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だめだ、やっぱカッコつけちゃってる

相変わらず、何も変わってないよ。

学生時代、何者かになりたくてネットビジネスに片足突っ込んだ時もそうだし、そのネットビジネスでさえ「俺はお金を稼ぐことが目的なんじゃない」なんて本質に気づいたフリして、少しかじったくらいで辞めてしまって。
馬鹿になったつもりでやり切っている奴の方がよっぽどカッコいい。

お前はまだ、がむしゃらになれてない。

ネットビジネスを始めてみたり、塾講師のアルバイトにほとんどの時間を捧げるようになってもなお、何者かになりたくてしょうがなかった自分は、スタートアップなるものに参画する。そこで、Webメディア/サービスとか、学習塾の運営をすることになる。それなりに頑張ったと思う。
けれど、それなりにしか頑張ってないから、それなりの結果しか出せなかった。「じゃあ、それなりじゃない結果って何だよ」って感じだけど、自分にとってはそれなりなのだ。終わってみると、「ああ、もっとやれたな」なんて後悔が尽きない性分なのだ。

とりあえず、カッコつけるの辞めてみたら?

そもそも、noteで文章を書いていること自体が、自分にとっては「カッコつけ」の何よりの象徴だ。自分の思いや葛藤、モヤモヤをどこかで聞いたそれっぽい言葉で文章にする。自分の文章なんて、所詮どこかの誰かの言葉の二番煎じでしかないのに。自分の思いを綴りたいだけなら、今すぐ紙とペンを購入してそこに書けばいい。何もインターネット上で公開する必要なんてない。それでも、noteで文章を書き続けるのはどうしてなんだろうか。言わずもがな、カッコつけたいのだ。


変なプライドってなかなか捨てられないんだよね

勉強もスポーツも社会人生活も、それなりにうまくやってきた方だと思う。「方」なんて書いている時点で何かの基準や誰かと比較しているんだろうな。幸いなことに、それなりの成果や結果も出せている。けれど、それらは自分の実績として胸を張って語れるようなものではなく「変なプライド」として、今は自分の中にこびりついている。自己肯定感が高いだけなのか、プライドが高いだけなのか、果たしてどうなんだろう。ただ、そのおかげか分からないけれど、精神状態は常に良好でこれまで生きることができている。
「自分ならできるはずだ」、そろそろ僕はこれを名実ともに証明しなきゃいけないと思っている。本気出すとか、やればできるとか、いよいよ笑えないくらいダサい。別に、誰かに何かを言われたわけではないし、何かに影響されたわけでもない。これは「これからの自分」と「過去の自分」の決闘のようなもの。それを「今の自分」が冷静に俯瞰しているだけだ。



感情だけを頼りに書いた。

久しぶりに「書きたい」という衝動で文章を書けた気がして、今すごく気持ちが良い。

何を書いたかあんまり覚えてないし、とにかく勢いに任せて書いたから、誤字脱字や拙い表現もあるかもしれない。まぁ、たまには許されると信じて、このまま公開しちゃおう。

「もしも叶うなら、カッコつけない自分でいたい。」

ただ、これが書きたかっただけのはずなんだけど。


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