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「宇宙戦艦ヤマト」の原作者は誰なのか?

今回は、「宇宙戦艦ヤマト」の話をしたい。
聞けば、今年は「ヤマト」TV放送50周年というメモリアルイヤーらしく、夏には劇場版新作も予定されてるとやら。
もう、お腹いっぱいだけどなぁ・・。
実をいうと、この「ヤマト」というのは成立が少しややこしいんだわ。
このシリーズ、無印というべき初期TVアニメの監督には、松本零士氏の名がクレジットされている。
私としても「宇宙戦艦ヤマトといえば松本零士」というイメージが子供の頃からあるんだが、じゃ原作者=松本零士かといえば、どうやらそれほど単純な話でもないらしい。
結局のところ、「宇宙戦艦ヤマトの原作者は誰か?」という問題については後になって裁判にまで発展している。
その話に入るより前に、まずはこのアニメの制作陣の顔ぶれをご覧頂こう。

<宇宙戦艦ヤマト初期シリーズ制作スタッフ>

【企画・原案・プロデューサー 】
西崎義展
【監督・設定デザイン 】
松本零士
【脚本】
舛田利雄、西崎義展、山本暎一
【SF設定】
豊田有恒
【メカニックデザイン】
松本零士、スタジオぬえ
【監修】
山本暎一、舛田利雄、豊田有恒
【アニメーションディレクター】
石黒昇
【音楽】
宮川泰

凄いメンツである。
付け加えると絵コンテに富野由悠季や安彦良和の名があるし、作画には天才アニメーター・金田伊功の名もある。
まさに、日本アニメ界の才を結集したという感じ。
あ、ちなみに富野さんは「船が空飛ぶわけねーだろ!」と最初から乗り気じゃなかったらしく、最後は喧嘩してスタッフを降りたらしい(笑)。
彼はかなり「ヤマト」が気に入らなかったようで、「ヤマト」潰しを目的として「ガンダム」の企画を作ったというんだから、ある意味「ガンダム」の生みの親は「ヤマト」ということになるのかもしれないね。
そして石黒昇、スタジオぬえ、後に「マクロス」制作の中核となるメンバーもまたここに名を連ねており、「マクロス」もまた生みの親は「ヤマト」ということになるのかも。
あと、舛田利雄さんの名前もある。
この人は、実写映画の監督としてかなり有名な人だぞ?

舛田利雄監督作品「トラトラトラ」
舛田利雄監督作品「二百三高地」
舛田利雄監督作品「日本海大海戦 海ゆかば」

というか、戦争映画ばっかりじゃん(笑)。
そして虫プロ創設メンバー・山本暎一さんという大御所の名もあり、この人は「ジャングル大帝」の監督とかやってた人だぞ?
あと豊田有恒さん、この人は日本SF作家協会5代目会長になった人。
とにかく、「ヤマト」に凄い才能が集結していたことは間違いない。
・・という書き方をすると、この作品がとても期待された大型企画だったと思われるだろう。
いや、違うんだ。
業界では、当初さほど期待してなかったっぽい。
戦艦大和が浮くわけねーじゃん、と馬鹿にしていた人も多かったみたい。

この重量を浮かせる動力源に信憑性はなく、SFに造詣ある人ほど「ヤマト」を否定したという

そもそも、なぜこんなトンデモ企画が出てきたのか?
それは、これを考案したのがSFにほとんど造詣がない、シロウト同然の男だったからだよ。
それが【企画・原案・プロデューサー】の西崎義展である。

西崎義展

西崎義展、この人はそこそこ有名だから知ってる人は知ってると思うけど、ちょっとヤバい筋の人なんだわ。
学生時代は4浪の末に日大に入り、卒業したかどうかは定かでないという。
若い頃は水商売やショービジネス等を転々とした末に海外を放浪していたというから、俗にいうヒッピーってやつかな?
帰国したのが1970年、知人の紹介で手塚治虫先生のマネージャーをすることになったという。
特に漫画やアニメに興味あったからというわけでもなさそうなんだが、多忙な手塚先生に代わって虫プロ商事の実質的経営をしてたというんだから驚きだよね。
何というテキトーな時代・・。
彼はかなり狡猾なキャラだったらしく、虫プロ倒産により逆に著作権を得るなどして、むしろ儲けたという説もあるほど。
やがて自分の会社「オフィスアカデミー」を立ち上げて「宇宙戦艦ヤマト」を企画、1974年には放送。
帰国してから僅か4年でここまで漕ぎ着けてるんだから、バイタリティある人なんだろう。
特に絵を描けるわけでもなく、何か専門の強みがあるわけでもないだろうに、口八丁手八丁でハッタリをかましながら立身出世をしていく、こういうタイプは高度成長期には必ず出てくるものである。

