記事一覧
どうにもめんどくさいやつで。
どうにもめんどくさいやつで、
どうしたら機嫌が良くなるのか、何が機嫌を損ねるのか。どうしたらこの落ち込みから引っ張り挙げられるのか、止まることができないこの人をどうしたら止められるのか。すぐ動けなくなるこの人を動かせるのか。
なんとも気難しく、繊細過ぎてなんて言葉をかけたらいいのか、何が地雷になるのか困ってしまう。
いつも想像を越えてくる。
日々試行錯誤、ほとほとまいっております。
弱いの。外
覆い(境界線)をつくる
このところほしぐみではよくオイルケアをしています。
冷えた風にあたり暖房で乾燥もする季節
カサカサした肌は子どものからだを〝覆う〟機能が弱くなっています
覆いがないと風や衣服などの些細な外側の刺激に対しても敏感に反応し、常に刺激を受けている状態。落ち着かない状態になります。
そうした目覚め過ぎた状態でいると、周りの人の気配や空気感にもいつもより過剰に反応しそわそわ、ピリピリせずにはいられなく
内側に光を見出すークリスマスの頃
日が短くなり、外側の光が最も小さくなるこの季節、クリスマスの4週間前から特別な時間がはじまります。
まず子どもたちが体験するのは〝りんごろうそく〟。
暗い部屋の中螺旋状の道を辿った先で手にしているりんごろうそくに灯火をもらいます。
外側の光が小さくなる時に内側の光を強めていけますように。
これから先のその子その子の人生において困難に出会った時、光を観ることができますように。
そうした祈りに包まれ
静けさをつくるー意識的に聴くということ
急に寒くなりました。
それでも日中は暑い日もあり、子どもたちも本調子じゃなく、そわそわイライラしがちな様子です。
あれしたいこれいやだと気が上がっている時や日常の中の習慣として、
子どもが〝意識的に聴こうとする〟瞬間をつくるように心がけています。
たとえば
リモコンやスイッチは子どもにとって魅力的なもの。その時に、
「ちゃんとピッて鳴るか一緒に聴いててね」
と子どもに伝え、まず大人が静か
冷やさないーまんべんなく温かさを。
お盆が過ぎ、秋の訪れ
最近また明け方寒くなり、日中暑いのにもかかわらず身体の奥に冷えが残りやすい季節になってきました
身体の感覚の鈍感さや敏感さ不快感などがあると特に身体の末端に意識が向きにくく上へ上へと気が上がり熱も頭にこもります
熱は原動力。冷えて動かなくなる部分もオーバーヒートする部分もからだ全体の不調に繋がります
昔から頭寒足熱がいいとされます
機嫌が悪かったり、ごはんの食べが悪かった
自分のからだと出会い、世界に触れる
⭐︎ぐみは理学療法士と一緒に毎日を過ごしています。
今はこどもたちそれぞれの個性がそれぞれの特性を持った身体とがんばって慣れ親しんでいく時期。
例えばお着替えの時間、
この子がズボンを脱ぐ時 少しでも多く自分でできる部分を増やすにはどういう場所で、どういう体制で、どう声かけをしたら、自分でできることを楽しみながら行為に繋げられるか、
そんなことを考えています。
ほんの少し身体の向きを変えてあ
習慣がわたしをつくる
新しい生活がはじまって2ヶ月半、
いろいろな新しい習慣が身についてきました
思い通りにいかず泣くことがあっても、その後で習慣となりよく知ってる活動があることでそちらに意識が向き、安心し、すぐ切り替えられるようになりました
知っていること、できること、
が増えることは安心をつくります
繰り返し、リズムがある暮らし は安心をつくります
子どもそれぞれの毎日の中に“いつもの習慣”が増えることは
自分と世界と出会う場所
⭐︎ぐみは 今年度 子ども3人 スタッフ2人の 5人ではじまりました
子ども同士の大きな集団に入る前に必要な
自分の身体を感じ、
自分の身体を取り巻く世界との出会いを体験し
自分以外の他者との関係をつくりはじめること
新しく入園してきた彼らがこれらのことを獲得していく為に
⭐︎ぐみでは マンツーマンに近い形で大人が手助けしていきます
自分の身体は居心地がいいな
自分の周りの世界は居心地がい
人間は相手に自分の好きが伝わった時、わたしの好きが理解された時 よろこびを感じるものなのですね
✉︎
先生へ
…あーずっと、
人間にとって本当の喜びとは何か。を
また、本当の喜びを感じれるようになる為には。
ということを学んでいたのかな
と思いました
自分の意志で動くことのよろこび
世界と、全てのイノチと出会うことのよろこび、関係することのよろこび
自分が世界と影響し合い繋がっていると感じるよろこび
自分が世界を理解し、世界から理解されるよろこび
自分の持って生まれた意図が世界の意図と
わたしの中心にいる気分
「わたし今きめ細やかだよね
人が声をかけてくれるね
必要なタイミングに一瞬だけしかお腹が空かずいつも満たされてるよね
わたしからのお金の循環がうつくしく鮮やかで声に出ちゃうほど瞬時に還ってくるエネルギーに満たされるよね」
一度体感したこれは
そのうちじきにもう既にわたしの中庸で在るもの
聴覚から得る情報は視覚のそれより今必要なものが必要な分だけ確実に深くわたしに定着する。からの、音声配信気になるの巻
わたしにとって音楽は
空間を創り出してくれるもの
としてのはたらきが大きかった
朝の気分、あの映画のあのシーンのような気分、この人たちと共にいる気分、
室内でも外でも自由自在に。
鼻歌なんてまさに、結界そのもの
ー
長野に来てから以前みたいには音楽を聴かなくなった
空間を演出しなくてもいい時間が増えたというか
そもそもいる場所とわたしの気分が合っていることが増えたというか。
自分が能動
セクシャル的な要素が問題なのではなくて そもそもの人と人とが関係することや愛に対しての概念が根本的に変わるんじゃないの?って話
〝窮鼠〜〟を観てから原作の漫画も気になって登録してる電子コミックのアプリ内で少しだけ(試し読み分だけ)読んだらそこからボーイズラブ枠の漫画がオススメされまくってきてさ
深く捉えようとしたことがなかったからなんだけど
わたしの中でボーイズラブって
流行りジャンルというか
このネタだと今人気だからこのネタ使いました
的な感じで描かれてる物が多いイメージだったのと
やたらに趣味嗜好というか性癖的な描
〝窮鼠はチーズの夢を見る〟もはや愛と希望しか溢れ出ないのです
〝窮鼠はチーズの夢を見る〟
すごくよかったの
それはもうなんていうか
観た後次の日のみならず数日続くぐらいの余韻で。
思い出すと至福でにやけてくる感じの。
もう一個その前に観た
〝生きてるだけで、愛〟
ってのも久々すごく気に入ったのね
そんでふと改めて気付いたのが
自分の中で殿堂入りしてる特別に感じる映画と思ってたのが全部
恋愛ものだったことに気づいてびっくりした
自分的に意外だった