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女と男の区別はあたりまえです。

近年、LGBT問題や教育など、「トランスジェンダー(transgender)」に於ける社会問題が問われています。
ただし、これら問題の「被害者」「加害者」「政治」の論点が、あまりにもかけ離れているので、思わずキーボードを叩いてしまいました(^_^;)

固定概念

あなたは、「女ですか?男ですか?」

この問いに、迷わず即答出来た人は、ジャンダー問題を解決する資格(能力)はありません。
また、単純にこんな愚問をする側にも、問題解決の資格(能力)はありません。

それは、生命体の本質を理解出来ていないからです。
生まれて来た時の「肉体(外見)」でしか、性別の判斷が出来ない能力と言えるでしょう。

また、自分の性判別の手段に、「生殖器の有無」を価値感にする事も、疑問を感じてしまいます。
これも、自分自身を「肉体(外見)」でしか捉えられないのでしょうか?

そして、「肉体(外見)的判別」を植え付けて来た、統治側の「政治(法律)手法」が、これら「外見重視」の「常識」を作ってしまい、これに我々も乗せられています。

職業として、外見的男女の区別が必要な業種があると思いますが、なぜ、結婚や恋愛に、外見的男女の区別が必要なのでしょうか?
皆さんは、外見で結婚や恋愛をするのですか?
その選択も否定はしませんが、外見重視で人間関係を求めているのであれば、相手の内面を、肯定も否定もする必要は無いはずです。


自分の中(カム)の女性と男性

肉体的性別は、母の「子宮」で、自分が創造した結果です。
この「今」に生まれ出て来た現象も、自分の意思(四相)で創造した結果です。
きっかけは、父や母の生命粒子から創造された「命」ですが、親の影響を受けながら、全ての事は自分の意志で「今」の現象を作り出しています。

そもそも私達は、様々なカテゴリーの「女性性(アワ)」の陰性「男性性(サヌキ)」の陽性の生命粒子のバランスで、創造されています。

人は様々なジャンルに於いて、肉体(外見)的に女性であろうが、男性であろうが、「アワ」と「サヌキ」のバランスで、個々に判断して生きているものです。

結婚や恋愛に於いても、肉体(外見)的に女性であろうが、男性であろうが、お互いの「アワ」と「サヌキ」の結びつきが、正常な「結び」ではないでしょうか?


子孫繁栄と結婚

少子化問題が問われ続けていますが、

結婚は何のためにするのでしょうか?
「子孫繁栄」と、お利口な答えをしますか?
あなたは、本当に「子孫繁栄」の為に結婚をしましたか?

この矛盾にストレスを感じ、悩み、苦しむ人が多いのが、現実ではないでしょうか?
なぜ、子孫繁栄の為の性行為には「結婚」と言う枠組みが必要なのでしょうか?
単に、国民を管理する為に制度化した、簡単な管理方法だと感じているのは私だけでしょうか?
子孫を繁栄出来ない人同士が、制度の枠組や、国からの支援や保証が困難な状況に収まるのは、管理側と国民の制度に対する認識が、そもそも食い違っているのです。

「好きな人と一緒に居たい」
この心の感情を、育て上げるのが「社会」だと私は考えます。
血筋や系統は、この国の承継をして頂いている「天皇家」の形式であり、我々国民にとって、本当に必要なものなのでしょうか?
そう思わせている、統治側の策略としか思えません。

肉体(外見)だけの性にとらわれず、人の「心の性」も尊重出来る社会になることを、私は心から祈ります。
そして、心は常にフトマニしていますので、「心の性」は変化してあたりまえです。

生まれた瞬間の「肉体(外見)的性別」で、人の一生の全てを区別するのは、強引過ぎるのではないでしょうか?
単に、一国の「男女比」を、数で知るだけに過ぎません。

「肉体(外見)的性別」「内面的性別」を、もっと細分化して、集団社会と個人との差別化をし、男女の区別を受け入れる社会体制が、必要なのではないでしょうか?


世界との比較は、国民を不幸に導く

女性の社会進出が問題となっていますが、なぜこの問題を「数」で比較する必要はあるのでしょうか?

肉体的(外見)性別と、社会で働く性別にこだわる必要が、私には理解が出来ません。
女性であろうと、男性であろうと、自分に合う「適材適所」での働きを、優先させるべきではないでしょうか?
社会で働く選択もあれば、家庭での働きが適所であったり、性別に関わらず、個人の「アワ性」と「サヌキ性」で判断すべきです。

そもそも「サヌキ性」で築き上げられている、日本の政治や会社組織に於いて、数のために、男性を減らし、女性を増やすような「単純作業」で解決しようとしている、この国のレベル低下を感じてしまいます。

アワ性の強い男性は、家庭で働き、サヌキ性が強い女性は、社会進出する事が、個人にとっても社会にとっても、適材適所で働く健全な状態ではないでしょうか?
「働く=金銭」が重要な価値を生むのであれば、「ベーシックインカム」の導入が、現時点では最善であると私は考えています。

国々との数字での比較で判断する行為自体が、単純な視点と価値を見出し、個人の幸せから一番遠くに、着地するのではないでしょうか?


差別と区別

この違いすら判斷できない国になってしまったのでしょうか?
サヌキ性のある男性社会の環境へ女性が入った場合、サヌキ性の強い女性であれば、「区別」されて共存出来るはずです。
アワ性の強い女性であれば、馴染めず「差別」と感じてしまいます。

逆もしかりで、アワ性のある女性社会に、男性が入った場合は、アワ性の強い男性は、「区別」されて共存可能ですが、サヌキ性の強い男性は、「差別」を感じてしまいます。

これは、肉体的(外見)性別に関わらず、アワ性の強い男性は、男性社会では「差別」を感じ、サヌキ性の強い女性は、女性社会で「差別」を感じるはずです。

情報操作に注意

これらを一緒くたに報じる「政治」や「マスコミ」は、情報操作なのか、低レベルなのか分かりませんが、各社一斉に同じ視点から情報を伝え、国民を煽っています。
野党議員の反論も、結局は同じ視点からの意見に過ぎません。

この国は、社会主義国家になろうとしてるのでしょうか?
民主主義を唄うのであれば、「個」や「マイノリティ」、そして多様な情報を発信すべきです。

「政治離れ」や「テレビ離れ」を懸念する報道も、最近では良く耳にし、議論を繰り広げていますが、人としての政治情報、人としての情報、人としてふれあいを忘れた所には、人は集まりません。
金銭利益の為の情報、クレームを気にした情報など、忖度した情報に興味はありません。
そして、忖度ありきの情報に煽られている人達が多いのも事実です。

今の時代は、情報や報道の裏に真意があります。
作られた表面に、惑わされないで下さい。


今回は、取り急ぎ「なぐり書き」になってしまい、気分を害する方が居たら申し訳ないです。
誰かを批判するものではなく、社会のあり方に不安を感じ、キーボードを叩いてしまっています。
これも、私のストレスなのかも知れません。


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