別に「未来視できる少女」がいて、その子の神託にすがる勢力もあること。
それって、完全に卑弥呼の時代の邪馬台国じゃん?
そう、行政も法律もなくなってしまえば、社会は邪馬台国的なところにまで戻ってしまうんだよ。
こういう細やかなディストピアの設定が、実に見事である。
そして、この地下都市・流9洲とは遠く離れたところに地上都市があって、まぁ雲の上の天上界みたいなもんさ。
誰も行ったことないから詳細は分からなかったんだが、実際行ってみると、こんな感じだった↓↓

そう、綺麗で平和で静かなんだけど、ほとんど生きてる人間がいない。
まさに天国のイメージ。
そこにいる人たちは、ただ人類の絶滅を受け入れ、穏やかに死を待っているだけである。
皆が生きた屍、生気のない亡霊の世界といっていい。
ここに比べたら流9洲はまさに地獄だが、でもちゃんと生きようとする人間がいるのはその地獄の方だった、という痛烈なアイロニー。
実は、地上から流9洲に降りてきた人たちがいて、彼らは彼らで各々に絶滅に抗うアプローチをしてたわけよ。
ある者は全身義体施術による人間の進化を期待し、またある者は弱肉強食の淘汰による新たな生態系の構築に期待をしていた。
そう、「結局この人は何がしたいんだ?」と思われてた人たちも、その行動にはみんな意味があった、ということが終盤にはだんだん見えてくるわけよ。
単純にイカれて狂気に走ったわけじゃなかったんだね。
このへんのプロットの立て方、実に秀逸である。

ヒロインの蘭

ヒロインの蘭は、最初から最後まで謎めいた存在だった。
彼女は血統的なシャーマンだと思うんだが、未来が見えてるクセに悲劇的な自分の末路(頭部以外はイモ虫みたいな肉体に・・)に抗わなかったのは謎である。
これも運命だと、絶望してたんだろうか。
まぁ、終盤にいけばいくほど絶望しかなかったよな。
準ヒロインの秘書のお姉さんも、最後の方はモブどもに輪姦されてたっぽい描写だった・・。
酷い。
ところで最終回のオチ、あの流9洲で生き残れた者はいたんだろうか?
そこははっきり描かれなかったが、もし生き残ったとすれば、多分こいつらしかいないでしょでしょ↓↓

一応、彼らは半永久的に生きられるっぽいし、身動きできないのは少しあれだが、それこそ樹木のように生きていくんだろう。
これは人類の進化じゃなく、退化に思えるけど?
でも、これでようやく流9洲から暴力が払拭され(生きてる奴は皆動けないし)、平穏なユートピアが実現したといえよう。
という痛烈なアイロニー(笑)。

いやいや、マジで凄いアニメだった。
多分、令和では倫理コードとかあるし、このレベルの作品はもう作れないだろうね。
深夜アニメ黎明期だからこそ許された、奇跡の逸品。
個人的には超お薦めなんだが、これってハマる人はハマるけど、ハマらない人はとことんハマらないことだけは確かである。


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