重度の吃音について
「我思う、ゆえに我在り」と言わざるをえない地点にまでデカルトを追い込んだのは「お前は何者だ」という問いでした。それは「私は何者か」という自問とは似て非なるものです。「私は何者か」という自問はモンテーニュの「我何をか知る」Que sais-je? の亜種(我に就きて我何をか知る)とならざるをえないのであって、「方法的懐疑」を繰り出してみたところで自問が自問である限りは『エセー』を一歩も出ることができません。コギト(自己意識)よりもむしろ、「お前は何者だ」と執拗に問いかけられるこ