高度成長期は植木等が一種のヒーローだった

一応、「ヤマト」はこの西崎さんの企画・原案ということになってるので、公式な原作者は彼ということになっている。
しかし、これもモトを辿れば「戦艦大和が空飛んで宇宙いったら超ウケる」的なシロウト発想にすぎず、それをきっちりSFとして肉付けしていったのは松本零士ら本職のクリエイターたちである。
やがて、西崎義展vs松本零士の「俺がヤマトの真の原作者だ」訴訟にまで発展するんだが、裁判所は西崎さんの方を公式な原作者として認定
松本先生、悔しかっただろうなぁ・・。
「ヤマト」は劇場版が大ヒットし、1作目で17億円、2作目で20億円が西崎さんのフトコロに入ったといわれている。
やっぱ版権って、デカいんだね~。
西崎さんは毎晩銀座で豪遊し、ハーレーダビットソンを25台所有し、高級マンションや大型クルーザーも購入するなど、もう絵に描いたようなセレブ生活を謳歌することとなる。
ただ、この人は「ヤマト」以外のプロデュースは全てが大ハズレ、やることなすこと裏目に出て、最終的には破産。
それと同時に、カネの切れ目は縁の切れ目とでもいうべきか、覚醒剤所持、および拳銃所持によって逮捕→服役。
釈放後、船から海に転落する事故により死亡。
ちなみに、その船の名前が「YAMATO」だったというんだから出来すぎた話である。
一説には、事故死でなく殺されたんだという話もあるらしいね。
なんか、いかにもヤバい筋の人の末路って感じ・・。

色々な意味で、西崎さんはアニメの世界の人ではなかったと思う。
どっちかというと本人的には実写の方に興味があり、角川春樹と仲良かったようで(類は友を呼ぶんだね)、角川映画「汚れた英雄」のプロデューサーは本来なら西崎さんがやる予定だったらしい。
ハーレー好きの彼らしい話だが、なんかのトラブルで途中降板したとやら。
まぁとにかく、彼は子供向けアニメにあまり興味がなかったということよ。
「宇宙戦艦ヤマト」の功績をひとついうなら、それはアニメでありながらも子供だけでなくオトナの観客も劇場に呼び込めたことなんだ。
え、そんなの普通じゃん、と思うだろうけど、少なくとも70年代の段階でオトナがアニメ映画を見に行くなんてのは「ヤマト」まで皆無だったと思うよ。
宇宙戦艦ヤマト=元祖オトナのアニメ
こういうのも、アニメ世界の常識に欠けた西崎さんだからこその快挙だったかもしれん。
だって「70年代時点のオトナ」というのは、誰しも例外なく太平洋戦争を引きずってる世代なわけで、そこに「あの戦艦大和が空を飛ぶよ」とひと言いえば、そりゃ間違いなく食いつくわけよ。
マーケティングとして、実に巧妙である。
それは観客のみならず作家たちに同じことがいえて、たとえば松本零士先生も戦前生まれゆえ、戦争というもの自体に何かしら強い思いがあったに違いない。
作家として、「ちゃんと戦争を描きたい」という思いがあったんじゃないだろうか。
そこに「あの戦艦大和が空を飛ぶよ」とひと言いわれると、「それを描いてみたい」となるのは作家の本能である。

西崎さんは「ヤマト」の後に「宇宙空母ブルーノア」という新作を作ってるんだが、これは見事にコケた。
当然である。
というか、西崎さんは「ヤマト」がなぜウケたのかを自身がプロデューサーでありながらも、実はよく分かってなかったということだね。
あれは、戦艦大和という絶妙のモチーフを持ち出したからこそ、戦争を知る世代の優れた作家たちを集結させたんじゃないか。
なのに今さら「ブルーノア」というワケ分からん空母を出されたところで、そんなのがウケるわけないじゃん?
そういうことさえよく分かってない西崎さんを、私は「ヤマト」の原作者と認めたくないなぁ・・。
やはり私の中では、「ヤマト」原作者=松本零士先生である。


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